『新・人間革命』第11巻 躍進の章 P320~

<躍進の章 開始>

勢いは勢いを呼ぶ。燃え上がる炎が、大風にあえば、ますます燃え盛るように、勢いある前進は逆境を跳ね返し、困難の壁を打ち砕く。

目覚め立った民衆の、怒涛のごとき社会建設の潮流を、舞い踊るがごとき歓喜の行進を、いったい誰がさえぎれるというのか。いかなる権力も、時代を押し返すことはできない。それが歴史の教訓である。

1966年(昭和41年)「黎明の年」11月末、学会は念願の会員600万世帯を達成し、610万世帯になっていた。山本伸一が64年に次の7年間の目標として示してから2年半で、180万世帯の拡大を成し遂げたことになる。

そして、迎えた67年「躍進の年」は、伸一の会長就任7周年の佳節を刻む年であった。皆が燃えていた。自分たちが一生懸命に動いた分だけ、未聞の広宣流布の扉が確実に開かれ、時代が、社会が、大きく変わっていく手ごたえを、誰もが感じていたからだ。

皆、自己自身が広布推進の主役であることを深く自覚し、新しき年の大勝利へ、ますます情熱を燃え上がらせていたのである。

「躍進の年」を迎えた、伸一の決意は強く、固く、深かった。彼はこの一年を、広宣流布の黄金の飛躍台にしなければならないと、心に決めていたのである。

時代は、万人に平等に与えられている。しかし、大願を果たそうとする者にとっては、時はあまりにも短い。彼には、時は「光の矢」のように感じられた。だから、一瞬一瞬が真剣勝負であった。常に「いつ倒れても悔いはない」「今、倒れても悔いはない」と言い切れる実践を自らに課してきた。

「不惜身命」とは、「臨終只今」の覚悟で、今を、今日を、明日を、戦い抜く心である。

第一線で活躍する同志を、仏を敬うがごとく讃え、励まし、勇気づけることである。山本伸一は、大躍進のスタートを飾るために、この1月は、全国を駆け巡ろうと、念頭からフル回転で動き始めた。

1月9日に関西を訪問したのをはじめ、北海道、九州、中部、千葉、中国、静岡、神奈川などを駆け巡り、二週間ほどの間に国内をほぼ一巡したのである。瞬時の休みもない激闘であった。

1月29日は、衆議院選挙の投票日であった。公明党にとっては、初の衆院選挙であった。今回衆議院が解散した背景には、「黒い霧事件」といわれる、閣僚や代議士の職権乱用、汚職など、不正への疑惑が、相次いで浮上したことがあった。

この政治不信をぬぎ去り、本来の議会政治を確立し、政界を浄化することができるかどうかが、今回の総選挙の最大のテーマといえた。それだけに、政界浄化に積極的に取り組み、数多くの実績を上げてきた公明党の、衆議院進出に対する期待は、会員だけでなく、社会にも大きかった。

しかし、公明党の衆議院進出に、政界も、宗教界も脅威を抱き、党を誕生させた創価学会にさまざまな圧力を加えてきた。脅迫とも思える強圧的な態度や、懐柔策をちらつかせながら、山本伸一に接触してくる、いわゆる”大物政治家”もいた。

学会本部への脅しや嫌がらせの電話、手紙も、後を絶たなかった。
その一方、公明との結成前後から、衆議院の選挙制度を変えて、単純小選挙区制を採用しようとする自民党政府の動きが本格化し始めていったのである。

単純小選挙区制は、当選者が一人であるため、多くの選挙区で、一位になる可能性が高い、第一党、大政党にとっては有利このうえない制度である。

二位以下の候補者に投じた票は、いっさい議席につながることなく、“死票”となってしまい、有権者の意思が反映されにくい制度といえる。

この動きに敏感に反応したのは青年部であった。



太字は 『新・人間革命』第11巻より 抜粋