『新・人間革命』第30巻(上) 大山の章 7p~

<新・人間革命 第30巻 上 開始>
<大山の章 開始>


われらは、願い、祈る。“家族、親戚、友人、近隣、地域、職場・・・。私に連なるすべての人を幸せに!”人は、人の絆の中で育まれ、成長し、学び合い、助け合った真実の人間となる。ゆえに、自分一人だけの幸せはない。自他共の幸福のなかにこそ、本当の幸福もある。

1979年(昭和54年)2月16日、インドのカルカッタを発った山本伸一たち訪印団一行は香港に到着した。夕刻には香港中文大学の馬臨副総長主催の晩餐会に臨み、学術教育交流の進め方などについて意見交換した。

彼は、21世紀のために、世界の平和のために、今こそ教育・文化の橋を幾重にも架けておかねばらないと必死であった。未来は今にある。この一瞬を、一日一日を、いかに戦い生きるかが、未来を決定づけていく。“今しかない!黄金の時を逃すな!”彼は、こう自分に言い聞かせていた。

18日には、シンガポール、マレーシア、フィリピン、インドネシアなど9か国の代表と、香港、マカオの2地域の代表65人が集い、東南アジア代表者懇談会が行われた。

東南アジアの国々は、戦時中、日本軍の侵略を受けており、反日感情も根強い。学会が日本で誕生した宗教というだけで、嫌悪感を露わにする人たちも少なくなかった。しかし、どんなに無理解や誤解の壁が厚かろうが、退くわけにはいかなかった。一人立つことこそが広布の原動力であり、いかに時代が変わろうが、その決意なくして前進はない。

彼は、仏を仰ぐ思いで皆に視線を注ぎ、最大の感謝と敬意を表し、賞賛した。そして、各国・地域のリーダーとしての在り方を語っていった。さらに、これからの世界のリーダーが心すべきこととして、次の3点を語った。

「第一に、皆が尊い仏子です。学会には、組織の機能のうえでの役職はありますが、人間としての上下の関係はありません。第二に、世法と信心を混同し、学会のなかで、利害の対立などによって、争いを起こすようなことがことがあっては絶対になりません。第三に、どこまでもメンバーの幸福こそが目的であり、組織は手段であることを銘記していただきたい」

一人ひとりの行動と成長が、国や地域の広宣流布を決定づけていくことになる。それだけに、さらに力を培い、一騎当千の知勇兼備の闘将に育っていってほしい。彼の声に、自然に力がこもっていった。

「リーダーの皆さんは、広い心でメンバーを愛し、社会を大切にし、自分の国を愛していただきたい。広宣流布の姿とは、日蓮大聖人の仏法という最高の法理に生きる皆さんが、その国の“精神の柱”“信頼の柱”“良心の柱”になっていくことでもあります」

「何が競い起ころうが、御本尊を信じて、仏意仏勅の団体である学会と共に、広宣流布に生き抜いていただきたい。大試練に打ち勝ってこそ、大功徳に浴し、崩れざる幸福の基盤を築くことができる。また、その時に、それぞれの国・地域の大飛躍もあります。信心とは勇気です。師子王の心で、敢然と前進していってください」祈りにも似た、伸一の魂の叫びであった。

19日午前、伸一は、香港総督公邸に、マレー・マクリホース総督を表敬訪問した。総督は、友人である在日イギリス大使館のマイケル・ウィルフォード大使から、手紙を通して、伸一の人となりについて聞いており、会見を楽しみにしていたという。語らいは弾んだ。

21世紀まで、既に20余年となっていた。伸一には、世界の平和のために、人類の未来のために、急いで行動を起こさねばならぬ課題が山積していた。彼は、ただただ、時間がほしかった。人生は時間との闘争である。

伸一たち一行は、この日の午後、香港のSGIメンバーによる「’79香港文化祭」に出席した。香港に地区が結成され、わずか18年にして、これほど盛大な文化祭が開催できるまでになったのである。

伸一は、これからも、さらに、世界の広布のために力を注ぎたかった。しかし、あまりにも多忙であり、激務のなか、時間をこじ開け、海外を訪問できる機会は限られている。“でも、今、各国・地域のために全力を注いでいけば、広宣流布世界平和の飛躍的前進が可能となる。時を逸してはならない!”と強く思った。

伸一は、“香港に、21世紀を照らし出す平和の灯台が築かれた”と実感した。
インド、香港訪問を終えて、山本伸一の一行が成田空港に到着したのは、2月20日午後7時のことであった。

太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋