小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

随方毘尼

宗教者の使命

『新・人間革命』第29巻 清新の章 315p~

第二代会長・戸田城聖は、「われらは、宗教の浅深・善悪・邪正をどこまでも研究する。文献により、あるいは実態の調査により、日一日も怠たることはない(中略)その実態を科学的に調査している」と記している。

この言葉に明らかなように、創価学会もまた、日蓮大聖人の御精神を受け継いで、常に宗教への検証作業を行ってきた。そして、調査、研究を重ね、検証を経て、日蓮仏法こそ、全人類を救済し、世界の平和を実現しうる最高の宗教であるとの確信に立ったのである。

1979年(昭和54年)当時、世界は東西冷戦の暗雲に覆われていた。そして、その雲の下には、大国の圧力によって封じ込められてはいたが、民族、宗教の対立の火種があった。東西の対立は終わらせねばならない。だが、そのあとに、民族・宗教間の対立が一挙に火を噴き、人類の前途に立ちふさがる、平和への新たな難問となりかねないことを、山本伸一は憂慮していた。

その解決のためには、民族・宗教・文明間に、国家・政治レベルだけでなく、幾重にも対話の橋を架けることだと、彼は思った。

人類の幸福と平和のために宗教者に求められることは、教えの違いはあっても、それぞれの出発点となった“救済”の心に対して、互いに敬意を払い、人類のかかえる諸問題への取り組みを開始することであろう。

この地球上には、思想・宗教、国家、民族等々、さまざまな面で異なる人間同士が住んでいる。その差異にこだわって、人を分断、差別、排斥していく思想、生き方こそが、争いを生み、平和を破壊し、人類を不幸にする元凶であり、まさに魔性の発想といえよう。

戸田が提唱した、人間は 同じ地球民族であるとの「地球民族主義」の主張は、その魔性に抗する、人類結合の思想にほかならない。

宗教者が返るべきは、あらゆる差異を払った「人間」「生命」という原点であり、この普遍の共通項に立脚した対話こそ、迂遠のようであるが、相互不信から相互理解へ、分断から結合へ、反目から友情へと大きく舵を切る平和創造の力となる。

ひとたび紛争や戦争が起こり、報復が繰り返され、凄惨な殺戮が恒常化すると、ともすれば、対話によって平和の道を開いていくことに無力さを感じ、あきらめと絶望を覚えてしまいがちである。実は、そこに平和への最大の関門がある。

仏法の眼から見た時、その絶望の深淵に横たわっているのは、人間に宿る仏性を信じ切ることのできない根本的な生命の迷い、すなわち元本の無明にほかならない。世界の恒久平和の実現とは、味方を変えれば、人間の無明との対決である。

つまり、究極的には人間を信じられるかどうかにかかっており、「信」か「不信」かの生命の対決といってよい。そこに、私たち仏法者の、平和建設への大きな使命があることを知らねばならない。

では、宗教を比較、検証するうえで求められる尺度とは何であろうか。平易に表現すれば、「人間を強くするのか、弱くするのか」「善くするのか、悪くするのか」「賢くするのか、愚かにするのか」に要約されよう。

伸一は、本年、「七つの鐘」が鳴り終わることを思うと、未来へ、未来へと思索は広がり、21世紀へ向かって、人類の平和のために学会が、宗教が、進むべき道について考えざるをえなかった。そして、宗教の在り方などをめぐっての、ウィルソン教授との意見交換を大切にしていきたいと思った。

伸一と教授は、その後、対談を重ね、1974年秋、英語版の対談集『社会と宗教」をイギリスのマクドナルド社から発刊する。

1979年2月1日、山本伸一は鹿児島県の九州研修道場にいた。三日後にはインドを公式訪問することになっていたのである。その多様性に富んだ、“世界連邦”ともいうべきインドの興隆は、人類の平和の縮図となり、象徴になると伸一は考えていた。

今回のインド訪問は、「七つの鐘」の掉尾を飾るとともに、21世紀への新しい旅立ちとなる、ひときわ深い意義をもつ世界旅であった。彼は、その記念すべき訪問の出発地を、どこにすべきかを考えた時、即座に九州しかないと思った。九州は、日蓮大聖人の御遺命である「仏法西還」を誓願した恩師・戸田城聖が、東洋広布を託した天地であるからだ。

彼は、「七つの鐘」の終了後の、学会と広宣流布の未来へ、思いを巡らしていった。今後、自分が最も力を注ぐべきは世界広布であり、人類の平和の大道を切り開くことではないかと思った。伸一は、自身の人生の最大のテーマは、「世界広布の基礎完成」にあると心に決めていた。


太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋
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いまだこりず候の精神

『新・人間革命』第29巻 清新の章 303p~

1月19日には、神奈川県の川崎文化会館で、1月度本部幹部会が、晴れやかに行われた。伸一は、この佳節の年を迎えた感慨を胸に、恩師・戸田城聖への思いを語った。

「私は、日々、戸田先生の指導を思い起こし、心で先生と対話しながら、広宣流布の指揮を執ってまいりました。ある時、『曾谷殿御返事』の講義をしてくださった。『此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆らう道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候』の箇所に至った時、先生は、『これだよ。“いまだこりず候”だよ』と強調され、こう語られたことがあります。

『私どもは、もったいなくも日蓮大聖人の仏子である。地涌の菩薩である。なれば、わが創価学会の精神もここにある。不肖私も広宣流布のためには、“いまだこりず候”である。大聖人の御遺命を果たしゆくのだから、大難の連続であることは、当然、覚悟しなければならない!勇気と忍耐を持つのだ』ーーその言葉は、今でもわたしの胸に、鮮烈に残っております。

私どもは、この“いまだこりず候”の精神で、自ら決めた使命の道を勇敢に邁進してまいりたい。もとより私も、その決心でおります。親愛なる同志の皆様方も、どうか、この御金言を生涯の指針として健闘し抜いてください」学会は大前進を続けてきた。だからこそ伸一は、大難の襲来を予感していたのだ。

1月20日、山本伸一は、来日中のオックスフォード大学のウィルソン社会学教授と、会談した。教授とは、前年の聖教新聞社での語らいに続いて二度目の会談である。会談では、今後、宗教が担うべき使命などについて、意見の交換が行われた。

仏法は、「随方毘尼」という考え方に立っている。仏法の本義に違わない限り、各地域の文化、風俗、習慣や、時代の風習に随うべきだとうものである。それは、社会、時代の違い、変化に対応することの大切さを示すだけでなく、文化などの差異を、むしろ積極的に尊重していくことを教えているといえよう。

この
「随方毘尼」という視座の欠落が、原理主義、教条主義といってよい。自分たちの宗教の教えをはじめ、文化、風俗、習慣などを、ことごとく「絶対善」であるとし、多様性や変化を受け入れようとしない在り方である。それは、結局、自分たちと異なるものを、一方的に「悪」と断じて、差別、排斥していくことになる。本来、宗教は、人間の幸福のために、社会の繁栄のために、世界の平和のためにこそある。

宗教者が、自ら信奉する教えに対して強い確信をいだくのは当然であり、それなくしては、布教もできないし、その教えを精神の揺るがぬ柱としていくこともできない。大切なことは、その主張に確たる裏付けがあり、検証に耐えうるかどうかということである。確かな裏付けのない確信は、盲信であり、独善にすぎない。

堅固な宗教的信念をもって、開かれた議論をしていくことと、排他性、非寛容とは全く異なる。理性的な宗教批判は、宗教の教えを検証し、また向上させるうえで、むしろ不可欠な要因といえる。

大聖人が「立正安国論」を認められた当時の鎌倉は、大地震が頻発し、飢饉が打ち続き、疫病が蔓延していた。時代を問わず、人は最悪な事態が続くと、自分のいる環境、社会に絶望し、“もう、何をしてもだめだ”との思いを抱き、“この苦しい現実からなんとか逃れたい”と考えてしまいがちなものだ。

そして、今いる場所で、努力、工夫を重ねて現状を打破していくのではなく、投げやりになったり、受動的に物事を受けとめるだけになったりしてしまう。その結果、不幸の連鎖を引き起こしていくことになる。それは、鎌倉時代における「西方浄土」を求める現実逃避、「他力本願」という自己努力の放棄などと、軌を一にするとはいえまいか。

いわば、念仏思想とは、人間が困難に追い込まれ苦悩に沈んだ時に陥りがちな、生命傾向の象徴的な類型でもある。つまり、人は、念仏的志向を生命の働きとしてもっているからこそ、念仏に同調していくのである。大聖人は、念仏破折をもって、あきらめ、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく“弱さ”の根を絶とうとされたのである。

大聖人は、法華経以外の諸経の意味を認めていなかったわけではない。それは、御書の随所で、さまざまな経典を引き信心の在り方などを示していることからも明らかである。


太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋
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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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