『新・人間革命』第9巻 鳳雛の章 P169~

伸一は、高等部員の本格的な成長を図るために、年明けから、毎月、御書の講義を行うことを決意したのであった。研鑽する御書を「諸法実相抄」とした。


メンバーは予習に力を注いだが、通解をすることさえ容易ではなかった。ある女子高等部員は、講義録を見つけ、研鑽に励んだ。あるメンバーは事前に130回も拝読して臨んだ。

伸一は、そこに高等部員の、力の限り、体当たりでぶつかろうとする、一途な求道の心を実感した。確かな手応えを感じた。彼は、メンバーの拝読と、すばらしき通解を聴き、ことさら、平易に語る必要はないと思った。

しかし、観念的な理解にならないように、高校生の生活に即して、説明するように心がけた。例えば、「依正不二」についてはこう語った。

「諸君だって、頑張って勉強し、成績がよくなって、喜び勇んで家に帰ったような時には、家のなかの感じも違うでしょう。お父さんお母さんの、目つきも違ってくるし、お小遣いも多くなるかもしれない。」

「自分の一念、生命が変われば、周囲の感じ方も変わってくるし、環境そのものが変化していく。その原理を示しているのが、『依正不二』ということです。」

「戦争といっても、本当の要因は人間の心のなかにある。人間の支配欲、征服欲、権力欲、憎悪、怨念等々から起こるものです。だから、平和といっても、人間革命が根本になる。」

「また、最近、深刻になっている公害も、現代人の欲望の産物です。便利さ、豊かさばかりを追い求め、自然との調和を忘れた人間の生き方に、その大きな原因がある。」

「依正不二という考え方にたつならば、結局は、環境の破壊は、人間自身の苦しみに繋がることは明らかになる。だからこそ、正しい哲学を確立し、人間の生き方、考え方、そのものを変えていかなくてはならない。それが人間革命です。」若き鳳雛たちは、仏法の深遠な思想に触れ、感動に瞳を輝かせていた。講義が終わると、彼は皆にタイ焼きをごちそうした。そこには家族のような温かさが漂っていた。

伸一は、この日の夜、当時の佐藤栄作首相を、鎌倉の別邸に尋ね、会談することになっていた。“私は、皆を、生涯、守り続けていかねばならない。そして、この高校生たちが、自在に活躍できる大舞台を開くのだ。そのために、佐藤首相とも、日本の将来のこと、教育の問題、国際問題について、十分に語り合おう”

伸一は、このころから、日本の、そして、未来のために、各界の要人たちとの対話を、心がけていたのである。

「生死一大事血脈抄」の講義の折であった。「諸君は、この御文を胸に刻み、一生涯忘れずに、互いに戒め合い、異体同心の団結で、広宣流布の総仕上げをしていただきたい。そうすれば、広宣流布の不滅の流れができる。」

「大聖人亡きあと、なぜ、日蓮教団は分裂していったか。それは、日興上人を中心に、団結することができなかったからです。」

「人間は、年とともに、権力に心を奪われ、自分の地位、立場などに強い執着をもち、名聞名利に流されていく。『自己中心』になっていくものです。すると、信心をもって団結することができなくなる。それでは、どんな学会の役職についていたとしても、信心の敗北だ。信心というのは、結局は、この『自己中心』の心との戦いなんです。」

彼の講義は、時に遺言のように、メンバーの胸に鋭く迫った。
「佐渡御書」では、「悪は徒党を組んで、正法を滅ぼそうとする。学会憎しの一点で、政治権力も、宗教も合同して、攻撃の牙をむいてくるにちがいない。しかし、たとえ、一人になっても“師子王”のごとき心をもって、広布の使命を果たしていくのが本当の弟子です。」

「真実の団結というのは、臆病な人間のもたれ合いではない。一人立つ獅子と獅子との共戦です。」
彼の講義には、側近の最高幹部に指導するかのような、厳しい響きがあった。


太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋