小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

百六箇抄

人を育てる

『新・人間革命』第8巻 宝剣の章 P155~

伸一が気にかけていた受講生の一人に、医学部の高岡直美がいた。彼女の顔は、いつも暗かった。日々、悶々としているのであろう。確かな生き方が見いだせず、観念の迷路に陥り、自分の殻にとじこもってしまい、人生そのものに懐疑的になっていたのかもしれない。学会活動も、いやで仕方ないようであった。

伸一は、彼女に、境涯ということを教えたかった。彼女にこう指導したこともあった。
「人間は、自分の殻を破り、境涯を開くことによって、同じ環境にいても、ものの見方も、感じ方も、すべて異なってくる。

夜空の星々は、アインシュタインには、おそらく、相対性原理の輝きのように見えたであろうし、ベートーベンには、名曲を奏でているように感じられたであろう。でも、仏というのは、もっと深く、もっと広い、生命の世界なんだ。その境涯に至るまで、信心をやめてはいけないよ」

「あなたは、一人になり、孤独になってはだめだよ。行き詰ってしまうからね。常に心を開いてくれる、触発と励ましの組織が学会なんだ。だから、勇気をもって、その学会の組織のなかに飛び込み、人びとのために働くことだ。」

「あなたはやがて、医師になるだろうが、一番、大切なことは、人間を救おうという菩薩の心だよ。」

ある時は、一人の受講生が「正直なところ、私は学会の組織というのが好きではありません。しかし、山本先生の講義を受講して、先生を守り、先生とともに人びとのために生き抜く自分になりたいと思います。」と自分の思いを語った。

伸一は言った。「私を守るというが、学会を守ることが、私を守ることになる。一人の会員を、十人、百人、千人の会員を守ることが、私を守ることです。なぜなら、私の人生は、そのためにあると決めているからです。」

「私たちがめざしている広宣流布は、無血革命といえるが、私は、会員のため、法のため、社会のためには自分の血を流そうと決意しています。その覚悟と勇気がなければ、広布の指揮はとれません。学会を離れ、会員を離れて、私はない。もし、君に少しでも、私を守ろうという心があるなら、学会の組織の最前線を走り抜き、会員を守ることです。」

一人ひとりの人生と未来のために、何を語り、何を打ち込むかー 伸一は、生命を研ぎ澄まし、真剣に考えながら指導を重ね、まことの人間の道を教えていったのである。

事実、この「百六箇抄」の講義の受講生は、ほぼ全員が大成長を遂げ、・・・学会の中核として活躍していく人、医師、学者、国会議員など、さまざまな分野で輝かしい業績を示しながら、皆、大きく社会に貢献していくことになるのである。

人間の命には限りがある。一代限りでは大業は成就しない。ゆえに、人を育て、残すことのみが、広宣流布を成し遂げる唯一の道であるからだ。


「猊下、全僧侶、法華講員に訓諭」
1963年(昭和38年)7月25日付の聖教新聞を手にした学会員の多くは、一面に踊るこの大きな文字を見て、驚きを隠せなかった。

訓諭には、「宗内教師僧侶一般」にあてたものと、「法華講々員一般」にあてたものと二つがあった。


「宗内教師僧侶一般」の内容は、創価学会の折伏による至誠により、大聖人の仏法が広まり、宗勢が興隆している。しかし、宗門の僧侶は、その自覚の欠如と本分にもとるがごとき言動を聞くに及んで遺憾である。いたずらに遊戯雑談、懶惰懈怠に流れ、「法師の皮を著た畜生、外道の弟子」と、譴責されることなく、少欲知足を旨とし、よく身を慎み、精進するようにとの日達管長からの訓諭であった。

僧侶の在り方を正す、こうした訓諭が出されるのは、極めて異例のことといえた。

太字は 『新・人間革命』第8巻より

本迹とは

『新・人間革命』第8巻 宝剣の章 P141~

伸一は、質問を受けた後、皆と握手を交わした。
「百六箇抄」は、伸一にとっても、思いで深い御書であった。それは、彼が戸田城聖から、教学部教授の研究課題として与えられた御書であったからである。

それは、深遠にして広大無辺な仏法の世界に、伸一を導くかのような講義であり、それ自体が、師から弟子への相伝であった。戸田は言った。「この一箇条を徹底して学び深く理解していくならば、後の百五箇条もわかってくる。この『百六箇抄』がわかれば、ほかの御書もわかってくる。」

その時の伸一の御書は、戸田から受けた講義の書き込みで、真っ黒になるほどであった。

伸一は、京大生への講義では、まだ、教学の基本も身についていないメンバーに、できるかぎり噛み砕いて語っていった。

そして、「百六箇抄」が日蓮大聖人の仏法と釈尊の仏法の「本迹」「勝劣」が厳しく判別されている御書であることから、「本」と「迹」の立て分けを、あらゆる角度から論じ、人間の生き方に即して展開していったのである。

人生の根本は何か - ここに、彼の講義の最大のポイントがあった。

「百六箇抄」の最後の付文である「立つ浪・吹く風・万物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり」の個所では、伸一はこう語った。「立つ波、吹く風、いっさいの現象について、本迹、勝劣を立て分けていきなさいという御文です。つまり、私たちの人生にも、生活にも、全部『本迹』がある。それを、きちっと見極め、立て分けていかねばならない。

「根本的にいえば、私たちの本地は、広宣流布のために出現した地涌の菩薩であり、ゆえに、広宣流布に生き抜く人生こそが『本』となる。一方、諸君が将来、社会的な地位や立場がどんなに立派になったとしても、それは『迹』です。この一点を見誤ってはならない。」

「どんな状況になっても、広布の使命を果たし抜こうとの決意があれば『本』です。環境に負け、信心を失って、使命を忘れてしまうならば『迹』になる。『本』と『迹』は、ある意味で、ほんのわずかな差といえるし、一念の問題だけに、外からはわからないこともある。しかし、仏法の眼で見れば、すべては明らかであるし、天地雲泥の差となる。」

「『本迹』を個人の一念に要約していえば、『本』とは原点であり、広宣流布の一念です。また、前進、挑戦の心です。『迹』とは惰性であり、妥協、後退です。」

「自分は今、広布のために、人間革命のために生きているのか、一念は定まっているのか - それを見極めていくことが、私たちにとって、 『本迹』を立て分けていくということになるし、その人が最後の勝利者になっていく。ゆえに、『本迹』といっても、この瞬間瞬間が勝負であり、自分のいる現実が仏道修行の道場となる」

この本迹についての伸一の講義は、受講生の心に深く刻まれ、その後の生き方の大きな支えとなっていったようだ。伸一は、講義を通して、単に仏法の法理を教えるだけでなく、一人ひとりの人生をいかに開いていくかに最も力を注いできた。
そのために、講義のあとには、必ず質問や懇談の時間をもった。

入院して病気を治そうと思うという中野には、「本当の信心を学ぶ時がきた。チャンスだよ」と話し、妻が子宮癌で危ないという滝川には、「使命があるから大丈夫だよ。仮に、信心をしていて若くして亡くなることがあったとしても、深い意味を持った死であり、後に残った人たちに何かを教えている。大事なことは、何があっても、驚き、慌てるのではなく、ますます信心を奮い立たせていくことです。私も祈るよ」と指導する。

滝川の妻はその指導を聞き、唱題を重ね、病を克服した。この体験は 夫の滝川にも信心の確信をもたらし、飛躍のバネになっていった。


太字は 『新・人間革命』第8巻より

京大生への 「百六箇抄」講義

『新・人間革命』第8巻 宝剣の章 P131~

学生たちは、西洋的な帰納法の思考には慣れていても、東洋的な演繹法の思考には慣れていない。御書は、西洋的なものの考え方だけでは、決してとらえることはできない。その仏法の発想に立っていくためにも、帰納法的な論理を超えた相伝書の「百六箇抄」は、最もふさわしい御書といえた。

しかし、この日、集った受講生たちにしてみれば、一応、「百六箇抄」の勉強はしてみたが、ちんぷんかんぷんで全く理解しがたいというのが本音であった。

伸一は、それぞれが自己紹介をすることから始めた。母親に勧められ、親孝行のために入会したもの、病気に苦しんでいた時に、折伏されたものなど、ほとんどが、信心して、一、二、年ほどで、学会活動の経験もない人が少なくなかった。

この日の参加者に、司法修習生になっているOBがいた。名前を山脇友政といった。病気で療養生活をしている時に、折伏され、病気を信心で克服し、司法試験に合格したのだ。彼は、自己紹介で誇らしげに、司法修習生であることを語った。そこには、どこか卑屈さに裏打ちされた傲慢さが、感じられた。

しかし、伸一は、学生部のなかから、難関といわれた司法試験の合格者が出たことが嬉しかった。

仏法という人間の尊厳の哲理をいだき、人道と正義のために戦う弁護士が育ちゆくことを、待ち望んでいた。

山脇に対しても、弁護士になると、初めから学会の顧問弁護士のように遇していった。ところが、山脇友政は、信頼で結ばれた学会の世界を、自己の野望実現の恰好の場所と、考えるようになっていったようだ。

信仰とは、己心における仏と魔、善と悪の闘争だ。魔、悪に打ち勝つためには、仏道修行という生命の錬磨が絶対に不可欠である。しかし、真剣に、また地道に信心に励むことのなかった山脇の心はいともたやすく、第六天の魔王に支配されていくのである。

後に、学会の顧問弁護士となった彼は、宗門の法主に取り入り、学会を宗門に隷属させ、自分が学会を支配しようと計画する。そして、その野望が破たんすると、顧問弁護士であった立場を利用し、学会を恐喝するという、驚くべき犯罪を起こし、極悪人の本性をさらけ出す。

しかも、懲役刑を受けたあとも、山脇は、宗門や政治権力、一部のマスコミなどを巧妙に巻き込み、学会潰しに躍起となるのである。

伸一は、山脇の振る舞いに、不純さ、傲慢さ、狡猾さを感じることが少なくなかった。だから、時には厳しく指導することもあったが、大きく包み込んできた。人間なら誰しも、欠点はある。切り捨てることはたやすいが、欠点があるからといって、次々と排斥していってしまえば、人を育てることなどできない。人間の善性を信じるところに、人を育てる要諦があり、仏法者の心もある。

伸一は、欠点の多い、癖のある人物ほど、心を砕いて指導し、使命を全うできる道を考え、活躍の場も与えてきた。また、彼は、山脇に限らず、その人物が人間の信義に目覚め、広宣流布に奮い立つならば、たとえ、騙されても、許しもしたし、包容もしてきた。この、人のよさゆえに、彼は、利用されることも少なくなかった。しかし、自分が傷つくことを恐れず、人の育成に努めてきたからこそ、広宣流布のあらゆる分野の、多彩な人材を育てることができたのである。

「広宣流布の道には、さまざまな誘惑をもある。信心を磨き抜かなければ、自分に負けていってしまう。このなかからも、退転する者、反逆する者が出るかもしれない。しかし、たった一人しか残らなくても、私はその人を励まし、その人とともに、広宣流布を成し遂げていくつもりだ。でも、みんな最後まで残ってほしい。そして、一緒に、生涯、広宣流布のために生き抜いていこうよ」と話した。


太字は 『新・人間革命』第8巻より

青年よ世界の指導者たれ

『新・人間革命』第8巻 宝剣の章 P117~

翌日は、女子部の華陽会の研修会であった。伸一は、ここでも質問会を通して、メンバーの激励に全力を注いだ。やがて、社会は“女性の時代”となる。その時のために、どれだけ多くの、聡明な女性リーダーを育むことができるかが、広宣流布の勝負を決すると、彼は考えていたのである。

世界の指導者の多くは、自らが功なり名を遂げてから後継のリーダーを育成するが、広宣流布という大業を果たすには、それでは遅すぎる。広布は無数の人材を必要とする作業であり、皆の活躍の舞台は、多様多岐にわたり、世界に広がっているからだ。また、いつ倒れようが、自分の志を受け継ぎ、堂々たる広宣流布の指揮をとれる人材群を育成しておく必要性を、伸一は感じていたのである。

さらに彼は、いよいよ「本門の時代」を迎えるにあたり、新しい、指針を書き始めた。タイトルは「青年よ世界の指導者たれ」である。

新しき青年部は、さらに世界的視野に立ち、幅広く立体的な活動を展開し、各界において有為なる人材、一流指導者として巣立ちいかねばならない。そして、「全人類の福祉」と「世界平和」に寄与することを、青年部の目標として掲げたのである。

そして、彼は、革命児たる青年部の具体的実践として三指針を示した。
第一に「御本仏日蓮大聖人の大仏法における厳格なる信行学を確立すべきである」
第二に「理想は高く、現実は、あくまでも堅実に、一歩一歩力強く進まなければない」
第三に「同志の団結である」

日本は、この翌年の1964年東京オリンピックが開催されるとあって、社会的にも、国際性や世界への関心が高まりつつある時代であった。

そのなかで、山本伸一の「大白蓮華」巻頭言「青年よ世界の指導者たれ」には、学会の青年のなすべきことが、明確に示されていた。しかも、一部の特定の青年への呼びかけではない。すべての青年部員に、世界の指導者たれと訴え、その具体的な方途を明らかにしているのだ。

世の中は次第に学歴社会になり、有名大学の出身者でなければ社会のリーダーたり得ないかのような考えが定着しつつあったが、彼は、そんな幻想にとらわれることはなかった。

学歴イコール人間の能力ではない。指導者には、知識・学力は必要ではあるが、同時にそれを生かす知恵こそ不可欠である。また、勇気、信念、情熱、行動力の有無も、重要なポイントとなる。さらに、なによりも、他人を思いやる心や、自分を律する力など、人格、人間性の輝きといった事柄が、求められていかねばならない。そして、それは、その人のもつ思想、哲学と不可分の関係にある。

学生部の会合では、日蓮仏法の実践者として、時代の先駆者として、立派な大指導者に育つことを期待すると語り「一生涯、信仰を全うしていくということは至難です。これから先、同志を裏切り、信心をやめていく人もいるかもしれない。しかし、“仏法は勝負”です。大聖人の仰せ通りに信心をし抜いた人と、学会を去って行った人が、10年、20年、30年先に、どうなっているか - 各々が、その証明者、体験者として、よく見極めていただきたいのであります」と足元を固めながら前進してほしいと望む。

京大生へは「百六箇抄」の講義が決まった。「百六箇抄」は、日蓮大聖人の最要深秘の法門である種脱相対を明らかにされた重書中の重書であったからである。それだけに、難解な御書であることはいうまでもなかった。

学生部員を受講者とした講義であることから、難解ではあっても、日蓮仏法の本義に触れるために、この御書を研鑽しようと、彼は考えたのである。


太字は 『新・人間革命』第8巻より

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