『新・人間革命』第27巻 求道の章 365p~
まだ、戦える、力ある限り、私は行動し続けるーー5月28日、山本伸一と峯子は、仙台市内の東北婦人会館を訪問した。懇談会が終わった時には、既に辺りは、夜の帳に包まれていた。伸一は、伊達政宗の騎馬像が立つ、夜の青葉城址を散策した。
24年前、恩師・戸田城聖と共に訪れた青葉城址であった。この前年、銅製の騎馬像は、戦時中、金属類回収によって、撤去され、平服姿で立つ政宗のコンクリート像が建てられていた。戸田は、政宗の偉大さを語った。慶長16年、地震と大津波に襲われた三陸地方。5年後にも大地震と、津波に見舞われる。政宗は、外国との交易によって、地震・津波による窮状から脱しようとしたのであろう。海外貿易を計画し、家柄、肩書に目をうばわれることなく、支倉常長らを登用、欧州に派遣している。
戸田は、「学会にも 多くの名将が育ち、力を合わせていくならば、万年先までの繁栄の基礎を築くことができる。まさに『人は城 人は石垣 人は堀』だ。広宣流布という壮大な理想の実現は、ひとえに人材育成にかかっている」と話す。
遺言を託すかのように、伸一を見すえて言った。「学会は、人材をもって城となすのだ。人材の城をもって広宣流布に進むのだ!」その言葉は、伸一の生命に深く刻印された。
「人材を探すんだ。それには、人材の資質を見抜く眼をもたねばならぬ。だから、リーダーは、常に自分を磨き上げ、公正にものを見る目を培い、境涯を大きく開いていく努力を、決して忘れてはならない」
青年たちが、大人材に育っていくために、心すべきはなにかと伸一が尋ねた。戸田は、伸一の意見に同意し、「第一に『使命の自覚』、第二に『向上心』第三に『忍耐』」だと話した。
伸一の耳朶には、「学会は、人材をもって城となす」との恩師の言葉が響いていた。彼は、夜景を見ながら、深く心に誓った。“何があろうが、民衆を守るために、微動だにせぬ創価城を築き上げねばならない”
山本伸一の活動の舞台は、宮城県から福島県へと移った。若い県長の榛葉則男に言った。「福島は、すばらしい足跡を残したね。会う人、会う人、皆、表情が明るく、喜びにあふれている。これが大事なんです。弘教の成果や座談会参加者数などのデータも、組織の実態を見ていくうえでは必要です。しかし、それだけでは、とらえきれないのが、信心の世界です。
会員の皆さんとお会いした時に、喜々として信心に励んでいるのか、なんとなく受け身になって義務感で行動しているのかを、よく見極めていくことです。そこに、組織の本当の実態があるからです。皆さんに、歓喜と確信をもたらすために、学会の組織がある。また、そのために幹部がいるんです」
「若いリーダーは、ともすれば、合理的な思考法のみで、物事を進めていこうとしがちである。いかに理にかなった理屈であったとしても、それだけでは、人は動かない。人間は感情の動物だからです。人は心で動くんです。
思いやり、情愛、誠実をもって心を通わせ合う。そして信頼を勝ち取る。それがあってこそ、人は勇んで行動するようになる。したがって、『あの人は優秀だが、心は冷たい』と言われるような人間になってはならない。凍てた人間の心を、温かく包み、溶かし、蘇生させていくのが、仏法指導者なんです」
次の訪問地栃木研修道場へ向かった。途中、郡山会館を訪れた。長年、この会館の管理者を務め、前年に他界した根本孝俊の追善勤行を、どうしても行いたかったからである。
「ご主人を亡くされ、なかなか悲しみは拭えないかもしれません。しかし、強い心で生きることです。人は、愛別離苦という苦しみを避けることはできない。でも、あなたの心の中に、ご主人は永遠に生き続けます。そして、そのご主人が、どんな自分を見れば喜んでくれるかを、考えてください。
信心して亡くなった方は、すぐに、この世に人間として生まれて、広宣流布の使命に生きると、日蓮大聖人は教えられているんです。既に、ご主人は、身近なところに誕生しているかもしれませんよ」
大聖人は、「今日蓮等の類い精霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ」と仰せである。題目こそが、故人の即身成仏の力となるのだ。
24年前、恩師・戸田城聖と共に訪れた青葉城址であった。この前年、銅製の騎馬像は、戦時中、金属類回収によって、撤去され、平服姿で立つ政宗のコンクリート像が建てられていた。戸田は、政宗の偉大さを語った。慶長16年、地震と大津波に襲われた三陸地方。5年後にも大地震と、津波に見舞われる。政宗は、外国との交易によって、地震・津波による窮状から脱しようとしたのであろう。海外貿易を計画し、家柄、肩書に目をうばわれることなく、支倉常長らを登用、欧州に派遣している。
戸田は、「学会にも 多くの名将が育ち、力を合わせていくならば、万年先までの繁栄の基礎を築くことができる。まさに『人は城 人は石垣 人は堀』だ。広宣流布という壮大な理想の実現は、ひとえに人材育成にかかっている」と話す。
遺言を託すかのように、伸一を見すえて言った。「学会は、人材をもって城となすのだ。人材の城をもって広宣流布に進むのだ!」その言葉は、伸一の生命に深く刻印された。
「人材を探すんだ。それには、人材の資質を見抜く眼をもたねばならぬ。だから、リーダーは、常に自分を磨き上げ、公正にものを見る目を培い、境涯を大きく開いていく努力を、決して忘れてはならない」
青年たちが、大人材に育っていくために、心すべきはなにかと伸一が尋ねた。戸田は、伸一の意見に同意し、「第一に『使命の自覚』、第二に『向上心』第三に『忍耐』」だと話した。
伸一の耳朶には、「学会は、人材をもって城となす」との恩師の言葉が響いていた。彼は、夜景を見ながら、深く心に誓った。“何があろうが、民衆を守るために、微動だにせぬ創価城を築き上げねばならない”
山本伸一の活動の舞台は、宮城県から福島県へと移った。若い県長の榛葉則男に言った。「福島は、すばらしい足跡を残したね。会う人、会う人、皆、表情が明るく、喜びにあふれている。これが大事なんです。弘教の成果や座談会参加者数などのデータも、組織の実態を見ていくうえでは必要です。しかし、それだけでは、とらえきれないのが、信心の世界です。
会員の皆さんとお会いした時に、喜々として信心に励んでいるのか、なんとなく受け身になって義務感で行動しているのかを、よく見極めていくことです。そこに、組織の本当の実態があるからです。皆さんに、歓喜と確信をもたらすために、学会の組織がある。また、そのために幹部がいるんです」
「若いリーダーは、ともすれば、合理的な思考法のみで、物事を進めていこうとしがちである。いかに理にかなった理屈であったとしても、それだけでは、人は動かない。人間は感情の動物だからです。人は心で動くんです。
思いやり、情愛、誠実をもって心を通わせ合う。そして信頼を勝ち取る。それがあってこそ、人は勇んで行動するようになる。したがって、『あの人は優秀だが、心は冷たい』と言われるような人間になってはならない。凍てた人間の心を、温かく包み、溶かし、蘇生させていくのが、仏法指導者なんです」
次の訪問地栃木研修道場へ向かった。途中、郡山会館を訪れた。長年、この会館の管理者を務め、前年に他界した根本孝俊の追善勤行を、どうしても行いたかったからである。
「ご主人を亡くされ、なかなか悲しみは拭えないかもしれません。しかし、強い心で生きることです。人は、愛別離苦という苦しみを避けることはできない。でも、あなたの心の中に、ご主人は永遠に生き続けます。そして、そのご主人が、どんな自分を見れば喜んでくれるかを、考えてください。
信心して亡くなった方は、すぐに、この世に人間として生まれて、広宣流布の使命に生きると、日蓮大聖人は教えられているんです。既に、ご主人は、身近なところに誕生しているかもしれませんよ」
大聖人は、「今日蓮等の類い精霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ」と仰せである。題目こそが、故人の即身成仏の力となるのだ。
太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋