小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

選挙活動の自由

中里炭鉱事件

『新・人間革命』第6巻 波浪の章 P286~

尾去沢の事件のことは、すぐに学会本部にも連絡が入り、さっそく渉外局員などを派遣し対策にあたった。彼らは労働組合幹部ともあい統制の理由を尋ねると、「そりゃあ、今度の選挙のことだと」と本音を漏らした。

労組の臨時大会が開かれるが、"弁明するなら出席せよ"と当事者に通知されたのは、大会の2時間前で、形ばかりの連絡であり、結局二人は欠席のまま除名処分が決議された。それは、二人の会社からの解雇を意味している。

二人は直ちに、地方裁判所に除名決議の効力停止処分を申請した。除名・解雇によって生じる生活上の危険・不安を防止しまた、除去するための措置である。

会社は、二人を呼び出し、解雇を告げた。このままでは、社宅の住居も立ち退かなければならないことになる。周囲の人は、山尾たちとは口をきかなくなった。

ミヤの母親が ここを出ていこうかと言うが、ミヤは「とんでもね。おれだちが出て行ったら、後に残った同志はどうするの。みんながかわいそうだ!おれだちは絶対、ここ動がれねぇ」

山尾らが解雇されたあと、組合は、ほかの学会員にも監視の目を光らせるようになった。じわじわと真綿で首をしめるように、陰湿な圧迫が加えられていった。

この頃、尾去沢の同志が合言葉のように語り合っていたことがあった。「あの夕張も"天下の炭労"に勝った。おれだちも負けるはずはねぇ」それは、北海道の夕張炭労事件のことであった。

1957年、北海道で最大の炭労組織であった夕張炭労は、公然と学会員の排斥に動きだしたのである。この事件も、前年の参院選挙で、炭労に所属する学会員が、学会推薦の候補者を推したことを理由に、炭労の団結を乱したとして起こったものであった。

伸一は、人権を守り、民衆を守るために、北海の大地をひた走った。そして、遂に、夕張炭労は、学会員排除の方針を全面撤回するに至った。この夕張炭労事件の勝利は、晴れ渡る民衆大運動の栄光の歴史として、尾去沢の友の、勇気と希望の光源となっていたのである。

山尾たちが秋田地裁に提出した仮処分は受理され、法廷闘争に移っていった。裁判所は、組合側は除名処分を取り消し、両者は和解するように勧告し、組合側は、この和解勧告を受け入れた。

結局、組合は、臨時大会を開いて、山尾ら二人の学会員の除名処分の撤回を決議したのである。
当然のことが通らず、山尾たちは半年近くにわたって、苦渋と屈辱の日々を強いられた。

だが、わが同志は勝った。組合が自分たちの決議を自ら覆すという、未聞の大逆転となったのだ。
尾去沢のヤマに、不屈の信仰の勝利の旗が翻ったのである。


秋田の尾去沢で、事件が突発したころ、西の長崎、佐世保の中里炭鉱でも、同様の事件が起こった。
炭坑の社宅近くの鮮魚店に、公政連推薦のポスターを一枚張った行為が問題にされたのである。

この中里炭鉱でも、ユニオン・ショップ制をとっており、組合からの除名処分によって、二人が
会社から解雇されることは決定的となったため、長崎地裁に組合除名決議の効力停止の仮処分申請を行った。仮処分申請が認められ、二人は 除名によって職場を追われることはなくなったのである。

しかし、事態は、それほど、生易しいものではなかった。職場では、陰湿極まりない謀略が待ち受けていたのである。

木田悟郎が突然、除名問題とは 別の理由で解雇されてしまった。吉山恒造は、「採炭」から掃除などの雑役の「坑内日役」に移動させられ、給料が 3万2千円から 1万円に減ってしまった。4人の子どもがいる吉山は 生活がひっ迫し、民生委員に生活保護を相談したが、民生委員も組合員で、会社の対面に傷がつくなどといって、なんの対応もしてくれなかった。

職場の不遇には、まだ我慢ができた。しかし、幼い子供たちが除け者にされ、いじめられて帰ってくるのを見ると身を切られるように辛かった。そんな時、妻のヨシエの明るさが彼を励ました。

一途な性格の吉山は、苦しいと思うと、真剣に唱題に励み、むさぼるように御書を拝していった。

社宅には 部外者の立ち入りにも 厳しい監視の目が向けられ、夜、周囲が寝静まるのを待って先輩幹部が激励に通った。


佐世保支部長の松川は、自分が食べたいと言ってうどんを持ってきた。「自分は金銭的には、なんの応援もできんたい。それに、この信心は、誰やらに助けてもらうということば、お願いする信心じゃなか。自分ば人間革命する信心たい。自分で立ち上がり、自分の力で勝しかなかとたい。人ば頼ろうと思っちゃ負けばい。いくら、金ばもらっても自分の宿命は変わらん。宿命ば転換せんば、幸福にはならんとばい。」

「信心して、こぎゃん難が来たことは、いよいよ宿命転換ばできるということたい。戦うことない。獅子のごと戦うたい」

真の信仰とは、"おすがり信仰"ではない。自分の幸福をつくるのは自分自身である。ゆえに、どんな苦境にあっても、自分で立ち上がってみせるという"負けじ魂"こそ、幸福の根本条件であることを、松川は教えたかったのである。

吉山には、松川の気遣いも、思いも、痛いほどわかった。こうした同志の激励をバネに、吉山は苦境を耐え抜いたのである。

中里炭鉱の事件は 本裁判に持ち込まれた。8回にわたる後半の末、長崎地裁は、除名決議は無効との判決を下したが、組合側は、判決を不服として控訴した。福岡高裁は、控訴棄却の判決を出すが、さらに組合側は最高裁に上告したのである。組合の対面を守るためだけの醜い姿であった。

その結果、裁判の決着は 中里炭鉱が閉鎖された後も続いた。判決は、上告から4年後"組合員の政治活動を制限することは、組合の統制権の限界を超えるものであり、違法である"という趣旨の判決を下し、組合の除名処分を剥こうとした。

実に、事件勃発から7年の歳月を経て、遂に、全面勝訴が決まったのである。既に、中里炭鉱の閉山から2年余が過ぎ、吉山の長年の苦闘を思えば、判決は遅すぎたといえるが、彼が裁判で勝ったことには、大きな意味があった。

組合の統制権によって、組合員の信教の自由、政治活動の自由を拘束できないことが、判例としても明らかになったからである。

山本伸一は、尾去沢鉱山と中里炭鉱の事件が起こった時、これは広宣流布の行く手をさえぎる嵐の、ほんの前ぶれにすぎないことを感じていた。

学会は、仏法者の社会的使命を果たすために、波の穏やかな内海から時代の建設という、波浪の猛る大会に乗り出したのだ。

彼は、疾風も、怒涛も、覚悟のうえであった。人類の永遠の平和とヒューマニズムの勝利のために、伸一は、殉難を恐れず、創価の大船の舵を必死に取り続けるしかなかった。

船内の同志たちの幸福と安穏とを、ひたすらに、祈り念じながらー。

<波浪の章終了>


太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋

尾去沢鉱山事件

『新・人間革命』第6巻 波浪の章 P277~

議員のメンバーが、私利私欲に走り、腐敗堕落するなら、彼らを政界に送り出した意味も、公明政治連盟を結成した意味もなくなってしまう。だから、伸一は、未来への警鐘として あえて厳しく言った。

伸一は、この勝利が各政党などに脅威を与え、大きな波紋を呼ぶであろうことを覚悟していた。

労働組合の幹部たちは、学会の躍進に対して大きな脅威をいだいていたことは確かであったようだ。事実、この参院選挙をきっかけとして、一部の労働組合は、組合に所属する学会員に、陰湿な圧迫を加えてきた。


なかでも、秋田の尾去沢鉱山と長崎・佐世保の中里炭鉱の労働組合では、それが実際に「組合除名」となって、あらわれたのである。

秋田県の北部にある、尾去沢鉱山は、日本の三大鉱山の一つとして名高く、日本有数の歴史と規模をもつ鉱山であった。この鉱山の組合で、除名事件が起こったのである。

参院選挙の全国区で、公明政治連盟の関久男は 26位で当選を果たしたのに対し、鉱山の労働組合が押した革新政党の候補は、大接戦の末、次点と約1700票差で、かろうじて最下位当選した。

この肝を冷やすような大苦戦と、学会員が指示した関の町内からの意外な高得票は、尾去沢鉱山の労組の幹部にとって看過できない事態と映ったようだ。

尾去沢鉱山の労働組合は、全国組織の全鉱のなかでも重きをなし、力も強かった。その組合の幹部が、学会員の支援活動に恐れをいだき、このままいけば、労組の基盤が揺るがされるとの、強い危機感を募らせたのである。

参院選挙が終わった直後学会の地区部長をしている山尾久也と言う壮年が組合事務所に呼ばれ、組合の統制委員会にかけられた。

山尾は、温厚な人物で、20年ほどこの鉱山で仕事をしてきたベテラン鉱員であり、町議会議員も務め、周囲の人びとの信頼も厚かった。

彼らは、参院選挙のことには触れず、彼の町会議員としての所属政党のことで追及してきた。組合側は 社会党に入るように進めたが、それを拒否したから組合の統制を破ったというのである。

全鉱の幹部が、恫喝するかのように山尾に言った。「組合の組織につかんもんは、やめてしまえ!」

この前日にも本郷という学会員が組合事務所に呼ばれ、統制委員会にかけられていた。本郷が選挙の折、戸別訪問をしてしまい、罰金刑となったことを指摘し、組合の名を汚したので"今後、創価学会とは手を切る"というを書けば、穏便にすませてやろうと迫ったのだ。

学会員が組合推薦の候補者を支援しなかったことを理由にすれば、「信教の自由」や「選挙活動の自由」に抵触することを懸念し、別の処分の口実を考えたのであろう。

尾去沢鉱山では、ユニオン・ショップ制をとっていたため、従業員は組合員でなければならず、組合から除名され、組合員の資格を失えば、会社からも解雇されることになる。本来、ユニオン・ショップ制は、労働者が団結して雇用者と交渉するために生まれたものだ。それを逆手に取って組合は、学会員の労働者のクビを切ろうとしているのである。


夫の話を聞くと、気丈な性格の妻のミヤは、「こっちは、なあんも悪いごどしてねぇ。クビにするならしてみれ!父さん遂に、来るべきもんが来たな。『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起こる』だものな・・・。こんなごどで、負げでなんかいられね」と怒りを含んだ声で言った。

ミヤのその言葉は、久也にとって最大の励ましであった。「おれをクビにしたら、このヤマの学会員は、みんな恐れで、信心をやめるど思ってるんだ・・・。そんなごどにならねぇ」


「山本先生も 5月に仙台に来られだ時、広宣流布の前進には、必ず大難が起ごるって言われだ。おれだちの信心も、ようやく一人前になったのかもしれないな」

尾去沢のヤマで働く仲間たちは、それぞれが、それぞれの悩みをかかえていた。病苦、体の不自由な子供をもつ親の悩み、家庭不和、あるいは、夫が稼ぎを博打や酒に注ぎ込み、貧乏暮らしに喘ぐ家族もいた。

皆の悩みの一つ一つは、組合活動による労働条件の改善だけでは癒し難い苦悩であった。
"この仲間を幸福にするのが、おれだちの使命だ"

山尾は、この尾去沢の鉱山を愛し、ともに働く仲間たちを愛していた。夫婦の相手を思う真剣な対話に、信心を始める人が次第に増え始めた。このころには、同志は、尾去沢の街で、120~30世帯を数えるほどになっていた。

こうして燃え広がった信仰の火が、今、激しい嵐にさらされようとしていたのである。



太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋

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