小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

異体同心

学会の永遠の黄金則

『新・人間革命』第30巻(上) 雌伏の章 175p~

活動の方法に、“絶対”や“完璧”ということはありません。メリットもあれば、なんらかのデメリットもあるものです。したがって、問題点があったら、皆で知恵を出し合って、それをフォローする方法を考えていくんです。柔軟に、大きな心で、互いに力を合わせていくことが大切です。

どの団体や宗教も、多くは運動上の意見、方法論の違いから対立や憎悪を生み、分裂しています。学会は、断じて、そんな轍を踏むようなことがあってはならない!今日は、将来のために、広宣流布をめざすうえでの、最大一の鉄則とは何かを、あえて言い残しておきます。それは、金剛不壊の異体同心の団結です。

大聖人は、こう仰せになっている。『総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か』

ここには、すべての日蓮大聖人の弟子・檀那ら、つまり、広宣流布に生きる私どもが拝すべき根本精神が述べられています。いっさいの差異にとらわれることなく、共に同志である。等しく地涌の菩薩であるとの原点に、常に立ち返っていかなくてはならない。

同志は皆、親密な、切っても切れない関係にあることを自覚し、互いに尊重し合い、守り合っていくことです。今、共に信心に励んでいるのは、決して偶然ではない。過去遠遠劫からの深い縁に結ばれ、一緒に久遠の誓いを果たすために末法濁世に出現したんです。

何があろうが、“広宣流布のために心を合わせ、団結していこう”という一念で、異体同心の信心で進むことこそが私たちの鉄則です。いや、学会の永遠の“黄金則”です。

最大の悪とは、内部から広宣流布をめざす異体同心の団結を攪乱、破壊することです。異体同心を破る者は、いかに自己正当化しようが、第六天の魔王の働きをなすものです」

「自分が中心になると、御書や学会指導に立ち返ることも、異体同心を第一義にすることもなくなってしまう。つまり、本来、仏法者の基本である、自身を見つめ、内省するという姿勢が失われていく。また、自分の心が“師”となってしまうから、自身を制御できず、その結果、我欲に翻弄され、名聞名利に走ったり、自分勝手なことをしたりする。そして、皆に迷惑をかけ、さまざまな不祥事を引き起こす。
これが退転・反逆していく共通の構図といえます」

この伸一の言葉通り、やがて、学会支配を狙い、陰で宗門僧と結託していた悪徳弁護士らが仮面を脱ぎ、正体を明らかにしていくのである。

「戸田先生を知る人は多い。しかし、先生に仕え抜き、その遺志を受け継いで、仰せ通りに広宣流布の道を開いてきたのは私だけです。したがって、あえて申し上げるけれども、学会のことも、先生の真実も、誰よりも私がいちばんよく知っている。

その意味からも私は、世界の同志が、また、広宣流布のバトンを受け継ぐ後世の人たちが、創価の師弟の道をまっすぐに歩み通していけるように、小説『人間革命』を書き残してきたんです。君たちは、常に、勇んで試練に身を置き、自らを磨き、鍛えてほしい。そして、どこまでも団結第一で、共に前へ、前へと進んで、21世紀の学会を創り上げていくんだよ」

同志の中へ、心の中へーー山本伸一は、日々、激励行を重ねていった。激動の1979年(昭和54年)は師走に入り、あわただしい年の瀬を迎えた。12月26日伸一は、東京・荒川文化会館を訪問した。第三回鼓笛隊総会に出席することになっており、それに先立って、同志を励ましたかったのである。

伸一の荒川への思いは、人一倍強かった。1957年の大阪事件から1か月後の8月、広布の開拓に東奔西走したのが荒川区であったからだ。不当な権力に抗し得るものは、民衆の力の拡大と連帯しかないと、心の底から痛感していた。

ゆえに、人情味豊かな下町の気質を受け継ぐこの荒川の地で、広宣流布の大いなる拡大の金字塔を打ち立てることを決意したのだ。伸一は、“荒川闘争”にあたって、ある目標を深く心に定めていた。それは、1週間ほどの活動であるが、区内の学会世帯の1割を超える拡大をすることであった。

皆が、想像もできない激戦となるが、ここで勝つならば、その勝利は、誇らかな自身となり、各人が永遠に自らの生命を飾る栄光、福運の大勲章となろう。伸一は荒川の同志には、困難を克服し、確固不動たる“東京の王者”の伝統を築いてほしかったのである。


太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋
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方面別 芸術祭開催

『新・人間革命』第13巻 光城の章 P267~

1968年秋 芸術祭が、各方面で盛大に開催された。芸術部の力を結集して、各方面ごとに開催しようとの伸一の提案であった。

新しい人間文化を創造する芸術祭にーーと、芸術部員の意気は盛んであったが、具体的に何をやればよいのかとなると、なかなか名案が浮かばなかった。

芸術祭を成功させるうえで、一番大切なことはという質問に伸一は「皆が仲良く団結していくことです。芸術家が自分の芸や個性を大切にするのは当然のことが、協調も、団結もできないと、自分の小さな殻に閉じこもるばかりで、新しい境地が開けなくなってしまう場合もある。また、それでは、人間的にも偏波であるし、芸術祭のような総合的な芸術の創造は難しい」

"個性"を尊重することと"団結"は 相反しないのかという質問に「その原理が『異体同心』ということなんです。」と答えた。「世間では、団結というと、よく『一心同体』と言われる。これは、心を同じくするだけでなく、行動や形式も同じことを求める。つまり、全体主義となり、どうしても、個性は抑圧されることになる。」

「それに対して、大聖人は『異体同心』と言われた。これは"異体"である個人、また、それぞれの個性や特性の尊重が大前提になっています。その一人ひとりが"同心"すなわち、広宣流布という同じ目的、
同じ決意に立つことから生まれる、協力、団結の姿が異体同心です。


「それは、外側からの強制によるものではなく、個人の内発的な意思による団結です。だから強いんです。また、自主性が基本にあるから、各人が個性、特質をいかんなく発揮できるし、それによって、さらに全体が強くなる。」

「学会の強さは、この『異体同心』の団結にありました。その力によって、常に不可能の壁を破り、新しい歴史を開いてきた。皆が仲よく団結しているということは、それ自体が、各人の境涯革命、人間革命の証なんです。なぜなら、我欲が強く自己中心的な人、傲慢、見栄っ張り、嫉妬心が強い人、わがままな人などは、団結することができないからです。」

「そして結局は、組織をかき乱し、皆に迷惑をかけ、最後は、自分から学会を離れていってしまうことになる。しかし、そうなれば、自分が不幸です。最後は哀れです。だから、広宣流布のために団結しようと決め、自分を見つめて、わがままや慢心に挑戦し、人間革命していくことが大事になるんです。」

10月14日トップを飾って、中部芸術祭が開催され、流儀の違いを超えた、琴と尺八の「団結」の調べが演奏された。皆が成功を祈念し団結の祈りを重ねた結果であった。

各地の芸術祭では、郷土色があふれていた。四国では、坂本竜馬の青春時代を題材にした舞踏劇が演じられ、九州では、小倉祇園太鼓、福沢諭吉とその弟子を描いた創作劇など、芸術部員は、地域文化の振興に情熱を燃やしていた。

芸術祭の掉尾を飾った東京芸術祭で人びとを魅了したのは人気歌手の幸山エリカであった。彼女は、アメリカ軍人の父と日本人の母の間で生まれたが、父は、挑戦戦争でなくなり、母は女手一つで苦労してエリカを育てた。

1958年、「宿命転換」の話に心を打たれ、親子は入会した。小学生の頃、容姿のせいで、いじめられたが、大人たちからその容姿ならファッションモデルになれると言われ、題目をあげ、応募すると、合格し、功徳を実感した。

さらに、歌手になる夢を実現するため、レッスンに励み、祈りに祈った。歌手になりたいのは、芸術部員として、学会員として、信仰の実証を示したいという強い思いがあったからである。


太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋

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呼吸を合わせるとは

『新・人間革命』第3巻 仏法西環の章 P20~


山本伸一の就任以来 全国各地に次々と新しい支部が結成されていた。
支部の強化の 要諦には 『団結』がある。


組織の強さは、どこで決まるか。
それは、団結であり、幹部が呼吸をあわせていくことです。


例えば、会合で支部長が『学会活動をしっかりやって、功徳を受けていきましょう』
と指導する。


それに対して、隣にいる副支部長が
『生活を離れて信心はない。仕事を一生懸命にしよう』
と言えば、まとまる話もまとまらなくなってしまう。


これは 呼吸の合わない典型です。どの人の話も学会が指導してきたことではありますが、
これでは、指導が“対立”して混乱をきたすことになる。


これは、呼吸を合わせようとしないからです。
呼吸が合えば、同じ趣旨の発言をしても自然に言い方が違ってきます。


例えば、支部長が『教学をやりましょう』と言ったら、
『そうしましょう、そして、実践の教学ですから、題目を唱え、折伏にも
頑張っていきましょう』と言えば、聞いている人も迷うことはない。


これは、“対立”ではなくて、“補う”ことになります。


大切なのは、自分を中心に考えるのではなく、
勝利という目的に向かい、呼吸を合わせていくことです。
そこに、自分自身の見事なる成長もある。


鉄の団結こそ「躍進の年」の 勝利の要諦であると
新年初の 幹部会で語る 山本伸一であった。



太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋

信心の血脈

『新・人間革命』第2巻 勇舞の章 p256~


信心の血脈とは何か
御聖訓には
「異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」
と 仰せである。


「南無妙法蓮華経と唱え奉る」とは、自行化他にわたる題目であることはいうまでもない。
つまり、広宣流布に向かって、心を一つにして「行動」する団結のなかに、
生死一大事の血脈、すなわち「信心の血脈」が流れ通うとの御教示である。


創価学会は、それを実践してきた唯一の教団であることを、日淳は最も深く、
正確に 認識していた。


信心の一念は、必ず「行動」「実践」となって表れるものだ。


根本の師たる大聖人のご指南通りの信心と、不惜身命の実践こそが、
後継の正師たる要件といえよう。それがなければ、法主、管長といっても、
仏法の本義とはかけ離れた、宗内政治の頭目にすぎず、
そこには「信心の血脈」など決してありはしない。


日蓮大聖人滅後、六百数十年を経て、軍部政府の弾圧に宗門が屈した時、
日蓮大聖人の仰せのままに、正法流布に決然と立ち上がったのが、
初代会長牧口常三郎であった。


弾圧を恐れ、権力に迎合して勤行の際の御観念文を改竄し、
御書の一部を削除し、学会に神札を受けよと迫る、
臆病な宗門に、師を見いだすことなど、できようはずがなかった。


日淳は、牧口を語るに「生来全く法華的の方であった」「生来仏の使いであられた」と
称賛を惜しまなかった。


まさに、現代における仏法の正師こそ、初代会長牧口常三郎であった。


二代会長戸田城聖も 牧口も 不惜身命の実践をもって 広宣流布に生涯を捧げた。
その行動のなかにこそ、大聖人の「信心の血脈」があり、
創価学会の師弟の脈動がある。




太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋

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