小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

王仏冥合

王法と仏法

『新・人間革命』第5巻 獅子の章 P325~

宗門が、戒壇を「国立」とする根拠と考えていたのが、「三大秘法抄」の「勅宣並びに御教書を申し下して」の御文であった。

現代では、天皇は象徴となり、将軍も執権もいない。主権在民の時代であり、民衆こそが社会の主役である。

戸田は、「国立戒壇」を現代の社会で実現するならば、その御文をどうとらえればよいかに苦慮していた。

「国立」であるかどうかはともあれ、戒壇の建立は、広宣流布を象徴する一つの形式であり、遠い未来の問題である。

戸田は、戒壇建立の作業は、後に続く弟子たちに委ねようとしていた。その前に、「王仏冥合」をどのようにとらえ、いかに実現していくかを課題にし、全精力を注いでいった。

伸一に、「王仏冥合」をどう考えるかということが、これからの大事な課題になると話し、
「『王法』とは、政治だけに限定するわけにはいかず、むしろ、王の定めた法の及ぶ範囲、すなわち、世間法ととらえるべきだろう。政治だけでなく、経済も、教育も、学術も含め、社会の文化的な営みのすべてを『王法』と解釈すべきだ。
『王法』と『仏法』の『冥合』とは、いかなる姿を言うのかが、極めて重要になってくる」と語る。

「『王仏冥合』は、政治と仏法が制度的に、直接、一体化することでは決してない。」

「『王法』と『仏法』が、奥深くで合致することであり、人間の営みである、あらゆる文化の根底に、仏法の哲理、精神が、しっかりと定着するということだ。」

「『仏法王法に合して』とは、仏法の哲理、精神が、一人ひとりの生き方、行動を通して表れ、世間の法が、社会そのものが、仏法の在り方と合致していく姿だ。」

「仏法を一人ひとりの心に打ち立て、人格を陶冶していくことが、大聖人の示された社会建設の基本原理であり、その帰結が『王仏冥合』ということだ」

「要するに『王仏冥合』といっても、あるいは、『立正安国』といっても、具体的な一個の人間を離れてはありえない。それは、どこまでも、人間一人ひとりの一念を変え、生命を変革していく人間革命ということが、最大のポイントになるのだよ」


政治や教育が正しく人間の幸福のために寄与してこなかったし、科学の発展は、人類を滅ぼしかねない原水爆が生まれたことなどを述べ、
「問題は、ここなんだよ。それは、結局、人間が進むべき正しき道を教え政治、経済、科学、教育などをリードする、生命の哲学が確立されていないからだ。その不幸を転換するために大聖人がしめされた原理が『王仏冥合』なのだよ。」

「『王仏冥合』の姿とは、世界のすべての国が栄え、それぞれの国の社会の繁栄と個人の幸福とが一致することであると思っている。」

「そこに、これからの創価学会が果たしていかねばならぬ使命があり、仏法の社会的行動がある。」

「そして、この課題に本格的に取り組むことが、君の生涯の仕事となっていかざるをえないだろう。」


山本伸一も、この戸田の精神を継承し、民衆の幸福のための政治の実現をめざし、戸田亡きあとも、同志を政界に送り出すことに力を注いできた。

本門の戒壇をどうするかは、師の戸田から広宣流布の後事のいっさいを託された伸一の、避けることのできないテーマであった。


伸一は、総本山の日達法主に「国立戒壇」は、本来の大聖人の御精神とは異なることを様々な機会に語っていった。日達も伸一の意見に全面的に同意してくれた。

後年、正式に「国立戒壇」という名称は世間の疑惑を招くし、かえって布教の邪魔にもなるため、「今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします。」と本部総会の特別講演で述べている。

かつて、創価学会が「国立戒壇」という名称をしようしたのも 本宗の信徒であったためで、それを学会が使っていたことについて非難するにはあたらないと講演した。

伸一は今、「公明政治連盟」が発足したことによって、個人の幸福と社会の繁栄の一致という「王仏冥合」の実現に向かい、内海から大海に乗り出したことを実感していた。

彼は、未来に競い起こるであろう怒涛を予感していた。しかし、政治を民衆の手に取り戻し、人びとの幸福に真に寄与するものにするためには、あえて、その怒涛に向かって、突き進んでいくしかない。

それが、人間の凱歌の時代を開く、創価の誉れの使命であり、民衆を守りゆく獅子の道であるからだ。




太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋

王仏冥合

『新・人間革命』第3巻 平和の光の章 P306~

山本伸一は考えた。

あの戦争は終わり、はや15年余の歳月が流れようとしているが、いまだ、
世界の民衆は戦火にあえいでいる。

戦後の世界は、イデオロギーによって分断され、冷戦構造がつくられていった。

「国家中心」から「人間中心」へ、そして、「世界は一つ」と考えていくべき時が
既に来ているはずだ。

そのために必要なのは、人間の多様性を尊重し、調和と融合を図り、
人類を結び合う生命の哲学だ。

一人ひとりがエゴイズムの殻を破り、蔑視や偏見を克服して人間性の
尊き輝きを放つことだ。

つまり、人間が自己完成へと向かいゆく、人間革命が不可欠である。



山本伸一は、ビルマで戦死した長兄のことを考えるたびに
小説『ビルマの竪琴』を 思い浮かべた。

終戦を迎えながら、それを知らずに敗走する日本兵達が イギリス軍に包囲される。
日本兵は 「埴生の宿」などをうたいながら包囲を突破しようとした。

合唱が終わると 今度は 周囲から「埴生の宿」が聞こえる。
イギリス兵が 歌っていたのだ。歌は英語だが、曲は同じだ。

つぎには「庭の千草」が聞こえる。それらの曲は、
イギリスで古くから愛唱されていた歌に 日本語の歌詞をつけたものだった。

敵も味方もなく 両軍の兵士が声を合わせて歌う。
戦争は始まらなかった。

歌が人間の心と心をつなぎ、無駄な血を流さずにすんだのである。

音楽や芸術には、国家の壁はない。それは民族の固有性をもちながらも、
普遍的な共感の広がりをもっている。



「『認識しないで評価してはいけない』と牧口先生は言われた。
アジアの宗教、文化、民族について研究し、正しく認識っしていくことが、
アジアを理解していくうえでも 大切だ。」と考えた山本伸一。

さらに、法華経を中心に研究を重ね、仏法の人間主義、平和主義を
世界に展開していける人材を育む必要がある。
それらをふまえ、東洋の哲学、文化、民族の研究機関を設立していこうと
構想を話す。

もう一つの構想は、人間と人間の交流による相互理解のために、
芸術、文化の交流が必要であり、音楽など、芸術の交流推進運動である。

世界中の音楽や舞踏を、クラシックから現代のものまで紹介していく。
民衆が古今東西の音楽、芸術に触れるとともに、人間の心を結ぶ運動を
起こしていこうと考えていた。

p318より
『王仏冥合』と言いますが、この平和と文化への貢献が『王法』です。
したがって『王法』には、芸術、教育、政治、経済などあらゆる社会の営みが含まれます。
その文化創造の大地となる、民衆の声明を耕していくのが『仏法』なんです。

『冥合』というのは、根底とする、奥深く合一しているということであり、
決して制度的に一体化することではない。

結論すれば、本来、仏法者の宗教的使命は、人間としての社会的使命を
成し遂げていくことで完結される。それができてこそ、生きた宗教です。




太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋
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