『新・人間革命』第9巻 鳳雛の章 P136~

2月下旬から高等部の署名が開始され、伸一はその署名簿の扉に「5年後をめざして僕等の希望を」と揮毫した。署名簿が山本伸一のもとに届くと、彼は、一人ひとりの決意を生命に焼きつけるように、丹念に目を通し、仏前に備えて、皆の成長を真剣に記念したあと、会長室に保管した。折あるごとに、この署名簿を開き、皆の希望が実現するように、題目を送っていったのである。

7月には 高等部長に上野雅也が任命され、全国に組織化された高等部員をまとめ、責任をもって育成していく、中心が定まったことになる。上野は、高等部員にとっては、ほとんど馴染みのない顔であった。彼は、26歳になる男子部の幹部の一人で、山本伸一が学生の代表に行った、「恩義口伝」講義の受講生でもあった。

彼の入会は高校1年生の時である。4歳の時、実父を肺結核で亡くし、再婚した母と継父となじめず、悶々とした思春期を送っていた。継父が先に入会し、一緒に信心したいという母が喜ぶならと入会したのだ。

大学受験を控えた時、実父と同じ肺結核と診断され、当時は、不治の病と言われていたため、絶望してしまう。だが、学会の男子部の先輩が「今こそ、仏法のすごさを知る時だ。本気で題目を唱えてみろよ。必ずよくなる!ぼくも応援するから、頑張ろうよ」と激励され、猛然と唱題に励んだ結果、数か月後 肺から影は完全に 消えていた。

慶応大学に合格し、学会活動に駆け巡ったが、仕事と学会活動の忙しさに流され、肺結核が再発し、入院することに。その間継父が亡くなり、多額の借金があることがわかる。希望をもって社会人としてのスタートを切って間もなくの試練である。

その時、山本会長から激励の手紙をもらい、“負けてたまるか。すべてを乗り越えて、山本会長に報告するんだ”とひたぶるな唱題が始まり、やがて結核は治り、職場に復帰できた。

山本伸一は、多感な時期に信心を始め、自身の悩みを一つ一つ克服してきた彼なら、高等部員のよき兄になるだろうと考え、高等部長に任命したのである。上野は新任幹部のあいさつで、高等部10万人の達成をめざすと目標を発表した。

後に高等部は 学生部から独立した組織となる。9月には、少年部も結成を迎え、少年・中等・高等部の、今日の未来部の組織が整ったのである。

10月高等部の旗が完成し、授与式が行われた。旗の布地は緑で、中央に白抜きの、大きく羽根を広げた鳳凰の若鳥が描かれ、その下に、「創価学会高等部」の文字が染め抜かれていた。

鳳凰とは、中国で古くから尊ばれた想像上の瑞鳥で、仁政を施す天子の出現の前兆として、世に現れる鳥とされている。日蓮大聖人は、諸経の王である法華経を、鳳凰に譬えられている。

伸一は、高等部員が時代の大指導者に育ちゆくことを念じ、最大の期待を込めて、折に触れて高等部員のことを「鳳雛」すなわち“鳳凰の雛”と呼んできたのである。

また、緑色は、若葉の清々しさがあり、平和をイメージする色でもある。そこから、やがて世界に雄飛し、人類の平和と幸福を築きゆく高等部の旗に、緑は最もふさわしい色と考えたからである。

300名近い授与である。生命の楔を打ち込むかのように、それぞれの眼をじっと見つめ、激励の言葉をかけ続け、未来に輝く偉大な緑の部旗を授与していった。

彼の目は、未来の大空を自在に舞いゆく鳳の姿をとらえていた。

「会長就任から満5年が過ぎましたが、最高にうれしい日は本日であります。なぜならば、この高等部員を第一陣として、諸君の後輩である中等部員、並びに少年部員が、第二陣、第三陣と続いております。この3つの部より、将来の会長が出なくてはならないし、出てもらいたい。また、出るのが当然ではなかろうかーーこれが私の希望なのであります」

参加者の胸に熱い感動が走った。



太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋