小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

登山会

豪雪の試練

『新・人間革命』第7巻 操舵の章 P309~

長岡支部の人たちは、不眠不休で食事作りに励んでいた。人参やキャベツなどの野菜も添えられた。

夕刻には長岡駅まで列車を動かせることになったが、旅館はすでに一杯で、江田は また、長岡支部の竹川に連絡し、メンバーの家に、分宿させてもらう以外にないと心苦しかったが頼むしかなかった。

車内にいた900人のメンバーが、3人、5人と振り分けられ、次々と受け入れ先の会員の家に向かった。列車が長岡駅に到着して、わずか1時間で皆、宿泊先の家に行くことができた。

それを見て、長岡駅駅の駅員は 驚きの声をあげる。自分たちの経験から 最低でも2時間はかかるとみていたのだ。宿泊できない人も出るのではないかと考えていたが、「こんな状態のなかで、一瞬にして宿泊先が決まるなんて、とても考えられないことです。創価学会さんの力はさすがですね。同じ信仰をもった人たちの団結の強さと、学会の方々の思いやりの強さを実感しました」と言った。

それぞれの宿泊先では、6日ぶりの 風呂に入れてもらったり、真心の食事が振舞われた。お礼に屋根の雪下ろしを買って出たり、家の掃除を手伝うメンバーもいて、新潟、羽越の両支部と長岡支部の同志の間には、太く固い友情の絆が結ばれ、以来、今日に至るまで、親戚以上の付き合いを続けている人もいる。

翌27日には 午前9時ごろに出発できそうとのことで、皆、再び列車に戻って来た。しかし、いつになっても列車は出発しなかった。

この日の午後、参議院公明会の 二人の議員が雪害の調査のために、ヘリコプターで長岡に飛んできた。現地に急行した最初の国会議員である。山際、浅田議員が調査すると救援の指揮系統があいまいで、連携がとれず、情報さえ、共有されていなかった。実態調査とともに、救援対策を練った。

27日が 暮れても列車は動かず、結局、翌28日午前零時をまわってやっと93時間ぶりに運転が再開した。総本山を出発して、109時間という長い帰途になった。しかし、メンバーの胸には、信仰への確信の火が燃え上がっていたのである。

留守を預かる新潟支部、羽越支部のメンバーは、地元で登山者の家族に吹雪の中歩いて一軒一軒訪問し、状況を説明していた。時には、未入会の家族から怒られる場合もあったが、誠意をもって話す姿に、また、長岡の同志の献身的な尽力の模様を聞き、驚嘆し、批判的だった家族が、学会の深い理解者となったケースも少なくない。

豪雪禍の試練のなかで、新潟の友の団結は、一段と強まっていったのである。

この豪雪で、立ち往生していた列車の乗客はパニックになり、喧嘩や罵声が飛び交ったり、暖房がとまって、車内で炭火を持ち込み、中毒症状起こすという事態も起きた。

そのなかで、学会員の乗った団体列車では、皆、最後まで整然と行動していたことは注目に値しよう。それは、長岡の同志の救援も含め、信仰の力を証明するものであったといってよいだろう。

1月27日の午後9時過ぎ、会長山本伸一は海外指導から帰国し、列車が止まっていることを聞くと顔を曇らせた。病人など出ていないか確認し、自宅に着くとすぐに、そのまま仏壇の前に座り、メンバーの無事を祈って、真剣に勤行・唱題していた。

翌日には、教学部の教授会に出席、29日には 本部幹部会に臨んだ。その一方で、2月に予定していたアメリカのケネディ大統領との会見の準備に力を注いでいた。ケネディとは語り合いたいことがたくさんあったが時間的な制約もあるだけに、話す内容を整理しておく必要があった。


太字は 『新・人間革命』第7巻より

登山会の開始

『新・人間革命』第2巻 勇舞の章 p247~


11月16日 山本伸一は、幹部200名とともに 総本山65世法主日淳の
一周忌法要に 参列するため 総本山に向かった。


死期を悟った 日淳は 16日午前零時過ぎから 相承の儀を執り行った。
この日の午後 伸一は 日淳から細井総監に 相承したことを告げられる。


日淳は 戸田城聖との思いを語る。
「戸田先生には、また創価学会には 大恩があるのです。・・・
登山会もそうでした。そのおかげで、総本山は 観光地化せずにすんだのです」


戦後、宗門は 農地改革によって土地の多くを失い、財政難に陥っていた。
その窮地を脱するために、総本山大石寺を観光地にしようという話が持ち上がったのである。


この計画を聞き「総本山を絶対に観光地にしてはならない」と、
断固、反対したのが戸田城聖だった。
彼は、日興上人の「謗法の供養を請く可からざる事」との御遺誡のうえから、
なんとしても、これに同意するわけにはいかなかった。


大御本尊は、どこまでも信仰の根本として尊敬すべき対象でなければならない。
それを、仮にも、信仰の寸心さえない物見遊山の観光客に、
金のために拝観させるようなことにでもなれば、
日蓮大聖人の御精神を踏みにじることになってしまう。


戸田は、信心を失った姿に、怒りをもって叫び外護に立ち上がった。
これを契機に1952年10月から開始されたのが、
後に創価学会の伝統行事となった「登山会」であった。


日淳は、その経緯のすべてを知っていた。
「戸田先生のおかげで、創価学会のおかげで、大法は清浄に、今日までまいりました。
 本宗は、戸田先生、創価学会の大恩を永久に忘れてはなりません。
 こう、細井(日達)に言っておきました」

日淳は、創価学会を最も深く理解し、敬愛し抜いた。


日淳の 透徹した信仰の眼には学会は、霊山の儀のままに、久遠の誓いのままに、
末法の衆生の救済のために出現した、地涌の菩薩の集いであると映じていたのである。


日淳は 創価学会の基盤とは「師弟の道」にあることを明快に語っている。
1958年11月 学会の総会に出席した日淳は 再び「師弟の道」を主題に講演している。


日淳自筆の原稿から 抜粋すると
「大本尊より 師弟の道は生じ、その法水は流れて学会の上に伝わりつつあると
信ずるのであります。それでありますから、そこに種々なる利益功徳を生ずるのであります」


日淳が、学会の「師弟の道」は、
「大本尊」から生じていると明言していることは重大である。



太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋
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