『新・人間革命』第9巻 鳳雛の章 P153~

「私も諸君に対して、“早く生い立て”との思いでいっぱいです。私が会長である限り、諸君の道を開き、見事に広宣流布の総仕上げをさせてあげたい。どうか、今日、集まった高等部の第一陣の幹部の諸君は、10年先、30年先、50年先までも、結束を固めていっていただきたい。そして、創価学会を守っていただきたい。学会員を守っていただきたい。民衆を守っていただきたい。」

「とともに、“広宣流布のバトンは引き受けた。広布の総仕上げをするのだ!”との決意をもっていただきたい。そのために、現在は、題目をしっかり唱え、あくまでも、勉学第一で進んでいく必要がある。また、両親に迷惑をかけたり、嘆かせるようなことがあってはならない。人格も優れ、学校の成績も誰よりも優秀であり、健康であるというように、色心不二の人間革命の基礎を確立していっていただきたいのであります。」

11月号の『大白蓮華』の巻頭言に伸一が執筆した『鳳雛よ未来に羽ばたけ』と題する高等部の指針が発表された。高等部に対する山本伸一の期待は絶大であった。

伸一は、皆が、信心とは何かを知り、その実践として唱題してほしかった。そこに大いなる智慧が磨かれ、生命が豊かになり、健康体となっていく道があるからだ。彼は、その思いを記したあと、今は『勉学第一』で、広く知識を求め、将来の大成を期してゆかれんことを、心から願望するものである」と呼びかけた。

ここには、高等部が何をすべきかが、明確に示されていた。これによって「勉学第一」は、永遠の指針となったのである。

大白蓮華の巻頭言を、全国の高等部員は、何度も、何度も、貪るように読み返し、部員会などでも、必ず朗読し、皆が暗唱するようになった。鳳雛たちは、これを通して、自分たちの、あまりにも深く、大きな使命を自覚していったのである。

経済的に厳しい家庭環境のなかで、大学進学をめざして、新聞配達を始めたメンバーもいた。皆の唱題にも、一段と力がこもった。メンバーは競い合うようにして、次々と猛勉強を開始していった。

未来の使命を自覚した人は強い。その時、才能の芽は急速に伸びるといってよい。指針「鳳雛よ未来へ羽ばたけ」は、青年部の幹部や親たちの高等部への認識を、一歩も二歩も、深めていった。

「高等部員の使命は計り知れないものがある。学会の宝なんだ。大切に育てなければ」そんな雰囲気が学会のなかにみなぎっていった。

11月23日には、中等部、少年部にも、それぞれ部長が誕生した。誠実で正直な人柄の加藤武久が中等部長、裏表のない生命の清らかさが感じられる森永安志が少年部長になった。

翌年「高等部の年」と銘打たれた1966年(昭和41年)1月3日未来部の代表登山会が行われた。
山本伸一は、全国の高校生の代表とともに飾りたかったのである。その夜、完成したばかりの高等部のバッジが伸一からメンバーの代表に授与された。

伸一は「1971年の1月3日、5年後の今日、ここに集った皆様方全員と再びお会いしたい」と提案する。


若い同志の成長には、希望の指標が必要である。めざすべき目標が定まれば、その歩みには、大きな力がこもる。青春の5年の歳月は、かけがえのない黄金の日々であり、その後の人生の、10年、20年分に相当する。山本伸一は、5年間で、皆がどれだけ成長できるのか、じっと見守っていきたかったのである。

伸一は、5年後の1971年に約束を果たし、メンバーと再会した。そして、皆の成長を称え、「5年会」の名称を贈るとともに、5年ごとに集い合っていくことを、提案したのである。


太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋