『新・人間革命』第26巻 法旗の章 109p~

<法旗の章 開始>

創価学会は、1978年(昭和53年)を「教学の年」第二年と定め、御書の研鑽と座談会の充実を活動の基軸にして、晴れやかなスタートを切った。伸一は、新年勤行会に出席するため、徒歩で自宅を出発した。勤行会の参加者と記念撮影となり、皆に語った。「今、日本の経済を見ても、円高不況などと言われ、企業の倒産や人員整理が相次ぎ、暗い材料ばかりです。

"大変だな。苦しいな"と思ったら、"だからこそ、私が立つのだ!""だからこそ、宿命転換するのだ!"と自分に言い聞かせてください。今年は、合言葉は、"だからこそ!"でいきましょう!」

新年勤行会のあいさつでは法華経寿量品の「毎自作是念」について言及した。「『毎自作是念』とは、常に心の奥底にある一念といえます。私たちは、大聖人の大願である広宣流布を、全民衆の幸せを、わが一念とし、わが使命と定めようではありませんか。そして、日々、久遠の誓いに立ち返り、広布を願い、祈り、行動する一人ひとりであってください。私も『毎日が元日である』と決めて、精神の息吹で、本年もまた、わが法友のため、世界の平和のために、力の限り奔走してまいる決意であります!」

元日の夜、伸一は、静岡研修道場へ向かった。学会では、前年、各地にある「研修所」の名称を、「研修道場」に改めていった。伸一は、静岡研修道場にある牧口園を訪問し、逮捕・投獄されてから35年にあたるこの年に先師・恩師を偲び、一年の勝利を誓い、新たに出発したかったのである。

常に伸一が心に思い描いてきたのは、牧口と戸田の獄中闘争であった。"あの壮絶な闘争を思えば、私など、まだまだだ!獅子吼のごとき唱題で、無限の力を奮い起こし、勇猛果敢に戦うのだ。もっと、もっと、もっと!"

翌二日は、伸一の50歳の誕生日である。50歳という人生の意味を思った。日蓮大聖人は数え年50歳で竜の口の法難に遭い、佐渡に流罪されている。"私も大聖人の門下なれば、いかなる試練があろうが、勇躍、一閻浮提広宣流布の大道を切り開いていこう!"こう決意を固めて、伸一は、新しき年の大闘争を開始したのだ。

1月6日には、本部幹部会の席上、広布第二章の「支部制」の実施が発表されたのである。総ブロック長、総ブロック委員として活躍してきた新支部長・婦人部長は、この発表に燃えた。それは、草創期の支部幹部の、わが身をなげうつような大闘争を、直接、目にしたり、あるいは伝え聞いてきたからである。

戸田城聖が第二代会長に就任する直前、学会は、12支部の陣容でスタートした。支部長・婦人部長は、法旗を敢然と掲げ、広宣拡大の闘将として立ち、日々、月々、年々に組織を大発展させてきたのだ。

山本伸一も青年時代には、草創の文京支部長代理として、広宣流布の指揮を執った。その時、彼が決意したことは、全支部員を一人も漏れなく幸福にするということであった。そして、そのために、皆がきちんと勤行し、活動の最前線に躍り出て、弘教の大歓喜を実感し、信心への大確信をもってほしいと念願し、活動を続けてきた。

社会は激流である。強き生命力と、不動な信念と、豊かな知恵なくしては、渡り切っていくことはできない。その源泉は、信心しかないのだ。伸一が、支部長代理として指揮を執り始めると、支部の雰囲気は一変した。

その要因は、幸せの”秘術”こそ学会活動にあることを皆が知り、勇んで弘教に走るなかで、次々と功徳の体験が生まれたことにあった。座談会が開かれると、誰もが、先を争うようにして、功徳の体験を語り始める。強靭な組織、無敵の組織とは、功徳の体験の花が、万朶と咲き誇る組織である。

学会は、広布第2章に入って、全国に立派な会館が次々と建設され、法城は着実に整いつつあった。大事なことは、さらに人材をつくることであると、伸一は強く感じていた。そこで、伸一は、「支部制」に移行し、支部組織を地域にもうけることによって、草創の支部のような精神の息吹を巻き起こし、学会の隅々にまで"戦いの魂"を燃え上がらせ、闘将を育てようと決意したのである。

そのための布石は、既に前年の1977年2月から始まっていた。


太字は 『新・人間革命』第26巻より 抜粋
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