『新・人間革命』第14巻 大河の章 P364~

いよいよ創刊20周年を翌年に迎えた今、堂々たる新社屋が落成したのだ。

伸一は、会長に就任してからの、この10年余りの間、いつも、聖教新聞のことが頭から離れなかった。彼の一日は、妻の峯子とともに、配達員等の無事故を懸命に祈り、インクの匂いも新しい、届いたばかりの新聞に、くまなく目を通すことから始まるのである。

戸田城聖が魂を注いでつくりあげた新聞を大発展させていくことが、自分の責任であり、義務であると、彼は決めていたのである。

広宣流布と社会の未来を思えば思うほど、伸一は、聖教新聞の使命の重大さを痛感するのであった。学会の活動や、考え方を、750万世帯に達した全国の同志に、誤りなく伝えるには、聖教新聞なくしては不可能である。

また、日蓮大聖人は、「仏は文字に依って衆生を度し給うなり」と仰せだが、仏法の哲理を、人びとに正しく伝え抜いていくうえでも、聖教新聞の担う役割は極めて大きい。

さらに、現代は、情報が氾濫しており、ともすれば、その情報の洪水に押し流されて、自らがものを考え、自身の価値観を確立できないでいることが少なくない。それだけに、情報を見極める哲学の"眼"を持つことが極めて重要になる。そのための新聞が、聖教新聞であるといってよい。落成式の翌日には、各界の来賓約千人を招いて、新社屋の落成披露祝賀会が開かれた。

伸一は、正面玄関で、2時間余りにわたって、来賓を出迎え、一人ひとりと丁重にあいさつをかわしていった。人と直接会い、誠実に言葉を交わすことから、信義と友情のドラマは幕を開ける。自分が会ったすべての人を、学会の最大の理解者にしようーーそれが、伸一の信条であり、決意であった。

現代社会のなかで最も欠落しているものは、正と邪、善と悪の分別であり、邪悪と戦う心であろう。邪悪に目をつぶる人間は、決して寛容なのではなく、臆病で無気力であるにすぎない。

不正を許す、事なかれ主義は、一時はよいように見えても、やがては、皆を不幸にしてしまう。邪悪と戦う正義の心をもって立つことこそが、本来、言論の使命といってよい。

11月8日全国通信員大会が開かれた。伸一は、幹部に「細かく張り巡らされた通信員の皆さんの取材網は、ちょうど毛細血管のようなものです。また、できあがった新聞を、毎日、読者のもとに届けてくださるのが、配達員の皆さんです。通信員と配達員の皆さんこそ、新聞の生命線です。本社にいる者は、そのことを絶対に忘れてはいけない」厳しい口調で言った。

「私は、通信員の活動にこそ、聖教新聞の原点があると思っている。当初、聖教新聞は、学会の幹部が皆でつくってきた。みんな、仕事をし、学会活動に励み、そして、新聞をつくった。忙しいが必死だった。その闘魂が紙面にあふれていた。だから、新聞には、感動があった。今、その精神を受け継いでいるのが通信員の皆さんです。」

この制度をつくられたのは、戸田先生であった。戸田は、「通信員は、本当の"闘争人"になってもらいたい。"闘争人"というのは、民衆を不幸にする邪悪を絶対に打ち砕いてみせるという、赤々とした闘魂、情熱を燃え上がらせている人です。正法正義のために、民衆のために、命がけで書いてこそ、ペンは剣に勝つことができる」と通信員に語った。

ある地域の通信員は、「聖教新聞には、人を救おう、不幸をなくそうという指導理念があります。体験もあります。絶望の淵から立ち上がった人や、生きる希望をつかんだという人は、枚挙にいとまがありません。だから、私は、自身をもって、聖教新聞こそ、最高の新聞だと言っているんです」と他紙の記者に胸を張って語った。その心意気こそが、聖教新聞発展の原動力であったといってよい。


太字は 『新・人間革命』第14巻より 抜粋