『新・人間革命』第4巻 立正安国の章 P233~

<立正安国の章始まる>

7月3日ーそれは、学会の新生の日であり、広宣流布の獅子王が、
軍部政府という権力の鉄鎖から、野に放たれた日である。
伸一は、広宣流布とは、権力の魔性との戦いであることを痛感していた。

古来、仏教をはじめ、日本の宗教は、国家権力に取り込まれ、
むしろ、積極的に与することによって、擁護されてきた。

福沢諭吉は『文明論之概略』のなかで、次のように述べている。
「宗教は人心の内部に働くものにて、最も自由、最も独立して、豪も他の制御を受けず、
 豪も他の力に依頼せずして、世に存すべきはずなるに、わが日本に於いては則ち然らず」


そして、宗教が政治権力に迎合してきたことに触れて、こう指摘している。
「その威力の源を尋ねれば、宗教の威力にあらず、ただ政府の威力を借用したものにして、
 結局俗権中の一部分たるに過ぎず。仏教盛んなリといえども、
 その教は悉皆政権の中に摂取せられて、十方世界に遍く照らすものは、仏教の光明にあらずして、
 政権の威光なるが如し」


仏教各派にとっても、政権に摂取されることが、権力の弾圧を回避し、
自宗の延命と繁栄を図る術であったといえよう。

学会も、権力の意向に従い、現実の社会の不幸に目をつぶり、
単に来世の安穏や心の平安を説くだけの、“死せる宗教”であれば、何も摩擦は生じなかったであろう。

しかし、それでは、民衆の幸福と社会の平和を実現するという、宗教の本来の目的を果たすことはできない。そして、宗教が民衆のための社会の建設に突き進んでいくならば、民衆を支配しようとする魔性の権力の迫害を、覚悟せざるをえない。

また、彼が決して忘れることができないのは、弟子を思う熱い、熱い、師の心であった。

大阪府警に出頭するため、関西に向かう伸一に、戸田はこう語った。
「・・・もしも、もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」

当時、戸田の体はいたく憔悴していた。同行の幹部に支えられ、喘ぐように肩で息をし、よろめきながら、検察の階段を上がっていった。

戸田は、可能ならば、伸一に代わって、自分が牢獄に入ることも辞さない覚悟だった。
弟子のためには、命を投げ出すことさえ恐れぬ師であった。

今、戸田の墓前に立つ伸一の胸には、「権力の魔性と戦え!民衆を守れ!」との、師の言葉がこだましていた。



太字は 『新・人間革命』第4巻より抜粋