『新・人間革命』第29巻 力走の章 144p~
11月29日、関西牧口記念館への車中、副会長で関西総合長の十和田光一が、意を決したように語り始めた。「関西婦人部長の栗山三津子さんのことで、報告があります。先日、癌と診断され、手術をしなければなりません。幸い、早期発見で命に別状はないとのことです」
伸一は、すぐに栗山に宛てて手紙を書いた。そして、病への考え方について語っていった。「そもそも仏法では、生老病死は避けることができないと説いているんだもの。みんなで温かく包み、励ましてあげることです。
大事なことは、病気に負けないことです。人生には、病に襲われることもあれば、失業や倒産など、多くの苦悩があるが、それ自体が人を不幸にするのではない。その時に、“もうこれで自分の人生は終わりだ”などと思い、希望をなくし、無気力になったり、自暴自棄になったりすることによって、自らを不幸にしてしまうんです。
苦境を乗り越えていくには、強い心で、“こんなことで負けるものか!必ず乗り越え、人生の勝利を飾ってみせるぞ!”という、獅子のごとき一念で、強情に祈り抜いていくことです。
だから、病の診断を受けたら、“これでまた一つ、信心の体験が積める!みんなに仏法の力を示す財産が増える!”と考えていくことです。」
「また、信心をしていても、若くして病で亡くなることもあります。それぞれのもっている罪業というものは、私たち凡夫には計りがたい。しかし、広宣流布に生き抜いた人には、鮮やかな生の燃焼があり、歓喜がある。その生き方、行動は、人間として尊き輝きを放ち、多くの同志に共感をもたらします。伸一は、不二の関西の同志には、何ものも恐れぬ勇猛精進の人に育ってほしかった。
伸一が、三重県のなかで、まだ行っていない地域への訪問を強く希望したことから、名張で地元幹部らと協議会を開催することが決まったのである。三重県長の富坂良史から、失明の危機を見事に乗り越えた、名張本部の本部長をしている高丘秀一郎さんに会ってほしいといわれる。
高丘は突然右目がかすみはじめ、左目も見えなくなった。大学病院でも「今の医療ではなすすべがありません」と言われた。彼は、もはや信心しかない。本気になって信心に励んでみようと腹を決め、真剣に唱題を続け、挑戦を開始した時、伸一とばったり出会い、激励をもらったのだ。
伸一を自宅に迎えた高丘は、「左目の方は、題目が50万遍になった時に、視力が0.5になり、70万遍で0.7に、百万遍になったら、1.0になっていたんです。仏法の力を心の底から感じています」と報告した。
伸一は、名張の代表らと食事をしたあと、懇談的に話をした。「怨嫉という問題について、未来のために語っておきたい。自分の生命を磨き、わが胸中の仏性を湧現する以外に、崩れることのない絶対的幸福境涯を確立する道はないんです。しかし、自らが妙法蓮華経の当体であると信じられなければ、本当の意味での自信がもてず、自分の心の外に幸せになる道を求めてしまう。
すると、どうなるか。周囲の評価や状況に振り回されて、一喜一憂してしまう。例えば、社会的な地位や立場、経済力、性格、容姿など、すべて、人と比べるようになる。そして、わずかでも自分の方が勝っていると思うと優越感をいだき、自己を客観視することなく、過剰に高いプライドをもつ。
さらに、人の評価を強く意識するあまり、周りのささいな言動で、いたく傷つき、“こんなに酷いことを言われた”などと憎み、恨むことになる。また、策に走って歓心を買うことに躍起となる人もいる。
実は、怨嫉を生む根本には、せっかく信心をしていながら、わが身が宝塔であり、仏であることが信じられず、心の外に幸福を追っているという、生命の迷いがある。そこに、魔が漬け込むんです。
皆さん一人ひとりが、燦然たる最高の仏です。かけがえのない大使命の人です。人と比べるのではなく、自分を大事にし、ありのままの自分を磨いていくことです。また、自分が仏であるように、周囲の人もかけがえのない仏です。だから、同志を最高に敬い、大事にするんです。それが、創価学会の団結の極意なんです。
太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋