小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

熊本文化会館

人材の熊本

『新・人間革命』第25巻 人材城の章 321p~

女子部の若いリーダーには、年長の部員さんに信頼されるように、適切なアドバイスができない場合には、先輩幹部や、経験豊かな婦人部の幹部に会わせ、相談にのってもらうことが大事だと話す。

「皆さんに、新しい時代の、新しい幹部像をつくっていってほしいんです。これまで、幹部というと、"号令をかける人"との印象があったかもしれない。しかし、これからは、そうではありません。"自ら率先垂範で、何をすべきかを示していく人"が、新時代のリーダーです。

自分が真っ先に行動を起こして、『こうやって実践しています』と語っていくことが重要なんです。失敗も語ってください。結果は実っていなくとも、挑戦の苦闘と喜びを、ありのままに語り、頑張り続けていくという決意をぶつけていくんです。

そうすれば皆が、"それなら、私にだってできる。私も挑戦しよう"という思いをいだいていきます。一生懸命で健気な姿勢に、人は、世代を超えて共感するんです。ありのままの自分、等身大の自分でいいんです」伸一は、一人ひとりを知り、未来の大成のために、発心の種子を植えておきたかったのである。

「広宣流布の主体者になることこそが、福運を増す要諦なのであります。ゆえに、"守られる側から、同志を守る側になろう""受働から能動の姿勢に立とう"とするなかに、大聖人につながる信心の確立があることを、私は訴えておきたいのであります」

「人材は自然に育つものではありません。人材を育成しようとする先輩幹部の、誠意あふれた行動によってのみ、後輩たちの人材たろうとする使命の自覚がなされていきます。人間を育むのは、どこまでも人間です。"ここまで自分を信頼し、期待してくれているのか!""自分のことを思い、尽くしてくれるのか!"という、熱い真心に触れて、使命に生きようという意志力が燃え上がるんです」

「先輩幹部は、"どうすれば人材の活躍の場をつくれるのか"を常に、一生懸命に悩み考えていくことが大事なんです。どうか、熊本県の皆さんは、今後は『人材の熊本』を合言葉として、幹部自らが"人材になろう!人材をつくろう!"と、強い祈りと持続の実践をもって、多くの逸材を育んでもらいたいのであります」

伸一は、さらに、「広宣流布は、長途の旅ゆえに、健康に留意し、リズム正しい信心即生活の日々であれ」と訴えた。「生活のなかに運動を上手に取り入れて、体を鍛えていくことも必要です。また、無理をしても、信心しているんだから…という安易な考えで、非常識な行動をし、生活のリズムを崩し、体を壊すようなことがあっては、絶対になりません」

初めて熊本県を訪問した折のことを話す伸一。「戸田先生は、『熊本に行きたい』と言われていたが、実現できずに、4月に亡くなられた。だから、"戸田先生に代わって、私が熊本へ行こう!そして、皆が、心から歓喜、感動し、決意を新たにする支部結成大会にしよう"と、心に決めていたんです。

師を凌ぐ戦いができてこそ、本当の弟子なんです。師が指揮を執っていた以上に、広宣流布を前進させてこそ、令法久住なんです。その勝利のなかに、師弟不二があるんです」

それは、恩師の逝去から、7か月後のことであった。当時、学会の一切の責任は、事実上、30歳の伸一の双肩にかかっていたのだ。

益城本部長の坂上良江は、熊本県の三角に第一歩をしるされた日を「三角の日」と決め、当時、三角駅にあった長椅子を地元の佐々井ユリが譲り受け宝としていると話す。

「私の基準は、御書であり、それを実際に身で読まれ、実践されてきた戸田先生です。"こう
いう時、先生ならどうされるか""自分の今日の行動は、先生のご精神にかなったものであるのか""先生が今の自分を見たら、喜ばれるのか、悲しまれるか"そして、"必ず、先生にお喜びいただける勝利の戦いをしよう"と、自分を鼓舞してきたんです。それが、私の勇気の源泉です。常勝の原動力なんです」

師弟不二とは、師の心をわが心として生きることであり、いつ、いかなる時も、己心に厳として師匠がいることから始まる。師匠を"自分の心の外にいる存在"ととらえれば、師の振る舞いも、指導も、自身の内面的な規範とはならない。

そして、師匠が自分をどう見ているかという、師の"目"や"評価"が行動の基準となってしまう。そうなると、"師匠が厳しく言うから頑張るが、折あらば手を抜こう"という要領主義に出していくことになりかねない。そこには、自己の信心の深化もなければ、人間革命もない。



太字は 『新・人間革命』第25巻より 抜粋

熊本での人材育成

『新・人間革命』第25巻 人材城の章 307p~
<人材城の章 開始> 

中国の名宰相・諸葛孔明は、「国を治める道は、力を尽くし、優秀な人材を見出し、登用することにある」との言葉を残している。創価学会の未来もまた、一に、どれだけ多彩な、たくさんの人材が育成できるかにかかっている。

1977年(昭和52年)熊本文化会館に到着した。石碑の除幕を行い、県青年部長勝山平八郎に碑文を読むよう指示。彼は「聳ゆ」などの読み方でつまづく。「青年は、未来のために、どんなに忙しくても、日々、猛勉強するんだよ」と教養を深く身につけ、一流の人材に育ってほしいと、あえて、厳しく指導したのだ。

「学会の人材の要件とは何かーー。根本的には、生涯、広宣流布のために生き抜く人です。学会と共に、師弟不二の大道を歩み続けていこうと決意し、それを実践している人です。しかし、人間の心のなかを見ることはできない。自分が偉くなって権勢を得ようという、野心である場合もあります。最悪なケースは、中心幹部が、それを見抜けずに、そういう人たちにおだてられ、乗せられてしまうことです。ゆえに、リーダーは、一人ひとりの奥底の一念を見極めていく眼をもつことです。

奥底の一念を見極めていくには、自身の生命に濁りがあってはならない。わが生命の鏡が、曇っていたり、歪んでいたりすれば、一人ひとりを正しく見極めていくことはできないからです。結局は、我見になり、自分の好き嫌いで、人を見ていってしまうことになる。ゆえに、常に唱題第一で、わが生命を磨き抜くんです。

それでも、人間の奥底の一念は、すぐにはわからないものです。短期間で見極めることは難しいこともある。しかし、一年、二年と、長い時間をかけて見ていればわかります。どんなに表面を装っていても、ふとした時に、驚くような傲慢極まりない言動や、怠惰な態度が出てしまうものだからです。

また、人が見ていない時に、何をしているかに、その人の本質が表れます。ともかく、人材の根本要件を、一言でいえば、"労を惜しまず、広宣流布の師弟の道に生き抜く人"ということです」

どんな優れた能力をもち、社会的に高く評価される立場にあったとしても、信心の一念という根本が揺らいでいたのでは、広宣流布の本当の人材とはなり得ない。奥底の一念を"広宣流布のため"という大目的に定めてこそ、性格も、能力も、地位も、すべてが生かされ、人びとの幸福実現のための大きな力となるのである。

「入会した時から、広宣流布のために生きようと決意している人はほとんどいないでしょう。今度は皆さんが、広宣流布の大願に生き抜こうという、決定した信心の人たちを育てていくんです」

「皆、さまざまな宿業をもっていますから、何があるかわからないのが人生なんです。ですから、若い世代に、福運をたくさん積み、宿命の転換に励むとともに、何があっても負けない心の強さを培うことが大事になる。そのための信心なんです」伸一は、女子部員は、一人も残らず幸せになってほしかった。

本当の幸福は、自分で創り上げていくものだ。誰かから与えられるものではない。幸せになるには、「幸せとは何か」を明らかにした「哲学」が必要になる。「哲学」というのは、生き方の根本となる考え方である。

仏法では、生命の因果の理法によって、その原因を明快に説き示している。過去世からの自身の言動や心が、宿業を形成する。そして、現在の自身の生き方が、未来を決していくと。

しかも、自身のあらゆる「宿命」は、それを転換して幸福の実証を示し、人びとに希望と勇気を与えるための、尊き「使命」となることを教えているのである。

「学会の根本精神は、どんなに時代が変化しても、変わってはなりません。しかし、活動形態などは、時代とともに、また、世代によって、当然、変化していかなくてはならない」

「『激励』というのは、年長者が、年少の人に対して行うものであるかのように思い込んでいませんか。『激励』は、双方から発信できるんです。人間は、たとえ、自分より年下の人であっても、"いつも自分のことを思ってくれ、一生懸命励ましてくれる""信頼し、尊敬してくれている"という人がいれば、嬉しく、力強いものです。人間は人との絆のなかで、勇気を得るし、希望を得ていきます。その麗しい励ましの絆を、社会の隅々にまで広げていくのが、広宣流布とも言えます」


太字は 『新・人間革命』第25巻より 抜粋
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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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