小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

草木は萌ゆる

下宿生の「栄光会」

『新・人間革命』第12巻 栄光の章 P358~

教師たちの間では、下宿生への生活面での指導を、どう行うかが課題となっていた。教員の目も、各下宿生の生活の詳細にまでは行き届かなかった。下宿生活は、寮生活とは違って自由が多いところから、誘惑もあった。教師たちは、こうした問題を深刻に受け止めていた。

大事なことは、下宿生一人ひとりが、創価学園生としての自覚を新たにし、自らを律していく強さを持つことである。そう考えた教師たちは、日常的に、生徒同士が切磋琢磨していくように、下宿生の生徒組織をつくることにした。

その報告を受けると、山本伸一は言った。「教育の本義は、人間の自立にあると思う。したがって、生徒が自分たちで考え、話し合って自らを律しようという方向にもっていくことこそ、本当の教育といえるでしょう」そして、伸一は、栄光の青春を送ってほしいとの願いを込め、この下宿生の組織に「栄光会」という名を贈った。

中心者となる執行部の部長には、矢吹好成という、高校生が就いた。彼は、都立高校に1年間通学したあと、学園に入学したため、同級生より1歳年上であった。

矢吹の創価高校への進学は、父親の薫の深い祈りから始まった。息子の好成は、既に高校1年であり、学生生活を楽しみきっている様子である。しかし、薫はそれでも息子を、創価高校に入れたかった。1期生として学園の建設に生きることは、最高の栄誉であり、かけがえのない青春の思い出になると、薫は確信していたのだ。

薫は一計を案じ、好成の家庭教師で、好成も尊敬している山原に受験を勧めてもらうことにしたが、「いまさら、いやですよ」と一笑に付されてしまった。それから、父は、丑寅勤行をするようになり、好成そんな父にうっとうしさを覚えた。

好成を説得できなかったと、山原が父親に頭を下げて謝っているのを目撃した好成は、山原に申し訳なく、とっさに「受けるだけなら受けてもいい」と言ってしまった。

入学試験の日、好成は、白紙で答案を出すつもりでいたが、何気なく試験問題を見た時、かなりの難問で、高校生の自分でも、解けるかどうかわからない問題にもかかわらず、周りの中三生が、すらすら問題を解いているのを見て、闘志が燃え上がり、中三に負けたくないと、一心不乱に問題に取り組んだ。

合格したが、受けるだけの約束だから創価高校には行かないというと、父に、「お前が受かったために、誰か一人の人が落ちてしまった。お前はその責任を感じるべきだ」といわれ、変な理屈だと思ったが、入学しないのは、悪いことのような気がして、好成は、創価高校に入学した。

しかし、誇りをもって創価学園建設のパイオニアであるとの使命に燃える生徒とは、温度差があり、違和感を覚え、元気がなくなっていった。そんな息子を見て、胸が痛んだ父親は、2時間の通学時間が大変だろうと 下宿をすすめた。

好成は下宿生活を始めたころから、幾つかの発見をする。それは、教師たちが生徒に、常に情熱をもって「人びとのため」「社会のため」「世界平和のため」に勉強し、成長していきなさいと訴えていることであった。
前の高校では、受験や偏差値のことしか言わない教師たちであった。

また、矢吹の下宿近くに鹿児島県出身の中学生の下宿人がいたが、ある日、教師に、「なぜ、君は中学一年生で、親元を離れて生活している彼を、励まそうとしないのか」と指摘される。彼は、叱られながらも、教師の言っていることは正しいし、そこまで言ってくれる教師のいる学校は素晴らしいと思った。

もう一つ、矢吹の心を大きく変えていったのは、必死になって学園生を激励する、創立者の山本伸一の姿に触れたことであった。


太字は 『新・人間革命』第12巻より 抜粋

創価学園寮歌「草木は萌ゆる」

『新・人間革命』第12巻 栄光の章 P342~

伸一は、生徒たちに、楽しい思い出をつくらせたかった。また、一人ひとりのことを、よく知っておきたかった。皆に声をかけ、生徒の顔と名前、出身地などを、心に刻みつけるようにして覚えていった。
顔と名前を知ることこそ、人間と人間の絆を結び、深めていく、第一歩であるからだ。

伸一の提案を受け、寮祭として、寮の前のグラウンドで、ファイアーストームが行われることになった。この寮祭は、「栄光祭」と名づけられた。

玉川上水に架かる栄光橋の向こうに、グラウンドが完成したのは、夏休みの終わりであった。グラウンド開きは、9月6日に行われた。第一部は、競技大会、第二部のフェスティバルのフィナーレに学園寮歌が発表された。

寮歌は、寮生が、自分たちの手で作詞した歌である。寮長の永峰が提案し、生徒から歌詞が集まった。そのなかでも、大倉裕也という大阪出身の作品がひときわ光彩を放っていた。

一番では、「英知をみがくは 何のため」と問い、「時代の世界を 担わんと」と答えが示されている。二番には、「情熱燃やすは 何のため」「社会の繁栄 つくらんと」、三番には「人を愛すは何のため」「民に幸せ おくらんと」、四番には「栄光めざすは 何のため」「世界に平和を 築かんと」とある。

それは、自身の生き方を問い、崇高な目的を確認し、勇んで進みゆかんとする、壮大な気概の歌であった。慣れない寮生活で、ホームシックにかかったり、孤独に陥りもした。また、勉強も大変であった。その中で彼は、自分は何のために創価高校に進み、なんのために学ぼうとしているのかを、自身に問いかけ続けてきたのだ。

彼は、その答えを求めて、創立者である山本伸一の指導が載った聖教新聞や、伸一の著作を、むさぼるように読んだ。そうして紡ぎ出された自分なりの結論を、寮歌の歌詞に、書きつづっていったのである。それは、青春をかけた思索の結晶であった。

作曲は、学園の音楽教師である、杉田泰之に頼むことになった。生徒たちは、曲調は短調の日本的なリズムで、一人で歌っても自分を鼓舞できる、孤高の志を歌うようなイメージの曲を求めているのだと、過ぎたは思った。

こうして、寮歌「草木は萌ゆる」が完成したのである。学園寮歌を聞きながら、伸一は、彼らの一途な開道の心意気に、なんとしても応えたいと思った。そして、寮歌の五番の歌詞をつくって、贈ろうと考えた。四番までの歌詞を何度も読み返しては思索し、五番では、友情をうたおうと思った。

「・・・輝く友の 道拓く   未来に羽ばたけ 君と 僕」
学園生は、「君と僕」の歌詞に、二つの意味を感じとっていた。一つは、「君」は「友」であり、「僕」は「自分」である。そして、もう一つは「君」が「自分」であり、「僕」は、創立者である「山本伸一」である。

歌いながら、生徒たちは、伸一が極めて身近な存在に思えた。そして、ともに未来に向かって前進する、共戦の父子の絆を感じるのであった。

伸一は、生徒たちに、喜びにあふれた声で語り始めた。「『源と遠ければ流れ流し』という哲人の言葉がありますが、ここに集った皆さんの存在こそが、根本であり、源です。」

「私は創立者として、皆さんのことは一生涯わすれません。胸の中に叩き込んでおきます。このなかから、世界の平和を実現する偉大な指導者が、必ず出ると信じております。かつては、旧制高校の寮歌をうたった人たちが、日本の社会をリードしてきました。今度は、創価学園の寮歌を歌った人が、時代の指導者に、また21世紀のリーダーになっていくことは間違いない。学園寮歌が、日本中、世界中の人から愛唱される日も、さほど遠くないと確信しております。」

この寮歌「草木は萌ゆる」は、後年、創価中学・高校の校歌となるのである。

太字は 『新・人間革命』第12巻より 抜粋

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