小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

西ドイツ広布

仏法は道理

『新・人間革命』第10巻 新航路の章 P257~

佐田は、本部長に任命されると、なんの力もなく、大任を全うできる自信がないと伸一に言った。

伸一は、「やる前から自信のある人なんていやしないよ。もし、そういう人がるなら、甘く考えているか、慢心といえるだろう。」

「自信なんて、一朝一夕につくものではない。最初はなくていいんだ。大切なのは、挑戦していく心だ。挑戦し続ける勇気だ。何があっても、くじけず、あきらめず、投げ出さずに進んでいこうとする持続の力だ。自分の使命であると決めて、まず一年間、走り抜いてみることだよ」と語った。

さらに、ドイツの新しい組織について語り、日本からきた青年たちも 大きな活躍の舞台が与えられた。青年たちが住んでいるデュイスブルクは、フランクフルトまでは250㎞を超える。ニュルンベルクは、そこからさらに200㎞以上も離れている。

そうした組織を担当するとなれば、時間を捻出することも、車のガソリン代など、交通費の経済的な負担も、大変であることはいうまでもない。しかし、不平や不満を口にする人は、誰一人としていなかった。

広宣流布の新航路を開こうと決めた、信念の勇者には、労苦の波浪は、決して障害とはならない。むしろ波浪が高ければ高いほど、闘魂を燃え上がらせるものだ。
諸岡がドイツの機関誌をつくりたいと話し、伸一は、応援に、カメラをプレゼントした。

当時、西ドイツのメンバーの大多数は、アメリカの軍人と結婚し、夫の仕事の関係で渡独して来た夫人達であった。指導会で、伸一は婦人たちへの励ましのメッセージを贈った。

「信心の輝きあふれる、誰からも信頼される人になってください。信心の目的は、『衆生所遊楽』にあり、生きていて、楽しくて、楽しくてしかたがないという人生をおくることにあります。その『衆生所遊楽』の国土は、どこか別のところにあるのではなく、今自分がいるところにあります。自分のいる場所が、そのまま仏国土となり、常寂光土となると教えているのが仏法です。

それを実現していくためには、今いる場所こそ、自身の使命の大舞台であると決めて、勇んで広宣流布に邁進していくことです。勇んで戦う人には、生命の躍動があります。希望の鼓動があります。歓喜の脈動があります。そして、絶対的幸福境涯への大道が開かれることは間違いありません。」


佐田が、ドイツ男子部の歌を作ったという。楽譜を読めるものもなく、皆で言葉をもちより、思い思いに節をつけてなんとか修正を加え作ったものだった。学会活動をするときも、仕事をするときも、常にこの歌を口ずさんでいたのだ。

秋月は、彼らの歌にほとばしる、作詞作曲の技術的な問題を超えた、熱い広布の心意気に感嘆し、男子部幹部会に間に合うよう歌をテープに吹き込んで送るように言った。

山本伸一が出発する日、見送りに来た青年が、顔色が悪いのに気づき、片道3時間かかる入会希望者のところへ、寝ずに行ったという話を聞き、あえて、厳しい口調で言う伸一。

無理な活動や、非常識な行動をしては、絶対にいけない。事故を起こしたり、社会の顰蹙をかうようなことになれば、なんにもならないないではないか!」

「仏法は道理なんです。道理、常識を無視した活動というのは、一生懸命であっても、結局は自己満足にすぎない。そして、長い目で見た時には、社会の無用な反発をかい、かえって、広宣流布の邪魔をすることになってしまう。」

「したがって、十分な睡眠を取り、きちんと食事をして、しっかり題目を唱え、はつらつと、常識豊かに活動を進めていくことだ。広宣流布の道は長い。その悠久の道を行くには、体を大事にし、元気でいなければならない。いいね。」


伸一は、大切な、かわいい、ドイツの宝の弟子たちの健康を、何よりも心配していたのである。


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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ハンボーン炭坑の 地涌の菩薩

『新・人間革命』第10巻 新航路の章 P247~

一行が西ドイツのドルトムント駅に到着すると駅には、西ドイツ各地に住んでいる日系の婦人メンバーが何百キロメートルもの距離を、ものともせず、駆けつけ、大歓迎してくれた。

ドイツでは欧州総会と初の欧州文化祭が、フランクフルトで開催されることになっていた。日本から来た青年たちは、この総会までは、メンバーの家に分宿させてもらい、総会の準備にあたることになっていたのである。

佐田は、諸岡から炭坑の受け入れ先がないと聞かされ、自分を責めた。だが、悔やんでも、何も開けるわけではないと、諸岡に真剣に唱題して、できる限りの炭坑をあたろうと言った。

8月29日、フランクフルトのホールで欧州総会並びに文化祭が晴れやかに行われた。西ドイツ、イギリス、フランス、イタリアなどから500人のメンバーが参加し、会場は新たな出発の息吹に満ちあふれていた。

佐田と諸岡の心は、晴れなかった。まだ、青年たちの受け入れ先が決まっていなかったからである。ところが、なんとこの日になって、連絡が入り、彼が頼み込んでいたデュイスブルクのハンボーンの炭鉱が皆を雇ってくれることになった。二人は、手を取り合って喜んだ。

当面は、男は炭坑の寮で共同生活をすることになるため、佐田も、諸岡も、新妻と、別れて暮らすことになったのである。彼女たちは、しばらく、ドイツの婦人部の家に、それぞれ、寄宿させてもらうことになった。二人の新妻にとっては、あまりにも心細く、悲しい“新婚生活”のスタートであった。

夫を思えば、溜め息が出る。日本を思えば、涙があふれる。だから、ただ、ただ、前を見つめた。

総会の3日後から炭坑での生活が始まった。地下約1千メートルの採炭現場での作業は、青年たちにとって、想像以上に過酷な仕事であった。皆、しばらくは疲労困憊して、食事も喉を通らない日が続いた。手袋をしても、手はマメだらけになり、飛び散る石などで、生傷も絶えなかった。落盤も珍しくなかった。

彼らは、慣れぬ重労働に耐えかね、何もかも投げ出して、日本に帰りたいと思うこともあった。しかし、そんな時には、“
俺は広宣流布のために、自ら願ってここに来た。くじけるものか!”と自分に言い聞かせた。

仕事が終わり、地上に出ると、“今日も勝ったぞ”という喜びに満たされた。そして、炭塵で真っ黒になった顔に、白い歯を浮かべて、「地下から出てくる俺たちこそ、まさに地涌の菩薩だ」と、互いに肩を叩き合い、大笑いした。

皆で、給料を1カ所に集め、そこから必要なものを購入していった。彼らが最初に買ったものは、学会活動のための車であった。

一念は大宇宙を動かす。「因果具時」であるがゆえに、今の一念に、いっさいの結果は収まっている。口先だけの「決意」などありえない。「決意」には、真剣な祈りがある。ほとばしる気迫がある。懸命な行動がある。そして、必ずや輝ける勝利がある。

妙法流布のためには、いかなる苦労も引き受けようと決意し、青年たちが西ドイツに渡った瞬間に、既にドイツの広宣流布の大前進は、決定づけられたといってよい。

山本会長一行が、22日に西ドイツ入りするという、待ちに待っていた朗報が彼らのもとに届いた。

「到着まで、期間は短いが、ここまで広布を推進しましたと、胸を張って言える結果をもって、先生をお迎えしようじゃないか!」誰もが同じ思いであった。

今、立ち上がてこそ、未来の勝利がある。今日を切り開いてこそ、明日の栄光がある。

山本伸一は、佐田幸一郎に言った。「若鷲たちが飛び立ったね。本当にうれしい。・・・だが、ひとたび飛び立ったからには、途中で翼を休めるわけにはいかない。飛翔に失敗すれば、落下するしかない。負けるわけにはいかないんだ。特に、この1年が勝負になる。『今』が大事だ。新しいドイツ広布の流れを開くのは『今』だよ」

そして、佐田にドイツ方面の本部長、諸岡には 副本部長に任命した。


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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西ドイツ広布へ

『新・人間革命』第10巻 新航路の章 P234~

日蓮大聖人は、こう仰せである。「魚は命を惜しむ故に池にすむに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむしかれども餌にばかされて釣をのむ」「人も又是の如し世間の浅き事には身命を失えども大事の仏法なんどには捨つる事難し故に仏になる人もなかるべし」

自分のみの小さな目先の幸せを追い求め、汲々としている人間には、その精神の崇高さは、決してわかるまい。

生命は尊厳無比である。これに勝る財宝はない。そうであるからこそ、この一生をいかに生き、その尊い生命を、なんのために使うのかが、最重要のテーマとなる。大聖人は、仏法のため、すなわち、広宣流布のために、命を使っていきなさいと言われているのである。

なぜならば、そこに、一生成仏という絶対的幸福境涯を確立しゆく、直道があるからである。メンバーはそれを、確信していた。彼らを喜んで送り出した家族の多くもまた、同じ心であった。

札幌の小野田は、母親に西ドイツに行きたいと告げると、「せっかく行くのだから、一生涯、ドイツ広布に生き抜きなさい。」と言って送り出してくれた。

メンバーは 渡航費用を捻出するため苦労し、アルバイトなどをした。皆が渡航準備を進めていたが、その頃から西ドイツの景気が急速に悪化し、外国人労働者が 解雇されている状況になっていた。

諸岡は 新婚早々、妻を残し、先発隊として西ドイツに出発することにした。一方、佐田も女子部員の雪子と見合いをした。1時間ほど 話をしたあと、西ドイツに行くか明日返事が欲しいと言われた雪子は、夜通し唱題をし、結婚することに決めた。家族は最初、反対したが、決意が固いのを知り、応援してくれた。

伸一は、夏期講習会の時に、西ドイツへ渡るメンバーを招待し、激励した。「ありがたいな・・・。皆さんこそ、広宣流布のパイオニアです。学会の宝です。誰かが、礎を築かなければならない。誰かが、道を開かなければならない。私とともに、また、私に代わって、世界広布を頼みます」その言葉は、メンバーの生命に、熱い感動の矢となって突き刺さった。

結婚早々、西ドイツに出発することになった佐田雪子と諸岡三千代は、伸一から、個人的に激励を受ける機会を得た。「向こうでの生活は、想像以上に大変なはずです。しかし、絶対に負けてはいけません。必ず幸せになっていくんです。それには、純粋な信心を貫き、お題目を唱えきっていく以外にありません。ご主人を支えていくのが妻です。あなたたちが、負けなければ、ご主人たちは頑張れる。」

「何があっても、へこたれないことです。明るく、楽しく、使命のヒロインとして、人生の大ドラマを演じてください。私も、近々西ドイツに行きます。その時にまたお会いしましょう。」二人の婦人の決意は、この伸一の言葉で、いよいよ不動のものとなった。

西ドイツに渡る一行12人は、横浜港を出発した。渡航費用を少しでも安くするために、船でソ連のナホトカに行き、そこから、列車と飛行機を乗り継いで大陸を横断すると言う旅となった。

一方、先発隊として、先に西ドイツ入りしていた諸岡は、そのころ、必死になって、青年たちの受け入れ先を探していた。当初、メンバーを受け入れてもらうことになっていた、カストロブラウクセル市の炭坑も、外国人労働者を採用する余裕はなくなったとのことで、就職の道が閉ざされてしまったのである。諸岡は、全身から血の気が引く思いであった。

“みんな、既に仕事を辞めてしまっている。今更、西ドイツ行きを中止するわけにはいかない。なんとかしなければ・・・”日々、奔走した。しかし、どこからも採用の返事はもらえなかった。そして、遂にメンバーは、日本を出発してしまったのである。


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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