『新・人間革命』第27巻 激闘の章 243p~
伸一は、区次長の林田清夫に声をかけた。「いよいよ、これからが本当の戦いです。今まで培ってきた経験や実績は、皆のために生かしていかなければ意味はありません。草創期を戦い抜いてきた人たちには、自分が教わったことや、自ら学んできたことを、しっかり後輩に伝えていく責任があるんです。また、最後まで戦い抜いてこそ、人生の使命を果たすことができるんです。どうか、挑戦と前進を重ね、永遠の青年であってください。私もそうします!」
林田の入会は、昭和30年。妻の入会し、林田も誘われたが断っていた。林田は自分が大組織のなかの歯車のように思っていた。林田は、断る理由がなくなり、座談会に出席し、集った人たちが“人生をいかに生きるか”への確信を持っていると感じ、入会を申し出た。
幹部から「自分だけ祈っていればいいというものではない。人にも仏法を広め、折伏していくのが、正しい仏道修行なんです。できますか!」と言われ、林田は、友人に信心の話をし、入会希望者とともに自分も入会した。
使命の自覚は、人を急速に成長させる。信心を初めてから林田は、いつの間にか、健康になっていた。また、人前で話すことが苦手だった内向的な性格も、次第に変わっていった。その変化に林田をじっと見ていた係長が入会したのである。
また、人材育成については、“一緒に行動する”ことを信条としてきた。林田は、広宣流布のために、職場でも勝利の実証を示したいとの思いで、懸命に仕事に励んできた。国鉄の教育機関で教育にあたるなど、職場の第一人者となり昭和53年の3月定年退職し、新たな職場に勤め始めたところであった。
伸一は、林田を見つめて言った。「信心は、晩年が、総仕上げの時が大事なんです。生涯、若々しい闘将であってください。要領主義の幹部など、悠々と見下ろしながら、最後まで、黙々と、堂々と、学会を支えてください。そこに、真実の黄金の人生があります。あなたには、生涯をかけて、そのことを証明していってほしいんです」
練馬文化会館の開館記念勤行会に出席した伸一は、懇談的に話をした。「法華経は宝の山であり、御本尊は無限の力を備えております。ゆえに、その御本尊を受持した人は、最大に福運ある人であり、すべてが、“富める人”なのであります」“富める人”とは、単に経済的、物質的に豊かな人を指すのではない。どんな状況や環境下におかれても、高く大きな境涯で、充実と歓喜を満喫しながら生きることができる“心の豊かさ”である。それこそが、幸福を確立するための根本条件といえよう。
「信心強情な人こそ、最も“富める人”です。どうかこの確信をもって進んでください。信心とは、確信なんです。大確信をもつには、まず小さな体験でよいから、功徳の体験をたくさん積んでいくことです。その体験が集積され、次第に大確信をもてるようになる。それには、日々の祈りは具体的であることが大事です。自分のかかえている一つ一つの悩みや問題の克服を、日々、懸命に祈っていくんです。悩みが解決した分だけ、確信は強まっていきます」
伸一は、次のように話を結んだ。「いかなる試練があろうとも、そのなかで苦労を重ね、同志を守り、仏道修行に励み抜いた人は、最後は必ず勝ちます。試練と言うのは、自分を磨き、大きく飛躍していくためのものなんです。皆さんは、何があっても一喜一憂することなく、“今に見よ!”との一念で、一生成仏の坂道を勇敢に上り抜いていってください」
伸一が、最後に、こう語ったのは、練馬の北町方面で組織が攪乱されるという出来事があったからである。御本尊に不信をいだき、陰で学会批判を繰り返す総ブロック幹部がいた。問題が表面化した時には、信心を惑わされた数世帯の会員が離反。しかも、離反者たちは、人間関係を使って、組織を越え、さらに脱会の誘いをかけていたのだ。
状況の把握の遅れや、多くの幹部が“何かおかしい”と感じながら、踏み込んだ指導をできずにきたことが、混乱を大きくする一因となった。事態を知った学会本部では、副会長、姜学部長、婦人部幹部が派遣され、徹底して個人指導を重ね、「一致団結して、弘教の大波を起こしていこう」と果敢に弘教を展開した。そして、見事に組織は蘇生し、支部制のスターとともに、希望の前進が開始されたのだ。
伸一は、区次長の林田清夫に声をかけた。「いよいよ、これからが本当の戦いです。今まで培ってきた経験や実績は、皆のために生かしていかなければ意味はありません。草創期を戦い抜いてきた人たちには、自分が教わったことや、自ら学んできたことを、しっかり後輩に伝えていく責任があるんです。また、最後まで戦い抜いてこそ、人生の使命を果たすことができるんです。どうか、挑戦と前進を重ね、永遠の青年であってください。私もそうします!」
林田の入会は、昭和30年。妻の入会し、林田も誘われたが断っていた。林田は自分が大組織のなかの歯車のように思っていた。林田は、断る理由がなくなり、座談会に出席し、集った人たちが“人生をいかに生きるか”への確信を持っていると感じ、入会を申し出た。
幹部から「自分だけ祈っていればいいというものではない。人にも仏法を広め、折伏していくのが、正しい仏道修行なんです。できますか!」と言われ、林田は、友人に信心の話をし、入会希望者とともに自分も入会した。
使命の自覚は、人を急速に成長させる。信心を初めてから林田は、いつの間にか、健康になっていた。また、人前で話すことが苦手だった内向的な性格も、次第に変わっていった。その変化に林田をじっと見ていた係長が入会したのである。
また、人材育成については、“一緒に行動する”ことを信条としてきた。林田は、広宣流布のために、職場でも勝利の実証を示したいとの思いで、懸命に仕事に励んできた。国鉄の教育機関で教育にあたるなど、職場の第一人者となり昭和53年の3月定年退職し、新たな職場に勤め始めたところであった。
伸一は、林田を見つめて言った。「信心は、晩年が、総仕上げの時が大事なんです。生涯、若々しい闘将であってください。要領主義の幹部など、悠々と見下ろしながら、最後まで、黙々と、堂々と、学会を支えてください。そこに、真実の黄金の人生があります。あなたには、生涯をかけて、そのことを証明していってほしいんです」
練馬文化会館の開館記念勤行会に出席した伸一は、懇談的に話をした。「法華経は宝の山であり、御本尊は無限の力を備えております。ゆえに、その御本尊を受持した人は、最大に福運ある人であり、すべてが、“富める人”なのであります」“富める人”とは、単に経済的、物質的に豊かな人を指すのではない。どんな状況や環境下におかれても、高く大きな境涯で、充実と歓喜を満喫しながら生きることができる“心の豊かさ”である。それこそが、幸福を確立するための根本条件といえよう。
「信心強情な人こそ、最も“富める人”です。どうかこの確信をもって進んでください。信心とは、確信なんです。大確信をもつには、まず小さな体験でよいから、功徳の体験をたくさん積んでいくことです。その体験が集積され、次第に大確信をもてるようになる。それには、日々の祈りは具体的であることが大事です。自分のかかえている一つ一つの悩みや問題の克服を、日々、懸命に祈っていくんです。悩みが解決した分だけ、確信は強まっていきます」
伸一は、次のように話を結んだ。「いかなる試練があろうとも、そのなかで苦労を重ね、同志を守り、仏道修行に励み抜いた人は、最後は必ず勝ちます。試練と言うのは、自分を磨き、大きく飛躍していくためのものなんです。皆さんは、何があっても一喜一憂することなく、“今に見よ!”との一念で、一生成仏の坂道を勇敢に上り抜いていってください」
伸一が、最後に、こう語ったのは、練馬の北町方面で組織が攪乱されるという出来事があったからである。御本尊に不信をいだき、陰で学会批判を繰り返す総ブロック幹部がいた。問題が表面化した時には、信心を惑わされた数世帯の会員が離反。しかも、離反者たちは、人間関係を使って、組織を越え、さらに脱会の誘いをかけていたのだ。
状況の把握の遅れや、多くの幹部が“何かおかしい”と感じながら、踏み込んだ指導をできずにきたことが、混乱を大きくする一因となった。事態を知った学会本部では、副会長、姜学部長、婦人部幹部が派遣され、徹底して個人指導を重ね、「一致団結して、弘教の大波を起こしていこう」と果敢に弘教を展開した。そして、見事に組織は蘇生し、支部制のスターとともに、希望の前進が開始されたのだ。
太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋