小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

青森,秋田,東北指導

無量義とは、一法従り生ず

『新・人間革命』第29巻 清新の章 295p~

大法弘通の闘争がなければ、確信の火は燃えず歓喜がもたらす生命の躍動もない。伸一は、言った。「東北には、立派な青年が育っているね。今はまだ、風雪の季節だ。しかし、春は、そこまで来ているんだ。この青年たちが、必ず根雪をとかし、21世紀には、創価の春を、そして、新緑の季節を開いてくれるよ」

新春記念指導会は伸一の指導となった。彼は、無量義経を通して、御本尊に具わった生命変革の功徳力について語っておこうと思った。「『無量義とは、一法従り生ず』の文は、皆さんも、よくご存じであると思います。この『一法』こそが妙法蓮華経であり、さらには、日蓮大聖人様が御図顕になった南無妙法蓮華経の御本尊であります。

そして、この『一法』が法華経二十八品へ、八万法蔵へ、一切法へと開かれていく。それは裏返せば、教育、科学、政治、経済等々の諸学問、諸思想も、『一法』である妙法に、すべて包含されていることを意味します」

伸一は、「善男子よ。第一にこの経は能く菩提の未だ発心せざる者をして、菩提心を発せしむ」から、「是を是の経の第一の功徳不思議の力と名づく」までを講義していった。「文底の立場からこの文を見れば、人間の生命の変革を可能にする、御本尊の偉大なる力について述べられた箇所といえます。

また、発心しない菩薩には仏になる心を起こさせる。哀れむことをしない者には慈しみの心を起こさせ、殺戮を好む者に慈悲心を起こさせ、嫉妬心をいだく者には随喜の心を起こさせ、財宝や名誉などに執着する者には、そのとらわれの心を捨てさせる。

また、強欲な者には施しの心を、慢心の者には自らを律する心を、人を恨み怒る者には忍耐の心を、怠惰な者には、精進の心を、心が乱れている者には、平静なる心を、愚痴が多い者には智慧の心を起こさせるというんです。

現代は、エゴの渦巻く社会です。他を思いやる余裕もなければ、冷酷なほど利己主義が深まっています。その根本的な解決の道は、信心による生命の変革、つまり、人間革命しかありません。生命の内奥から込み上げてくる人間の感情や欲望は、道徳や規律、また制裁の強化など、制度の改革をもってしても、根本的に抑制することはできない。

一切の根源をなす生命そのものの変革、心の変革こそが、個人の幸福を実現していくうえでも、世界の平和を築いていくうえでも、最重要のテーマとなる。「心の練磨に基礎をおかない限り、知性の開拓が人間を尊貴にすることはできない」とは、スイスの大教育者ペスタロッチの箴言である。

伸一は、訴えた。「わが心を磨き、生命の変革を可能にするのが御本尊の力です。仏法を自分の狭い見識の範囲内で推し量ってはならない。そして、御本尊の無限の力を引き出していく具体的な実践が唱題なんです。ゆえに、唱題こそ、人間革命の原動力であることを銘記していただきたい」

青森は旧習も深く、さまざまな土着の信仰もある。しかし、加持祈祷頼みの信仰や“おすがり信仰”であれば人間の内発的な力を開花させることはできない。伸一は、日蓮大聖人の仏法は生命の変革を説く「人間革命の宗教」であり、全人類の宿命を転換し、世界の平和を実現する、人間のための宗教であることを、あらためて確認しておきたかったのである。

1月16日、伸一が東京に戻る日だ。雪はやんでいた。彼には2月初めから18日間にわたる香港・インド訪問が控えていた。その準備とともに、定例の諸行事も間断なく組まれている。なさねばならぬことはあまりにも多かった。

時として人は、一度に幾つもの大きな課題を抱え込むと、気ばかりが焦り、結局は、何も手につかなくなり、ギブアップしてしまうことがある。人間が、一時にできるのは一つのことだ。ゆえに、さまざまな課題や仕事が一挙に降りかかってきた場合には、行う順番を決め、綿密なスケジュールを組んで、一瞬一瞬、一つ一つの事柄に全精魂を傾け、完璧に仕上げていくことである。

それには、大いなる使命力が必要となる。そのために、真剣な唱題が大事となる。伸一の日々は、多忙を極めていたが、傍目には、いつも悠々としているように見えた。青年時代から戸田城聖のもとで激務をこなし、億功の辛労を尽くすなかで、困難な幾つもの課題を成し遂げていく力を培ってきたからだ。

まさに師の訓練の賜物であった。労苦なくして人間を磨くことはできない。「時は生命だ」とは、文豪・魯迅の言葉である。時間をいかに使うかーーそれは、人生で何ができるかにつながっていく。時を最も有効に活用できる人こそが人生の勝利者となる。


太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋
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青森・秋田への指導

『新・人間革命』第29巻 清新の章 283p~

青森・秋田合同の代表幹部会は、1月14日の午後1時半から青森文化会館で開催された。参加者は、降りしきる雪のなか、頬を紅潮させ、喜々として集って来た。

伸一は、皆の日ごろの苦労が吹き飛び、体が軽くなるような、楽しく、愉快な、人間味あふれる会合にしたかったのである。形式に則ることは、もちろん必要である。しかし、形式だけに寄りかかってしまうと、型通りにやっていればよいという考えに陥ってしまい、工夫も怠り、マンネリ化が始まる。生き生きと広宣流布の運動を進めていくには、日々絶えざる確信が必要である。

伸一は、この日、「信心」と「実践」の関係について語っていった。「正しい仏道修行には、『信』と『行』の両方が、正しく備わっていなければなりません。その実践は、大聖人が『行学は信心よりをこるべく候』と仰せのように、『行』も『学』すなわち教学の研鑽も、御本尊への強い『信』から出発するものでなければならない。『信』なき実践は、一生懸命に動いていても、形式的なものになり、惰性化し、次第に歓喜も失われていってしまいます。

ともあれ、純粋にして強き信心は、おのずから、果敢にして忍耐強い実践につながっていく。『我もいたし人をも教化候へ』の御請訓のごとく、自行化他にわたる実践を展開し、この東北の天地から、新しい広布の光を放っていただきたいのであります」

伸一は、代表幹部会に続いて、秋田県の代表との懇談会や弘前大学会のメンバーと記念撮影に臨み、さらに、青森文化会館のある地元・大野支部の激励会に出席した。支部長の中沢正太郎と支部婦人部長で彼の妻である美代子が、声をそろえてあいさつした。

二人は7年間にわたって、この大野支部の支部長婦人部長を務めてきた。「支部長も、婦人部長も、いつ行っても唱題していますね」と評判になった。「何かあると一緒に悩んでくれる」ーーそれが学会の世界である。支部のメンバーも、夫妻の個性や性格をよく理解し、力を合わせ、支え合って、支部の建設に取り組んできた。一人を大切にするリーダーの祈りと行動、皆の団結が、模範の支部とつくり上げてきたのだ。

青森支部の初代支部長の金森夫妻は、自分たちのことよりも、常に同志のことを第一に考える人であった。諸会合の会場として自宅を提供するため、皆が集まりやすいようにと、わざわざ駅の近くに家を構えた。困っている人がいると聞けば、すぐに飛んでいって励ました。

”歩いた分だけ、広宣流布の道が広がる。人を励ました数だけ、人材の花が咲く、動いた分だけ、福運となる”と自分に言い聞かせながら、青森の大地に、広布開拓のクワを振るい続けたのである。

伸一は、深い感慨を込めて語った。「青森支部の誕生から、既に満20年が過ぎた。その間の青森広布の伸展は目覚ましいものがある。それは、金木夫妻のように、ただただ広宣流布のために、一切をなげうつ思いで、懸命に走り抜いてきた方々がいるからだ。

その決意と実践がなければ、広宣流布の前進はない。いよいよ学会は、これから広宣流布の総仕上げの時代に入っていく。それは東北の時代が到来したということだ。地道に、何があっても信念を曲げない、青森の“じょっぱり魂”が光輝く時代だよ」

「青森の青は、“青年の青”だ!青森の森は、“人材の森”だ!どうか青森青年部は、広宣流布を担い立つ人材の森に育ってほしい。21世紀の学会の柱は、青森の君たちだよ」

創価学会の信心は、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の御本尊への絶対の確信から始まる。そして、地涌の菩薩の使命を自覚し、死身弘法の決意に立って、日蓮大聖人の民衆救済の大法を広宣流布していく、仏意仏勅の団体が創価学会である。

ゆえに、もしも、御本尊への大確信を失うならば、創価の信心の火は消え失せてしまう。また、折伏・弘教の実践がなくなれば、学会の魂は絶え果てる。したがって、この二つを受け継ぐなかにこそ、創価の師弟があり、後継の正道があるのだ。

あの宗門が、戦時中、権力に迎合する一方で、権威の維持に汲々とし、不敗堕落していったのも、御本尊への絶対の確信なきゆえであり、宗開両祖の精神である。広宣流布の大願に生きることを忘れたからである。

太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋
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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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