『新・人間革命』第3巻 平和の光の章 P298~
1926年激動の「昭和」の幕が開いた。
第一次世界大戦後の 不況と関東大震災による大打撃から
まだ、立ち直れていないところに29年の 世界大恐慌が起き、
深刻な社会不安を背景に軍部の圧力が高まっていく。
その激動のさなか1930年11月18日創価教育学会が誕生する。
翌年9月には「満州事変」が勃発し、日本は15年に及ぶ日中戦争に突入していく。
国民の多くは、この戦争を支持した。
それには、マスコミによる軍部寄りの 偽情報によることが大きい。
「満州事変」の契機となった「満鉄爆破事件」にしても、
軍部のでっちあげ情報のみを伝え、侵攻に異を唱えなかった新聞・ラジオ。
当時の 東京朝日新聞には「支那兵が満鉄線を爆破し我が守備兵を襲撃した」
とあり、遠因は「満州における正当なる我が条約上の権益に対する支那官民の
頻々たる侵害に存して居ります」と記されている。
こうした報道に接していれば、人びとが中国人に敵意をいだき、関東軍の侵攻は
正当なものであると思うのも無理からぬ話であった。
史実は、関東軍が周到な計画に基づいて満鉄を爆破し、それを中国軍の仕業だと
偽った陰謀だったのである。
軍部による報道管制が行われていたとはいえ、当時のマスコミの多くは、
進んで軍部に協力し、軍国美談をつくりあげ、戦争を礼賛していたのである。
マスコミが国家権力と連携し、真実を覆い隠してしまうならば、民衆はどうなるか。
ゆえに、言論人の責任は実に重いのである。
盧溝橋事件を発端に 日中全面戦争に突入していく日本。
政府は、国民精神総動員実施要綱を決定。
以後、「挙国一致・尽忠報国・堅忍持久」が叫ばれ、
神社への参拝、教育勅語の奉読、戦没者慰霊祭、出征兵士の歓送などが強制されていった。
このさなか、創価教育学会の発会式が行わる。
教育改革をめざしてスタートした創価教育学会が、すべての根底をなす
宗教改革に、いよいよ本格的に取り組むことを意味していた。
宗教弾圧の嵐が吹き荒れる中、前途に、いかなる試練をも覚悟の上で、
牧口常三郎と戸田城聖は 立ち上がったのである。
暗黒の時代は、風雲急を告げていた。国家総動員法の公布、
大政翼賛会の成立など、一国を挙げての戦時体制は刻々と強化されていった。
牧口は、戦争遂行のための精神的支柱である国家神道の誤りを、
敢然と正そうとしていた。
当然、牧口には尾行がつき、会合にも特高警察の目が光り、
講演の中止を命じられることもあった。
しかし、彼は恐れなかった。暗黒の時代に「平和の光」を送るために、
その根本の思想、宗教の改革を叫び続けた。
それによって、1943年(昭和18年)7月6日、牧口も戸田城聖も、不敬罪、
並びに治安維持法違反の容疑で、逮捕されたのだ。
取り調べでも一歩も引かず、人間のための宗教を語った牧口は、
翌年、11月18日、栄養失調と老衰のため、獄死したのである。
牧口は、人間を蹂躙する時代の激流の中で、人間の尊厳の旗を守り抜き、
生涯の幕を閉じたのだ。
太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋
1926年激動の「昭和」の幕が開いた。
第一次世界大戦後の 不況と関東大震災による大打撃から
まだ、立ち直れていないところに29年の 世界大恐慌が起き、
深刻な社会不安を背景に軍部の圧力が高まっていく。
その激動のさなか1930年11月18日創価教育学会が誕生する。
翌年9月には「満州事変」が勃発し、日本は15年に及ぶ日中戦争に突入していく。
国民の多くは、この戦争を支持した。
それには、マスコミによる軍部寄りの 偽情報によることが大きい。
「満州事変」の契機となった「満鉄爆破事件」にしても、
軍部のでっちあげ情報のみを伝え、侵攻に異を唱えなかった新聞・ラジオ。
当時の 東京朝日新聞には「支那兵が満鉄線を爆破し我が守備兵を襲撃した」
とあり、遠因は「満州における正当なる我が条約上の権益に対する支那官民の
頻々たる侵害に存して居ります」と記されている。
こうした報道に接していれば、人びとが中国人に敵意をいだき、関東軍の侵攻は
正当なものであると思うのも無理からぬ話であった。
史実は、関東軍が周到な計画に基づいて満鉄を爆破し、それを中国軍の仕業だと
偽った陰謀だったのである。
軍部による報道管制が行われていたとはいえ、当時のマスコミの多くは、
進んで軍部に協力し、軍国美談をつくりあげ、戦争を礼賛していたのである。
マスコミが国家権力と連携し、真実を覆い隠してしまうならば、民衆はどうなるか。
ゆえに、言論人の責任は実に重いのである。
盧溝橋事件を発端に 日中全面戦争に突入していく日本。
政府は、国民精神総動員実施要綱を決定。
以後、「挙国一致・尽忠報国・堅忍持久」が叫ばれ、
神社への参拝、教育勅語の奉読、戦没者慰霊祭、出征兵士の歓送などが強制されていった。
このさなか、創価教育学会の発会式が行わる。
教育改革をめざしてスタートした創価教育学会が、すべての根底をなす
宗教改革に、いよいよ本格的に取り組むことを意味していた。
宗教弾圧の嵐が吹き荒れる中、前途に、いかなる試練をも覚悟の上で、
牧口常三郎と戸田城聖は 立ち上がったのである。
暗黒の時代は、風雲急を告げていた。国家総動員法の公布、
大政翼賛会の成立など、一国を挙げての戦時体制は刻々と強化されていった。
牧口は、戦争遂行のための精神的支柱である国家神道の誤りを、
敢然と正そうとしていた。
当然、牧口には尾行がつき、会合にも特高警察の目が光り、
講演の中止を命じられることもあった。
しかし、彼は恐れなかった。暗黒の時代に「平和の光」を送るために、
その根本の思想、宗教の改革を叫び続けた。
それによって、1943年(昭和18年)7月6日、牧口も戸田城聖も、不敬罪、
並びに治安維持法違反の容疑で、逮捕されたのだ。
取り調べでも一歩も引かず、人間のための宗教を語った牧口は、
翌年、11月18日、栄養失調と老衰のため、獄死したのである。
牧口は、人間を蹂躙する時代の激流の中で、人間の尊厳の旗を守り抜き、
生涯の幕を閉じたのだ。
太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋