『新・人間革命』第20巻 懸け橋の章 279P~

当時、「ソ連の核兵器は、世界が平和のために必要な保障である」というのが、ソ連の公的な主張であったからだ。その見解を根底から覆すことになる、画期的な発言といってよい。伸一は、勇気ある言葉だと思った。

首相はそれから、核実験の禁止に始まる核兵器全面廃止のプロセスについて考えを語った。伸一は、首相の話を受け、ソ連が核兵器の廃絶へ、積極的にイニシアチブをとるよう強く望み、こう訴えた。「核廃絶を実現していくためには、各国、特に核保有国同士が、深い信頼関係で結ばれることが不可欠といえます。」

「根底に相互不信がある限り、核兵器の全廃などできようはずがないからです。その意味でも永続的な交流が必要です。それには、政治、経済の次元を超えた、文化、教育の交流が大事であるというのが、私の一貫した主張です。」不信を信頼へーーそこに、人間が共に栄えゆくための、最も重要なカギがある。

伸一は、食料問題に言及し、首相に提案した。首相は、自らの信念を吐露するように、確信にあふれた声で語った。「人間が戦争のための準備ではなく、平和のための準備をしていれば、武装に莫大な資金や労力を費やしたりせずに、多くの食料を作ることができます。食糧問題を解決する道は、平和にあります」指導者の言葉は重い。伸一は、コスイギン首相の「心」に触れた思いがした。

時間は、既に1時間半が経過していた。首相の予定していた会見の時間を、大幅に超えているに違いない。伸一は、これ以上、時間を取らせてはならないと思った。

会見場を出ると、通訳を務めたモスクワ大学のストリジャック主任講師が、興奮した様子で語りかけた。「感動しました。本当に実りある会談でした」

「コワレンコさん、こういう優れた日本人をどこでみつけてきたのですか。どこで発見したのですか」とそして、首相は、こう述べたという。「これからは密接に関係を保つことを、あなたに命令します。もし、クレムリンで困難な問題が起こるなら、直接、私に電話しなさい」

さらに首相は、帰宅後、愛娘のリュドミーラ・グビシャーニに、伸一との会見について、こう語ったのである。「今日は、非凡で、非常に興味深い日本人に会ってきた。複雑な問題に触れながらも、話がすっきりできた嬉しかった」

ともあれ、一民間人である山本伸一の手によって、歴史の歯車は、音を立てて回転し始めようとしていた。日ソの新たな友好の道が開かれただけでなく、中ソの対立の溝にも、一つの橋が架けられようとしていたのである。

伸一は、正午からは ソ連対文連友好会館を訪れ、日露両文のコミュニケに調印した。すべての公式行事は無事に終了し、明日羽田に到着すると連絡すると、学会本部の十条が羽田に、反共・反ソ的な勢力が、空港で先生を待ち伏せして、何かするかもしれないと話した。

日程を変えられないかという十条に伸一は「私は、中国、ソ連に、友好の橋を架けようと決意した時から、覚悟を決めている。生命をなげうつ決意なくして、世界平和の実現など、できようはずがない。それなのに、学会本部が右往左往していたのでは、みっともないではないか!」伸一は、泰然自若としていた。

学会本部では、首脳幹部が心を一つにして唱題に励むとともに、無事故で伸一を迎えられるよう、万全の準備を重ねてきたのである。

夕刻、トロ―ピン副総長の主催で、歓送のパーティーが開かれた。副総長は、「この10日間でソ日両国の強いパイプができあがり、平和の土台が築かれました。この10日間は、世界をゆるがした10日間であったといえます。」とソビエト政権が樹立されることになる10月革命を描いた本のタイトルになぞらえた。

帰国すると、伸一は訪問中から書き始めたソ連についての新聞や雑誌への寄稿は、帰国後1か月余りで本1冊分ほどになった。寸暇を惜しんでの執筆であった。

10月初めに、モスクワ大学のストリジャック主任講師と学生たちが来日、10月末からホフロフ総長夫妻が来日。

友誼の潮は、21世紀の大海原へ、勢いよく流れ始めたのだ。やがてそれは、教育・文化の、そして平和の、大潮流となるに違いない。

未来を開け!開墾の鍬を振るえ!勇敢に恐れなく、生命のある限りーーこう伸一は、自らに言い聞かせたていた。

<懸け橋の章 終了>

太字は 『新・人間革命』第20巻より 抜粋