小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

米軍基地

真実の平和の建設

『新・人間革命』第13巻 楽土の章 P328~

マーシー地区の藤峰夫妻の悩みは、短期間にメンバーが入れ替わってしまうことであった。メンバーの大多数は、沖縄での任務を終えると本国に帰ったり他の基地に移動していく。やっと成長し、役職につけられるかと思うと、転勤になってしまうのである。

しかし世界中に移転したメンバーから 活躍している様子を知らせる手紙を見るたびに、夫妻の悩みは、喜びに変わった。

「マーシー地区は、世界広布の基地になっているんだね。この地区から陸続と人材が世界に飛び立っていく。」「皆、世界広布を担う人たちなんだから、一人ひとりを大人材に、全員が、勤行も、折伏も、教学も、信心の基本はすべて身につけられるように、頑張ろう」と決意した。

藤峰は、このマーシー地区が沖縄の軍事基地にできたことに不思議な感じがした。地区のメンバーは、皆、戦争という忌まわしい重荷を背負っていた。それゆえ、誰よりも平和を愛し、皆が、自身のさらにアメリカという国の、人類の宿命の転換を、真剣に願っていた。唱題にも必死さがあった。

二人は、どうすれば、メンバーがより早く成長できるか、考え抜いた結論として、それぞれが、功徳を受け、仏法の力を体験しなければならないということであった。それには、勤行・唱題とともに、折伏を実践していくことが最も大事であると思った。

新入会者には、組織のメンバーが交代で勤行指導に通い、翌日から一緒に弘教に歩いた。日本語の会合では、英語に訳してノートに書き、それを皆に見せた。藤峰夫妻の奮闘で、アメリカ人メンバーは、短日月のうちに、目覚ましい成長を遂げていった。

基地の兵士たちは、夕方になれば、飲食店街に繰り出し、酒を飲むのが常であった。明日にも、ベトナム行きを告げられかねない状況のなかで酒を飲むことが、恐怖を紛らわす唯一の道であったからだ。しかし、学会に入った兵士は、朝晩、部屋でお経を読み、夜は、会合に出かけていく。帰りは、酒も飲まないのに、頬を紅潮させ、意気揚々として戻ってくるのだ。

そんな様子に興味をもった兵士たちから尋ねられると、仏法対話が始まり、座談会に出席した兵士たちが次々と入会していったのである。いつ戦場に行くかもしれないなかで入会した彼らの信心は純粋であり、求道心は強かった。だから、功徳も大きかった。

ある青年は、ベトナムの戦地に派遣され、襲撃を受け、テントを飛び出し、皆と一緒に避難したが、御本尊を取りに一人で戻った。これが生死の分かれ目になり、非難した兵士たちは全滅したのである。

また、パラシュート隊を希望したが、願いがかなわず落胆していた青年だったが、その隊はベトナムに送られ、ほとんどの人がいのちを落としていた。こうした体験は、枚挙にいとまがなかった。それが確信の源泉となっていったのである。

マーシー地区のメンバーは、「真実の平和とは何か」「人間は、いかに生きるべきか」と言った問題を、誰よりも真剣に考えていた。ある兵士は、戦地で、襲撃を受け、マシンガンを乱射した。翌朝、自分が殺してしまった敵の兵士の遺体を見て、自分を呵責し続けた。

彼は座談会に出席した時、「仏法で平和が 築けますか」と質問すると幹部は、明快に答えた。「仏法でなければ、真実の平和は築けません。戦争といっても、それを引き起こすのは、結局は人間です。ゆえに、平和の建設は、人間の生命を変革し、憎悪の心を慈悲に、反目を友情に変える以外にない。その人間革命の道を教えているのが、日蓮大聖人の仏法なんです。」

「兵士として戦場を走り抜いてきたあなたは、戦争の悲惨さを誰よりも知っているはずです。だからこそ、崩れざる平和を建設使命と責任があると思います。」との話に、兵士は入会を決意した。


太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋

米軍基地の マーシー地区

『新・人間革命』第13巻 楽土の章 P316~

米軍の軍人やその家族などの入会者が増えていた。会場周辺で山本会長に一目会いたいと駆けつけてきたメンバーと記念写真を撮った。

間もなくベトナムに行く人もいるという通訳の話に、「絶対生きて帰ると決めて、真剣に唱題するならば、必ず、守られます。私も、お題目を送り続けます。大切な、使命ある仏子だ、死なせるものですか。そして、永遠の平和のために、妙法という慈悲の利剣を手に、広宣流布の戦士として戦ってください。」

「永遠の平和のために、妙法という慈悲の利剣を手に、広宣流布の戦士として戦ってください」メンバーの目頭が潤んだ。唇をかみしめ、大きく頷く人もいた。

通訳の男性は、アメリカ人のメンバーによって構成される、マーシー地区の地区部長をしている藤峰正則であった。

藤峰は、カナダのトロントで生まれ、戦後一家は日本に戻り、外資系の会派に就職し、酒類のセールスのため、沖縄に派遣された。藤峰は酒を飲むと荒れることが多く、それが、妻の須美代の悩みでもあり、入会の動機であった。

須美代は、入会せず、学会のことを勉強してみようと会合には参加したが、仏法は絶対であると言い切る学会に反発を感じ、学会批判の書物が出ると、すぐそれを学会の幹部に示し、質問していたが、幹部は微動だにせず、一つ一つの問題について、その誤りを明らかにしていった。

どんな質問をしても、いつも理路整然とした答えが返ってきた。学会の会合は明るく希望にあふれていて、3年がたった時、傍観者では体験もつかめない、最後は、実際に自分が信心してみるしかないと入会した。

夫は大反対で、信心するなら離婚すると言われたが、あきらめず題目をあげると本人だけならと言われたが、藤峰が酒乱であることから、御本尊を不敬する恐れから 授与は見送られた。それを聞いた藤峰は、自分のせいだと、御本尊授与に同行することになった。

唱題するうち、酒を飲んで暴れる夫の気持ちを思いやれるようになると、夫の態度も変わった。依正不二である。彼女の一念が変化し、境涯が変わっていったがゆえに、夫が変わっていったのである。

正則は、妻が変わっていく様子に、信仰の力を感じ、「俺もやる」と言って信心を始めたのである。正則は、悩んでいた上司との人間関係が改善し、功徳を実感し、酒を飲んで暴れることもなくなっていった。

藤峰の家は、米軍基地の近くであり、正則が英語を話すことから、夫妻が基地のメンバーを担当することになった。米軍のキャンプの名前をとってマーシー地区とした。マーシーには「慈悲」の意味がある。メンバーはこの名をほこりとし、活動に励んだ。

ある朝、会社から夫の乗った飛行機が墜落したが、夫は無事との電話が入る。藤峰の乗った飛行機は、悪天候のなか台北の空港に着陸しようとして、空港の十数キロ手前で陸地に接触し、民家などに接触し
激突した。

藤峰の乗った座席のすぐ前から機体は真っ二つに折れていた。隣の人に脱出しないと助からないと言われ、地上まで数十メートルありそうな期待から飛び降りた。暗くてわからなかったが、死ぬよりはいいと飛び降りると彼は、散乱していた荷物の上に降りて、どこにも傷を負うことはなかった。

ふらふらしながら全力で走りだすと 飛行機は火につつまれていた。この事故で、乗員乗客あわせて63人のうち21人が犠牲になった。無事に生還した正則の体験は、夫妻の信仰への大確信を育んだ。

正則は、"自分は、御本尊に命をいただいた人間なんだ。生ある限り、広宣流布のために尽し抜こう!"と報恩感謝の思いで、弘教に、個人指導にと全力で取り組んだ。

飛行機事故から無傷で帰ってきた彼の体験談には、説得力があった。歓喜の波動となって、沖縄中に大きく広がっていった。



太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋

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