小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

訓諭

日蓮正宗僧侶と法華講員

『新・人間革命』第8巻 宝剣の章 P162~

「法華講々員一般」への訓諭も、厳しい内容であった。

法華講は、日蓮正宗の各寺院に所属する壇信徒の集まりである。
「もし、いささかでも、創価学会に対して、実にあれ、不実にあれ、誤った考えをいだき、謗言をほしいままにする者があるとするならば、すべてこれは広布の浄業を阻害する大僻見の人であり、無間地獄への罪を開く者というべきである。」と記されている。

この訓諭の発表に至るまでには、どれほど、会員の苦しみがあったか、計り知れないものがある。それまでに、山本伸一のところへ、会員から、僧侶に関するさまざまな訴えが寄せられていた。

「学会が折伏ばかりするから、昼も夜も“御授戒”が忙しくて、休養もとれない」、「学会員が寺を使って会合を開くのは迷惑だ」という僧侶もいれば、学会の会合の時には、御本尊の御厨子の扉を開けない寺さえあった。

広宣流布のために懸命に働く学会員にとって、僧侶から折伏や会合をなじるような言葉を聞かされた悔しさは、いかばかりであったことか。

また、僧侶の行状にも目にあまるものがあった。勤行をしなかったり、夜ごと、遊興にふける僧侶の話も枚挙に暇がなかった。一方、法華講員のなかにも、学会への暴言を吐く者がいた。

法華講の連合会のなかには、学会を”新参者”とみなし、もともとの壇信徒である自分たちの方が、尊重されてしかるべきであるという、強い思いをいだいている人が少なくなかった。なかには、嫉妬を剝きだしにして、学会への誹謗中傷を繰り返す者もいたのである。

こうした非難に、学会員は耐えながら、ただひたすら、人びとの幸福をわが使命と定め、広宣流布に邁進してきたのである。伸一は、僧侶の醜態や法華講員の学会への暴言を耳にするたびに、激しく心を痛めてきた。そして、宗門の役僧などにそれを伝え、僧侶の規律を正すように、強く要請してきた。だが、何も改まらなかった。

静岡本部長の大山は 登山部の副部長でもあり、宗門と接触する機会が多く、総本山のことについては、詳しかった。その彼が、沈痛な顔で語り始めた。「この辺りでは、『放蕩三昧の坊さんたち』と言われているんです。

事実、飲み屋に入り浸るご僧侶や、芸者遊びにうつつを抜かすご僧侶を、学会員は目にし、みんな落胆しています。異性に関する問題もいろいろ噂になっています。また、ご僧侶同士で酒を飲みに行き、真面目に信心に励んでいる学会員を見下すような話をしていることもあります」

「戸田先生も、山本先生も宗門に忠誠を尽くしてこられましたが、ご僧侶の多くは、なんの恩義も感じていません。当たり前のように思っています。」

「先生、私たちは、広宣流布のためなら、どんなことをしても宗門を守ります。生活がどんなに苦しかろうが、供養もします。事実、そうしてきました。しかし、広宣流布の団体である学会を誹謗するご僧侶の、遊興のための供養は、一銭も出したくありません。これは私だけでなく、みんなの気持ちなんです。」

「坊主たちのなかには、学会を利用するだけ利用したら、あとはなくしてしまおうと思っている者がいるんです。しかも彼らは、何かあれば、御本尊という信仰の根本を、信徒を服従させるための道具に使おうと考えているんです。恐ろしいことです。」

もう我慢も限界に達しているという大山に、総本部の役僧あてに電話を入れた伸一だったが、要を得ない、のらりくらりとした答えしかかえってこない。伸一は、業を煮やして、「弁解や事情説明を繰り返すのではなく、猊下ともご相談して、早急に結論を出していただきたい」と言って電話を切った。


太字は 『新・人間革命』第8巻より

人を育てる

『新・人間革命』第8巻 宝剣の章 P155~

伸一が気にかけていた受講生の一人に、医学部の高岡直美がいた。彼女の顔は、いつも暗かった。日々、悶々としているのであろう。確かな生き方が見いだせず、観念の迷路に陥り、自分の殻にとじこもってしまい、人生そのものに懐疑的になっていたのかもしれない。学会活動も、いやで仕方ないようであった。

伸一は、彼女に、境涯ということを教えたかった。彼女にこう指導したこともあった。
「人間は、自分の殻を破り、境涯を開くことによって、同じ環境にいても、ものの見方も、感じ方も、すべて異なってくる。

夜空の星々は、アインシュタインには、おそらく、相対性原理の輝きのように見えたであろうし、ベートーベンには、名曲を奏でているように感じられたであろう。でも、仏というのは、もっと深く、もっと広い、生命の世界なんだ。その境涯に至るまで、信心をやめてはいけないよ」

「あなたは、一人になり、孤独になってはだめだよ。行き詰ってしまうからね。常に心を開いてくれる、触発と励ましの組織が学会なんだ。だから、勇気をもって、その学会の組織のなかに飛び込み、人びとのために働くことだ。」

「あなたはやがて、医師になるだろうが、一番、大切なことは、人間を救おうという菩薩の心だよ。」

ある時は、一人の受講生が「正直なところ、私は学会の組織というのが好きではありません。しかし、山本先生の講義を受講して、先生を守り、先生とともに人びとのために生き抜く自分になりたいと思います。」と自分の思いを語った。

伸一は言った。「私を守るというが、学会を守ることが、私を守ることになる。一人の会員を、十人、百人、千人の会員を守ることが、私を守ることです。なぜなら、私の人生は、そのためにあると決めているからです。」

「私たちがめざしている広宣流布は、無血革命といえるが、私は、会員のため、法のため、社会のためには自分の血を流そうと決意しています。その覚悟と勇気がなければ、広布の指揮はとれません。学会を離れ、会員を離れて、私はない。もし、君に少しでも、私を守ろうという心があるなら、学会の組織の最前線を走り抜き、会員を守ることです。」

一人ひとりの人生と未来のために、何を語り、何を打ち込むかー 伸一は、生命を研ぎ澄まし、真剣に考えながら指導を重ね、まことの人間の道を教えていったのである。

事実、この「百六箇抄」の講義の受講生は、ほぼ全員が大成長を遂げ、・・・学会の中核として活躍していく人、医師、学者、国会議員など、さまざまな分野で輝かしい業績を示しながら、皆、大きく社会に貢献していくことになるのである。

人間の命には限りがある。一代限りでは大業は成就しない。ゆえに、人を育て、残すことのみが、広宣流布を成し遂げる唯一の道であるからだ。


「猊下、全僧侶、法華講員に訓諭」
1963年(昭和38年)7月25日付の聖教新聞を手にした学会員の多くは、一面に踊るこの大きな文字を見て、驚きを隠せなかった。

訓諭には、「宗内教師僧侶一般」にあてたものと、「法華講々員一般」にあてたものと二つがあった。


「宗内教師僧侶一般」の内容は、創価学会の折伏による至誠により、大聖人の仏法が広まり、宗勢が興隆している。しかし、宗門の僧侶は、その自覚の欠如と本分にもとるがごとき言動を聞くに及んで遺憾である。いたずらに遊戯雑談、懶惰懈怠に流れ、「法師の皮を著た畜生、外道の弟子」と、譴責されることなく、少欲知足を旨とし、よく身を慎み、精進するようにとの日達管長からの訓諭であった。

僧侶の在り方を正す、こうした訓諭が出されるのは、極めて異例のことといえた。

太字は 『新・人間革命』第8巻より

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