小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

5月3日

会長就任12周年を パリ本部で迎える

『新・人間革命』第16巻 対話の章 P142~ 

山本伸一は、トインビー博士との対談にあたって、三つの大きな柱となるテーマを考えた。それは、第一に「人間とは何か」という問題であった。伸一は、人間を、動物的側面や肉体的、精神的側面など、多面的にとらえ、人間を取り巻く自然環境、社会環境について考察したいと思った。そのうえで、「いかに人生を生きるべきか」という根本命題に迫りたいと考えていた。

第二に、世界の平和を実現する方途について、意見を交わしたかった。現代の国々がかかえる諸問題を直視しながら、なぜ、戦争が繰り返されてきたのか、その愚かな歴史を断ち切るには、人類はどうすればよいのかを、語り合いたかった。

第三に、生命の根源に迫る対話である。「生命とは何か」「人間はいずこより現れ、いずこへ消えていくのか」などである。宗教が文明の創造に、いかなる役割を果たせるのか、また、博士が主張する「究極の精神的実在」について意見交換することを希望していたのである。

ともあれ、東洋人である伸一と、西洋を代表する知性との対話である。人類の未来を開く示唆に富んだ対談にしなくてはならないと、彼は深く決意し、準備に余念がなかった。

伸一は、今回、初めてモスクワ経由でパリに向かった。フランスの理事長になっていた川崎鋭治は、7年前に自分の二間のアパートをヨーロッパ事務所としてスタートしたことを思うと、まるで夢のようだと話した。パリ本部は、芝生の庭が広がり、広間のある鉄筋コンクリート造り2階建ての建物や、3階建ての別棟などがあった。

伸一は、メンバーからの強い要請があり、パリ滞在中は、パリ本部に宿泊することにした。ホテルとの往復時間がもったいないという思いもあった。

5月1日、パリ本部の開館式が行われた。5年前には見なかった、新しい顔が多かった。国により、文化も、習慣も、考え方も異なる。それゆえに、世界広宣流布もまた、その国の人が立ち上がり、責任をもって推進してこそ、仏法が深く人びとのなかに根差していくのである。


伸一は、開館記念勤行会で“各国、各地域で、広宣流布の一つの目標として、まず10年先をめざして前進してはどうか”と提案した。

開館式のあと、会館の庭で、パリ本部のあるソー市の市長夫妻をはじめ、多数の来賓を招いて祝賀の集いが行われた。来賓の多くは、“創価学会の会長である山本伸一とは、いかなる人なのか”と、大いに興味をいだいていた。

“衣をまとった僧侶が、いかにも神秘的な雰囲気を漂わせた人物ではないか”と思っていた人が多かったようだ。しかし、スーツ姿で、丁重だが、気さくにあいさつを交わす伸一に、来賓は、一様に驚きを隠せなかった。

帰り際、来賓の一人が「あなたたちの仏教の教えがいかなるものか、私にはわかりません。しかし、山本会長と接していて、ありのままの姿で、誠意をもって、私たちを迎え入れてくださっていることを感じました。人間を大切にする心があふれていました。大事なのはヒューマニズムです。そのヒューマニズムを、あなたたちの団体に感じました。」と言った。

日蓮仏法の、国境を超えた、世界宗教としての今日の広がりは、「人の振る舞い」によるところが大きいといえよう。

会長就任12周年となる5月3日を、パリの地で迎えたのである。海外で5月3日を迎えたのは、初めてのことであった。それは、まさに“世界広布新時代”の到来を象徴していた。

学会では、この1973年(昭和47年)5月3日を、創価教育学会の創立から始まる、7年ごとの節である「七つの鐘」の、「第七の鐘」のスタートとしていた。


太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋

就任3周年へ向かって

『新・人間革命』第6巻 加速の章 P228~

会長就任2周年の5月3日 伸一は 会長講演で 正法の流布があるところ、偉大なる文化が花開くことを述べ、こう訴えた。

「正法が、人びとの生き方の根底となり、王仏冥合の姿となっていくならば、いかに優れた文化が生まれ、平和で、安穏な社会を建設できるかを物語っております。」

「その大仏法を根底とした未聞の人間文化の大輪を咲かせ、民衆の幸福と社会の繁栄を築いていくのが、私たちの広宣流布の大運動であります。」

「妙法による人間の生命の変革は、自然環境にも必ず及んでまいります。また、たとえ、台風など、激しい雨が降ることがあったとしても、信仰によって培われた英知は、災害に苦しむことのない、安全対策の整った社会の実現を可能にするともいえます。」

「この幸福にして平和な社会の建設こそが、私どもの信仰の目的であります。」

伸一は、悲哀の淵から立ち上がった創価の友に、われわれの一念によって、自己の人生はもとより、時代、社会が、全人類、全宇宙が変わっていくことを訴えたのである。

それは"小我"から"大我"へと至る境涯の革命の号砲であり、民衆が真に歴史の主体者として立つ、覚醒の叫びでもあった。


「今の日本の不幸は、民衆を幸福にし、恒久平和を建設していくための、確固とした理念、哲学がないことです。生命の尊厳を裏付ける哲学もなければ、慈悲の思想もない。人間の生き方や根本の価値を教える哲理を見失い、精神の骨格なき社会になってしまっております。」

「ゆえに、政治にせよ、経済にせよ、あるいは教育にしても、確かなる展望が開けず、迷い、揺れているというのが現状です。」

「その日本の国を救う、精神の骨格、大理念、大哲学となるのが日蓮大聖人の仏法であると、私は断言したいのであります」

参加者は、自分たちの行っている弘教の社会的な意義の深さを、改めて認識していったのである。

「日本の未来を、また、21世紀の世界を考えるならば、わが創価学会の主張と実践を高く評価し、賛同しなければならない時が必ず来るであろうし、既に時代の底流は、そうした段階に入ったといえます」

「しかし、そうであればあるほど、学会への嫉妬も強まるでしょうし、無認識や偏見ゆえの批判も起こるでありましょう。さらに、広宣流布を阻もうとする、さまざまな謀略もあるにちがいありません。」

「だが、何があっても、日蓮大聖人の御金言を、御本尊を信じて、いかなる権力にも、いかなる迫害にも、決して屈服することなく、確信と勇気をもって、崇高なる信心を貫き通してまいろうではありませんか。」

人間のための文化と社会を建設しゆく決意が、集った同志の胸中に、炎となって燃え上がった。

創価学会は伸一の、会長就任3周年に向かって船出したのである。

総会を終えた参加者は、薫風のなか、勇んで、再び布教を開始していった。

"私たちは、ただ自分の小さな悩みを解決するためだけに、信心をしているのではない。御書に仰せの、安穏な理想社会を、この世に築くという、もっと崇高で大きな目的のために、信心に励んでいるのだ"

信仰は人格を陶冶し、陶冶された人格は、社会建設の使命の自覚を促すものである。


太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋

会長就任2周年

『新・人間革命』第6巻 加速の章 P216~

会長就任2周年の5月3日を 布教の大勝利をもって迎えようーそれが全同志の決意であった。
潮が満ちるように、弘教の歓喜の波は広がっていたのである。

会員の世帯は、2年前の140万世帯から260万世帯へと、2倍近い発展を示していた。

この二年間は、伸一の構想通りの広宣流布の伸展であり、大勝利の歩みであったことは間違いない。

では、その流れを、さらに確実なものにしていくために、いかなる指導性が求められるのかを、伸一は考え続けた。

1962年5月3日 東京・両国の日大講堂で会長就任2周年の第24回総会が開催された。

ヨーロッパ連絡責任者の川崎鋭治が海外会員を代表して、あいさつに立った。
山本伸一は、川崎が広宣流布のリーダーとして、たくましく育ちつつあることを喜び、真っ先に拍手を送った。

伸一は命の限り、世界の各地に、平和と友情の広布の道を開き続ける決意でいた。しかし、その道を歩み、整え、さらに広げる人がいなければ、再び草に埋もれてしまうことになる。だから、彼は、ヨーロッパの地にあって、川崎が立ち上がったことが、うれしくてならなかったのである。

伸一は、自分がいなくなったならば、広宣流布はどうなるかということを、常に考え続けていた。

彼は、まだ34歳ではあったが、もともと病弱なうえに、一瞬一瞬、全力で疾走するかのように動き続けているだけに、いつ倒れてもおかしくはなかったからだ。

それゆえに、伸一は、人材を欲していた。人材を見つけ、育てることに最大の力を注ぎ、人と会えば、一期一会の思いで、全魂を傾けて激励し抜いた。

日達法主が講演のなかで、総本山に建設が進められている大客殿が、この常寂光の浄土の姿であると語り、参加者に、僧俗一致して広宣流布の願業に邁進しようと呼びかけ、話を結んだ。

集ったメンバーは、供養の喜びと感激を噛み締めた。宗門は、自分たちの真心で寄進した大客殿を、永遠に宝塔としてたたえ、大切にしてくれるにちがいないー大聖人の信徒たる創価の同志は、誰もがそう信じた。誰もがそう確信していた。

この総会には、当時宗門の教学部長で、後に67世の法主となり、大客殿を取り壊した阿部信雄、すなわち日顕も出席し、壇上に座っていたはずである。

彼が、日蓮正宗の僧侶として師と仰ぐべき日達法主の講演を、いかなる思いで聞いていたのかは知るよしもない。

しかし、日達法主の時代に学会が寄進した総本山の建物を次々と取り壊し、その功績を否定する彼の行為は、師への重大な背反であることは断じて間違いない。

会長講演で 伸一は、感謝の意を表したあと、会長就任3周年への出発の決意を、力強く語った。

そして、仏法と文化の関係に言及していった。


太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋

凱旋

『新・人間革命』第4巻 凱旋の章 P139~


1961年(昭和36年)5月3日
伸一の会長就任1周年となる本部総会が東京・両国の日大講堂で開催された。


伸一は、一年前の総会で、この同じ会場で、「若輩ではございますが、本日より、
戸田門下生を代表して化儀の広宣流布をめざし、一歩前進への指揮をとらせていただきます」
と宣言し、新会長として、スタートを切った。


その一歩は、激闘の365日であったが、広布の未聞の歴史を開く、大飛躍の一歩となった。
そして、今、再びここに戻ってきたのである。


それは、まさに広宣流布の大勝利を飾っての凱旋であった。


山本会長誕生の喜びは、全国に折伏の波動となって広がり、就任3か月後の、前年の8月には、
1か月で6万7千384世帯という過去最高の折伏成果を記録。
現在、学会の総世帯は 191万余となり、200万世帯の達成は目前に迫ったのである。


また、支部は61支部から139支部へと発展した。海外でも、ロサンゼルスと
ブラジルに支部が結成され、アジアでは香港に地区が誕生。広布の新時代を画したのである。


さらに、教学の大旋風が巻き起こり、教学試験の受験者は12万数千人に上った。
その結果、教授から助師までの教学陣は、4万人を突破するに至った。


一方、新寺院の建立も着々と進み、既に6カ寺が建立され、7月中には、移転新築も含め、
さらに6カ寺が完工の運びとなっていた。また、この時点で、
新たに30カ寺ほどの寺院の建立が予定されており、
土地の選定も、ほぼ終了していたのである。


すべてが、何年分にも相当する大事業であり、広布の大伸展といえた。


青年部長の秋月英介の抱負は、学会の推進力たる青年部が、
時代、社会に仏法思想のうねりを巻き起こそうとする、先駆けの気概にあふれていた。


秋月は、この1年間で、女子部が部員数12万から18万に、男子部は 18万から25万となり、
青年部は 部員43万へと未曽有の飛躍を遂げたことを紹介した。


そして、戸田城聖が青年に贈った「国士訓」に触れて、次のように語った。
「『国士訓』の中で、戸田先生は『青年よ、一人立て!二人は必ず立たん、
 三人はまた続くであろう。かくして、国に10万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、
 火を見るよりも明らかである』と述べられております。」


「このお言葉のごとく、一人立たれた青年が、会長山本先生でございます。そして、
 その後に続くのが、私たち青年部であります。」


「その時は、今まさに到来いたしました。私たちは、いよいよ戸田先生のお言葉を実践し、
 苦悩する民衆を救う国士10万の結集を、断固、行ってまいる決意でございます。」


伸一は、青年たちが、戸田城聖の言葉を、決して虚妄にすることなく、
実現しようとする心意気が、何よりも嬉しかった。


アメリカでは、山本会長が訪米した時は、会員は300世帯ほどにすぎなかったが、
以来、同志は広宣流布への決意に燃えて立ち上がり、これまでに350世帯の人を折伏。
また、渡米する学会員も増え、現在では、1500世帯の同志が、活動に励んでいるという。


建設には、希望があり、躍動がある。伸一の会長就任以来の学会の前進は、まさに、
澄み渡る大空に若鷲が舞い上がるように、希望の天空へ人びとをいざなう、飛翔の日々であった。


思えば、瞬く間の一年であった。


なすべきことはあまりにも多く、激闘に次ぐ激闘の日々であったが、それによって、
広布の未曽有の上げ潮がつくられたのである。彼は、確かな勝利の手応えを感じることができた。


伸一は、戸田の弟子らしく、高らかに凱歌を奏で、ここに凱旋したのである。



太字は 『新・人間革命』第4巻より抜粋


<凱旋の章 終了>

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