『新・人間革命』第27巻 正義の章 122p~
太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋
神札を受けることは、正法正義の根本に関わる大問題である。また、信教の自由を放棄し、軍部政府の思想統制に従うことでもある。牧口は、決然と答えた。「承服いたしかねます。神札は、絶対に受けません」彼は、『時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事』との、日興上人の御遺誡のうえから、神札を拒否したのである。
牧口のこの一言が、正法正義の正道へ、大聖人門下の誉れある死身弘法の大道へと、学会を導いたのだ。その場を辞した牧口は、激した感情を抑えながら、愛弟子の戸田に言った。「私が嘆くのは、一宗が滅びることではない。一国が眼前でみすみす亡び去ることだ。宗祖大聖人のお悲しみを、私はひたすら恐れるのだ。今こそ、国家諌暁の時ではないか!」
弟子は答えた。「先生、戸田は命をかけて戦います。何がどうなろうとも、戸田は、どこまでも先生のお供をさせていただきます」創価の師弟とは、生死をかけた広宣流布への魂の結合である。それからほどなく、牧口と戸田は「不敬罪」並びに「治安維持法違反」の容疑で、逮捕投獄されたのだ。
そして、最終的に、二人を含め、幹部21人が逮捕されることになるのである。軍部政府によって会長の牧口常三郎が逮捕されるや、周章狼狽した宗門は、牧口一門の総本山への登山を禁ずるなど、学会との関りを断とうとしたのだ。日蓮大聖人の仏法の清流は、正法正義を貫いた牧口と戸田城聖の、創価の師弟によって死守されたのである。
仏法の眼を開いてみるならば、まさに、創価学会は、“法滅”の危機を救い、末法広宣流布のために出現した仏意仏勅の団体であり、地涌の菩薩の集いであるという以外にない。しかし、在家である創価学会員が、喜々として広宣流布に邁進する姿を快く思わず、学会には御本尊を授与しないという寺さえあったのである。宗門には、信徒を下に見て睥睨する、悪しき体質が温存されていたのだ。
戸田は、そうした悪相とは敢然と戦った。もし、その悪を見過ごしてしまうならば、それは、やがて広宣流布を破壊する元凶となり、凶悪となっていくからだ。事実、学会は正法正義を貫き、広宣流布を推進するために、悪侶とは徹して戦い、宗門を守り、発展に尽くしてきた。
その学会にとって、忘れ得ぬ事件がある。戦時中、「神本仏迹論」を唱え、宗門から擯斥処分を受け、僧籍を剝奪されていたはずの謗法の僧・笠原慈行が、総本山大石寺にいるのを、学会員が見つけ出したのである。
「神本仏迹論」は、国家神道をもって国論を統一して戦争を遂行する軍部政府に迎合し、大聖人の教えを根本から否定する邪説であった。笠原は「神本仏迹論」を唱え、不敬罪で大石寺を告訴した。それによって軍部政府は、果敢に折伏を行っていた学会に目を付け、弾圧を開始するにいたり、牧口常三郎は獄死することになるのだ。
学会の青年たちは、笠原を牧口の墓前に連れて行き、青年たちに問われた笠原は、遂に「神本仏迹論」は妄設であるとし、謝罪状を書いた。戸田は、出獄以来、笠原の動向に心を配ってきた。笠原が僧籍復帰しているという話を聞いた戸田が、5月3日、それが真実かを宗門に確認すると「かかる僧侶は絶対におりません。笠原は宗門を追放されております」との返事であったが、実際には、学会にはなんの話もないまま、4月5日に、宗門は笠原を僧籍復帰させていたのだ。
僧同士の馴れ合いである。笠原は、学会が彼の誤りを正したことを、暴行や傷害事件に仕立て上げて喧伝し、パンフレットまで配布したのだ。
宗門では、臨時集会を開いて、信徒が、大法会の最中に“僧侶”を糾弾した“不祥事”として、処分の検討に入ったのである。そして、笠原には、教義背反の異説を放棄したとは認められないとしつつも、「宗制宗規に照らし適切な処置を望む」と述べるのにとどまった。
一方、戸田に対しては、「未曽有の不祥事」を起こしたとして、「謝罪文の提出」「大講頭罷免」「登山停止」を求める、極めて厳しい決議をしたのである。日蓮大聖人は、「慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が怨なり」との仏典の一節を引いて、悪と戦うことの大切さを訴えられている。戸田は、宗会の決議を知り、宗門の僧たちから、その精神は消え失せてしまっていることを痛感せざるを得なかった。
この事実を学会員は 永遠に忘れてはならない。
牧口のこの一言が、正法正義の正道へ、大聖人門下の誉れある死身弘法の大道へと、学会を導いたのだ。その場を辞した牧口は、激した感情を抑えながら、愛弟子の戸田に言った。「私が嘆くのは、一宗が滅びることではない。一国が眼前でみすみす亡び去ることだ。宗祖大聖人のお悲しみを、私はひたすら恐れるのだ。今こそ、国家諌暁の時ではないか!」
弟子は答えた。「先生、戸田は命をかけて戦います。何がどうなろうとも、戸田は、どこまでも先生のお供をさせていただきます」創価の師弟とは、生死をかけた広宣流布への魂の結合である。それからほどなく、牧口と戸田は「不敬罪」並びに「治安維持法違反」の容疑で、逮捕投獄されたのだ。
そして、最終的に、二人を含め、幹部21人が逮捕されることになるのである。軍部政府によって会長の牧口常三郎が逮捕されるや、周章狼狽した宗門は、牧口一門の総本山への登山を禁ずるなど、学会との関りを断とうとしたのだ。日蓮大聖人の仏法の清流は、正法正義を貫いた牧口と戸田城聖の、創価の師弟によって死守されたのである。
仏法の眼を開いてみるならば、まさに、創価学会は、“法滅”の危機を救い、末法広宣流布のために出現した仏意仏勅の団体であり、地涌の菩薩の集いであるという以外にない。しかし、在家である創価学会員が、喜々として広宣流布に邁進する姿を快く思わず、学会には御本尊を授与しないという寺さえあったのである。宗門には、信徒を下に見て睥睨する、悪しき体質が温存されていたのだ。
戸田は、そうした悪相とは敢然と戦った。もし、その悪を見過ごしてしまうならば、それは、やがて広宣流布を破壊する元凶となり、凶悪となっていくからだ。事実、学会は正法正義を貫き、広宣流布を推進するために、悪侶とは徹して戦い、宗門を守り、発展に尽くしてきた。
その学会にとって、忘れ得ぬ事件がある。戦時中、「神本仏迹論」を唱え、宗門から擯斥処分を受け、僧籍を剝奪されていたはずの謗法の僧・笠原慈行が、総本山大石寺にいるのを、学会員が見つけ出したのである。
「神本仏迹論」は、国家神道をもって国論を統一して戦争を遂行する軍部政府に迎合し、大聖人の教えを根本から否定する邪説であった。笠原は「神本仏迹論」を唱え、不敬罪で大石寺を告訴した。それによって軍部政府は、果敢に折伏を行っていた学会に目を付け、弾圧を開始するにいたり、牧口常三郎は獄死することになるのだ。
学会の青年たちは、笠原を牧口の墓前に連れて行き、青年たちに問われた笠原は、遂に「神本仏迹論」は妄設であるとし、謝罪状を書いた。戸田は、出獄以来、笠原の動向に心を配ってきた。笠原が僧籍復帰しているという話を聞いた戸田が、5月3日、それが真実かを宗門に確認すると「かかる僧侶は絶対におりません。笠原は宗門を追放されております」との返事であったが、実際には、学会にはなんの話もないまま、4月5日に、宗門は笠原を僧籍復帰させていたのだ。
僧同士の馴れ合いである。笠原は、学会が彼の誤りを正したことを、暴行や傷害事件に仕立て上げて喧伝し、パンフレットまで配布したのだ。
宗門では、臨時集会を開いて、信徒が、大法会の最中に“僧侶”を糾弾した“不祥事”として、処分の検討に入ったのである。そして、笠原には、教義背反の異説を放棄したとは認められないとしつつも、「宗制宗規に照らし適切な処置を望む」と述べるのにとどまった。
一方、戸田に対しては、「未曽有の不祥事」を起こしたとして、「謝罪文の提出」「大講頭罷免」「登山停止」を求める、極めて厳しい決議をしたのである。日蓮大聖人は、「慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が怨なり」との仏典の一節を引いて、悪と戦うことの大切さを訴えられている。戸田は、宗会の決議を知り、宗門の僧たちから、その精神は消え失せてしまっていることを痛感せざるを得なかった。
この事実を学会員は 永遠に忘れてはならない。
太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋