『新・人間革命』第19巻 陽光の章 199P~
生きるということは、戦うということである。細胞も戦っている。血液も戦っている。人生も闘争だ。社会も闘争だ。
私たち、はなんのために戦うのか。自身の幸福のためである。何があっても挫けない、自分自身を築くためである。人間革命のためである。また、人びとの幸福のためである。社会の繁栄と平和のためである。
戦う限り、勝たねばならない。絶対に勝つと決めて、戦い抜くのだ。勝利のためには、何よりも己自信を制覇せねばならぬ。
自身に勝つのだ!
臆病に勝つのだ!
あきらめの心に勝つのだ!
怠惰に勝つのだ!
自身に打ち勝ってこそ、大いなる「前進」があり、燦然と「勝利」の陽光は輝くのだ。
1974年(昭和49年)3月28日、山本伸一たちの乗った飛行機は、アメリカのロサンゼルスへと向かっていた。午後11時、給油のために、メキシコ市の国際空港に到着した。
すると空港には100人ほどのメンバーが、伸一に会いたいと空港に集っていた。伸一が9年前、メキシコを訪問した時皆、身なりは質素であったが、ここに集った同志は、衣服も立派であり、功徳に満ちあふれていた。伸一は、皆と一緒に記念撮影をした。出発時刻ぎりぎりまで、励まし続けるのであった。
伸一たちが、ロサンゼルスの空港に到着したのは、現地時間の午前3時過ぎ。リマを出発してから、14時間が経過していた。マリブ研修所には夜明け前に到着した。伸一の体を心配する幹部に「私に『疲れた』という言葉はありません。」と毅然とした口調で答えた。
アメリカ青年部の代表や若手通訳らとも懇談した。通訳のポイントを5つあげるとともに、通訳は、事前の準備が大事で、相手の経歴や、著作、国や、地域、自然、歴史などもしっかり勉強しておかなければならないとアドバイスした。
「皆さんの使命は限りなく深く、大きい。実力を蓄えて、偉大な通訳、力ある翻訳者に大成長するんだよ」
31日は、サンタアナ会館の開所式に出席した。これには、同市のジェリー・M・パターソン市長も来賓として出席し、伸一に名誉市民称号を授与し、市の「鍵」と「盾」を贈った。
4月1日 いよいよUCLAでの記念講演の日を迎えた。伸一にとって、世界の大学での正式な講演は、これが初めてであった。
ミラー副総長は、前年の73年に伸一が創価大学で行った「スコラ哲学と現代文明」と愛する講演に言及。現代文明が行き詰まりを呈した今、中世の時代精神を形成したスコラ哲学に新たに光をあて、新しい時代の開幕のために、新しい大学、新しい哲学の興隆が必要であるとの講演に大いに共感したという。
同行の幹部たちは、世界の知性による賞讃に驚嘆した。同時に、身近にいながら、師の本当の偉大さが、まだまだわかっていなかった自信を恥じるのであった。
講演会場となったディクソン講堂の外には、既に1時間も前から多くの学生たちが待っていた。伸一の歴史的な大学講演が始まったのは、現地時間の4月1日午後3時過ぎであった。日本時間では、4月2日、つまり戸田城聖の祥月命日の朝である。伸一は、講演の開始を待ちながら、戸田から世界広布を託された日のことがまざまざと思い起こされてならなかった。
伸一今、心で戸田に語りかけた。"先生!私は今日、アメリカの名門校として知られる、カリフォルニア大学ロサンゼルス校に来ております。これから先生に代わって、先生に教えていただいた仏法の生命論の一端を語ってまいります。世界に向かって、創価思想の叫びを放ちます。弟子の戦いをご覧ください"伸一の胸に、微笑みながら頷く、戸田の顔が浮かんだ。師を思うと、勇気が涌いた。歓喜があふれた。それが師弟である。
ほどなく、嵐のような拍手が轟き、伸一の講演が始まった。
生きるということは、戦うということである。細胞も戦っている。血液も戦っている。人生も闘争だ。社会も闘争だ。
私たち、はなんのために戦うのか。自身の幸福のためである。何があっても挫けない、自分自身を築くためである。人間革命のためである。また、人びとの幸福のためである。社会の繁栄と平和のためである。
戦う限り、勝たねばならない。絶対に勝つと決めて、戦い抜くのだ。勝利のためには、何よりも己自信を制覇せねばならぬ。
自身に勝つのだ!
臆病に勝つのだ!
あきらめの心に勝つのだ!
怠惰に勝つのだ!
自身に打ち勝ってこそ、大いなる「前進」があり、燦然と「勝利」の陽光は輝くのだ。
1974年(昭和49年)3月28日、山本伸一たちの乗った飛行機は、アメリカのロサンゼルスへと向かっていた。午後11時、給油のために、メキシコ市の国際空港に到着した。
すると空港には100人ほどのメンバーが、伸一に会いたいと空港に集っていた。伸一が9年前、メキシコを訪問した時皆、身なりは質素であったが、ここに集った同志は、衣服も立派であり、功徳に満ちあふれていた。伸一は、皆と一緒に記念撮影をした。出発時刻ぎりぎりまで、励まし続けるのであった。
伸一たちが、ロサンゼルスの空港に到着したのは、現地時間の午前3時過ぎ。リマを出発してから、14時間が経過していた。マリブ研修所には夜明け前に到着した。伸一の体を心配する幹部に「私に『疲れた』という言葉はありません。」と毅然とした口調で答えた。
アメリカ青年部の代表や若手通訳らとも懇談した。通訳のポイントを5つあげるとともに、通訳は、事前の準備が大事で、相手の経歴や、著作、国や、地域、自然、歴史などもしっかり勉強しておかなければならないとアドバイスした。
「皆さんの使命は限りなく深く、大きい。実力を蓄えて、偉大な通訳、力ある翻訳者に大成長するんだよ」
31日は、サンタアナ会館の開所式に出席した。これには、同市のジェリー・M・パターソン市長も来賓として出席し、伸一に名誉市民称号を授与し、市の「鍵」と「盾」を贈った。
4月1日 いよいよUCLAでの記念講演の日を迎えた。伸一にとって、世界の大学での正式な講演は、これが初めてであった。
ミラー副総長は、前年の73年に伸一が創価大学で行った「スコラ哲学と現代文明」と愛する講演に言及。現代文明が行き詰まりを呈した今、中世の時代精神を形成したスコラ哲学に新たに光をあて、新しい時代の開幕のために、新しい大学、新しい哲学の興隆が必要であるとの講演に大いに共感したという。
同行の幹部たちは、世界の知性による賞讃に驚嘆した。同時に、身近にいながら、師の本当の偉大さが、まだまだわかっていなかった自信を恥じるのであった。
講演会場となったディクソン講堂の外には、既に1時間も前から多くの学生たちが待っていた。伸一の歴史的な大学講演が始まったのは、現地時間の4月1日午後3時過ぎであった。日本時間では、4月2日、つまり戸田城聖の祥月命日の朝である。伸一は、講演の開始を待ちながら、戸田から世界広布を託された日のことがまざまざと思い起こされてならなかった。
伸一今、心で戸田に語りかけた。"先生!私は今日、アメリカの名門校として知られる、カリフォルニア大学ロサンゼルス校に来ております。これから先生に代わって、先生に教えていただいた仏法の生命論の一端を語ってまいります。世界に向かって、創価思想の叫びを放ちます。弟子の戦いをご覧ください"伸一の胸に、微笑みながら頷く、戸田の顔が浮かんだ。師を思うと、勇気が涌いた。歓喜があふれた。それが師弟である。
ほどなく、嵐のような拍手が轟き、伸一の講演が始まった。
太字は 『新・人間革命』第19巻より 抜粋