『新・人間革命』第8巻 宝剣の章 P162~
「法華講々員一般」への訓諭も、厳しい内容であった。
法華講は、日蓮正宗の各寺院に所属する壇信徒の集まりである。
「もし、いささかでも、創価学会に対して、実にあれ、不実にあれ、誤った考えをいだき、謗言をほしいままにする者があるとするならば、すべてこれは広布の浄業を阻害する大僻見の人であり、無間地獄への罪を開く者というべきである。」と記されている。
この訓諭の発表に至るまでには、どれほど、会員の苦しみがあったか、計り知れないものがある。それまでに、山本伸一のところへ、会員から、僧侶に関するさまざまな訴えが寄せられていた。
「学会が折伏ばかりするから、昼も夜も“御授戒”が忙しくて、休養もとれない」、「学会員が寺を使って会合を開くのは迷惑だ」という僧侶もいれば、学会の会合の時には、御本尊の御厨子の扉を開けない寺さえあった。
広宣流布のために懸命に働く学会員にとって、僧侶から折伏や会合をなじるような言葉を聞かされた悔しさは、いかばかりであったことか。
また、僧侶の行状にも目にあまるものがあった。勤行をしなかったり、夜ごと、遊興にふける僧侶の話も枚挙に暇がなかった。一方、法華講員のなかにも、学会への暴言を吐く者がいた。
法華講の連合会のなかには、学会を”新参者”とみなし、もともとの壇信徒である自分たちの方が、尊重されてしかるべきであるという、強い思いをいだいている人が少なくなかった。なかには、嫉妬を剝きだしにして、学会への誹謗中傷を繰り返す者もいたのである。
こうした非難に、学会員は耐えながら、ただひたすら、人びとの幸福をわが使命と定め、広宣流布に邁進してきたのである。伸一は、僧侶の醜態や法華講員の学会への暴言を耳にするたびに、激しく心を痛めてきた。そして、宗門の役僧などにそれを伝え、僧侶の規律を正すように、強く要請してきた。だが、何も改まらなかった。
静岡本部長の大山は 登山部の副部長でもあり、宗門と接触する機会が多く、総本山のことについては、詳しかった。その彼が、沈痛な顔で語り始めた。「この辺りでは、『放蕩三昧の坊さんたち』と言われているんです。
事実、飲み屋に入り浸るご僧侶や、芸者遊びにうつつを抜かすご僧侶を、学会員は目にし、みんな落胆しています。異性に関する問題もいろいろ噂になっています。また、ご僧侶同士で酒を飲みに行き、真面目に信心に励んでいる学会員を見下すような話をしていることもあります」
「戸田先生も、山本先生も宗門に忠誠を尽くしてこられましたが、ご僧侶の多くは、なんの恩義も感じていません。当たり前のように思っています。」
「先生、私たちは、広宣流布のためなら、どんなことをしても宗門を守ります。生活がどんなに苦しかろうが、供養もします。事実、そうしてきました。しかし、広宣流布の団体である学会を誹謗するご僧侶の、遊興のための供養は、一銭も出したくありません。これは私だけでなく、みんなの気持ちなんです。」
「坊主たちのなかには、学会を利用するだけ利用したら、あとはなくしてしまおうと思っている者がいるんです。しかも彼らは、何かあれば、御本尊という信仰の根本を、信徒を服従させるための道具に使おうと考えているんです。恐ろしいことです。」
もう我慢も限界に達しているという大山に、総本部の役僧あてに電話を入れた伸一だったが、要を得ない、のらりくらりとした答えしかかえってこない。伸一は、業を煮やして、「弁解や事情説明を繰り返すのではなく、猊下ともご相談して、早急に結論を出していただきたい」と言って電話を切った。
「法華講々員一般」への訓諭も、厳しい内容であった。
法華講は、日蓮正宗の各寺院に所属する壇信徒の集まりである。
「もし、いささかでも、創価学会に対して、実にあれ、不実にあれ、誤った考えをいだき、謗言をほしいままにする者があるとするならば、すべてこれは広布の浄業を阻害する大僻見の人であり、無間地獄への罪を開く者というべきである。」と記されている。
この訓諭の発表に至るまでには、どれほど、会員の苦しみがあったか、計り知れないものがある。それまでに、山本伸一のところへ、会員から、僧侶に関するさまざまな訴えが寄せられていた。
「学会が折伏ばかりするから、昼も夜も“御授戒”が忙しくて、休養もとれない」、「学会員が寺を使って会合を開くのは迷惑だ」という僧侶もいれば、学会の会合の時には、御本尊の御厨子の扉を開けない寺さえあった。
広宣流布のために懸命に働く学会員にとって、僧侶から折伏や会合をなじるような言葉を聞かされた悔しさは、いかばかりであったことか。
また、僧侶の行状にも目にあまるものがあった。勤行をしなかったり、夜ごと、遊興にふける僧侶の話も枚挙に暇がなかった。一方、法華講員のなかにも、学会への暴言を吐く者がいた。
法華講の連合会のなかには、学会を”新参者”とみなし、もともとの壇信徒である自分たちの方が、尊重されてしかるべきであるという、強い思いをいだいている人が少なくなかった。なかには、嫉妬を剝きだしにして、学会への誹謗中傷を繰り返す者もいたのである。
こうした非難に、学会員は耐えながら、ただひたすら、人びとの幸福をわが使命と定め、広宣流布に邁進してきたのである。伸一は、僧侶の醜態や法華講員の学会への暴言を耳にするたびに、激しく心を痛めてきた。そして、宗門の役僧などにそれを伝え、僧侶の規律を正すように、強く要請してきた。だが、何も改まらなかった。
静岡本部長の大山は 登山部の副部長でもあり、宗門と接触する機会が多く、総本山のことについては、詳しかった。その彼が、沈痛な顔で語り始めた。「この辺りでは、『放蕩三昧の坊さんたち』と言われているんです。
事実、飲み屋に入り浸るご僧侶や、芸者遊びにうつつを抜かすご僧侶を、学会員は目にし、みんな落胆しています。異性に関する問題もいろいろ噂になっています。また、ご僧侶同士で酒を飲みに行き、真面目に信心に励んでいる学会員を見下すような話をしていることもあります」
「戸田先生も、山本先生も宗門に忠誠を尽くしてこられましたが、ご僧侶の多くは、なんの恩義も感じていません。当たり前のように思っています。」
「先生、私たちは、広宣流布のためなら、どんなことをしても宗門を守ります。生活がどんなに苦しかろうが、供養もします。事実、そうしてきました。しかし、広宣流布の団体である学会を誹謗するご僧侶の、遊興のための供養は、一銭も出したくありません。これは私だけでなく、みんなの気持ちなんです。」
「坊主たちのなかには、学会を利用するだけ利用したら、あとはなくしてしまおうと思っている者がいるんです。しかも彼らは、何かあれば、御本尊という信仰の根本を、信徒を服従させるための道具に使おうと考えているんです。恐ろしいことです。」
もう我慢も限界に達しているという大山に、総本部の役僧あてに電話を入れた伸一だったが、要を得ない、のらりくらりとした答えしかかえってこない。伸一は、業を煮やして、「弁解や事情説明を繰り返すのではなく、猊下ともご相談して、早急に結論を出していただきたい」と言って電話を切った。
太字は 『新・人間革命』第8巻より