小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

言論の自由

世界広布の歌

『新・人間革命』第8巻 清流の章 P206~

「1」の暴言、中傷を聞いたならば「10」の正論を語り抜く。その言論の戦いのなかにこそ、「声仏事を為す」という精神も、生き生きと脈打つのである。

創価学会の強さは、民衆組織したことにあるとみる識者は多い。しかし、組織したから、学会の強さがつくられたわけではない。その組織のなかで、民衆が自立し、自らの主張を堂々と展開する、社会建設の主役になっていったからこそ、いかなる権力にも屈しない、強靭な民衆の力の連帯が形成されたのである。

7月30日、山本伸一は、長野市を訪問した。中部第二本部の会館建設を発表した。
彼は、幸福の要諦は自分の心に打ち勝つことであり、何があっても、御本尊を信じぬく「無疑曰信」の清流がごとき信心が肝要であることを訴えていった。

「大聖人の仏法の正しさは、文証、理証、現証のうえから証明されております。しかし、ちょっと商売が行き詰ると、すぐに御本尊には力がないと疑いの心をいだく。子供がけがをしたといっては、御本尊は守ってくれなかったと思う。

また、一部のマスコミが学会を批判したからといって、学会の指導を疑い、御本尊への確信をなくし、勤行もしなくなってしまう。そうした人に限って、自分自身の生き方や信心を振り返ろうとはしない。それでいて、何かにつけて御本尊を疑い、学会を疑う。それは大功徳を消していくことになります。」

どうか、御本尊を疑うことなく、題目を唱えに唱え、唱えきって、広宣流布の団体である。学会とともに走り抜き、この人生を、最高に有意義に、最高に幸福に、荘厳してまいろうではありませんか」

7月31日夜、男子部幹部会が開かれ、愛唱歌「世界広布の歌」が発表された。
「本門の時代」へ先駆けんとする男子部は、世界広布を誓い、この歌とともに旅立ったのであった。


太字は 『新・人間革命』第8巻より

言論の自由

『新・人間革命』第8巻 清流の章 P192~

<清流の章 開始>

言論は、人間の人間たる証である。
暴力、武力に抗して、平和を築きゆく力こそ言論である。

1962年(昭和37年)11月には、言論部の機関誌として月刊雑誌『言論』が創刊された。山本伸一は、この第一号に「創刊のことば」を寄稿した。そのなかで彼は、『文は武よりも強し』との信念のうえから、東西冷戦も、武力の抗争も、「正義の言論戦」によって方向転換させることが可能であると宣言している。

言論の真実の担い手は民衆である。しかし、民衆が自ら、ものを考えることをやめ、自身の権利と尊厳を守るための言論を放棄してきたのが、日本の現実といえた。伸一は、言論を民衆の手に取り戻すことを、この言論部の使命と考えていた。

言論の力は大きい。それは、人の意識を変え、時代を変える。ゆえに、民衆の支配を目論む権力は、言論を意のままに操り、言論の暴力をもって、改革者を社会的に抹殺してきた。マスコミを使って、デマを流し、“極悪人”や“異常者”“狂気”等のレッテルを張り、改革者への嫌悪と恐れをいだかせるというのが、彼らの常套手段といってよい。

民衆の「喝采の時代」を開かんとする創価学会もまた、この言論の暴力に晒され続けてきた。それを打ち砕く、正義の言論を起こさずしては、真実は歪められ、踏みにじられていく。そうなれば、民衆の永遠の勝利はない。

山本伸一が言論部の育成に力を注いできたのも、まさに、それゆえであった。

彼は、言論の勝利というと思いだす。アメリカの独立に関する話があった。
1776年の1月、アメリカのフィラデルフィアの町で、『コモン・センス』というパンフレットが出版された。

この『コモン・センス』は、わずか47ページの小冊子にすぎなかった。しかし、それがアメリカを独立へと鼓舞する、大きな力となっていったのである。

決して難解な言葉ではなかった。誰でもわかる、平易な言葉で絵、明快に、ほとばしる情熱をもって、独立の必要性を説いたのである。

この小冊子が、アメリカの民衆の胸に、”独立は必ずできる”という確信を与え、立ち上がる勇気を呼び覚ましたのだ。

「真実」をもって「悪」のまやかしを打ち破るところから、未来は開かれる。言うべきことを、断固として言い切る。正しいことを「正しい」と言い切る。間違っていることを「間違っている」と言い切る。そこに、本来の仏法者の生き方がある。

黙っていれば、嘘の闇は広がる。その邪悪を破る光こそ、正義の言論である。人が苦悩の悲鳴をあげている時、ただ傍観しているのは無慈悲である。邪悪の黒雲が、真実の空を覆わんとしている時、正義の声をあげないのは臆病である。

悪を切らなければ、善が失われてしまう。真実を叫ばなければ、虚偽が蔓延してしまう。

言論によって、人間の勝利を打ち立てるのは、決して容易な道程ではない。大聖人の御生涯がそうであったように、ありとあらゆる迫害が広布の途上にはあるだろう。しかし、それでも「いまだこりず候」と、正義の言論の矢を放ち続けることである。

その不屈なる魂の叫びが、人びとの心を揺り動かすのである。真の言論人とは、不屈の信念の人の異名でなければならない。それが、山本伸一の、言論部への期待であり、願いであった。

伸一は訴えた。
「悪質な意図をもって、民衆を扇動するような、一部の評論家やジャーナリスト、あるいは指導者によって、日本が左右されてしまえば、いったいどうなるか。

そうした邪悪な言論と戦い、その嘘を暴き、人間の“幸福”と真実の“平和”のための新しい世論をつくり上げていくことこそ、言論部の使命であります。

私どもは、善良なる世論を結集し、燃え上がる民衆の言論戦をもって、新しき時代の幕を開いていこうではありませんか!」
民衆が、堂々と真実を語り、正義を叫ぶことこそ、「言論の自由」の画竜点睛である。


太字は 『新・人間革命』第8巻より

カテゴリー


新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


→メルマガで届く 『小説 新・人間革命』に学ぶ
ブログでは 言えないこと

メルマガ『勝利の哲学 日蓮大聖人の御書に学ぶ』