小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

求道心,

組織の形式化官僚化を打破するには

『新・人間革命』第27巻 求道の章 347p~

伸一は、東北の同志が、どれほど大変な思いをしながら、地域広布の道を切り開いてきたかを、よく知っていた。御書の仰せの通りに、広宣流布を進めてきた勇者たちである。この方々を地涌の菩薩といわずして、どこに、地涌の菩薩の出現があるというのだ。どこに、仏の使いがいるというのだ。


東北の人びとは、冷害をはじめ、チリ津波など、さまざまな災害に苦しんできた。しかし、彼らは、「だからこそ、御本尊がある!」「だからこそ、地域中の人たちを元気づけるために、俺たちがいる!」「だからこそ、広宣流布に一人立つのだ!」と、そのたびに、一段と闘魂を燃え上がらせてきた。

この宝友たちが示した信仰の最大の実証とは、“蔵の財”を得て、物欲を満たすことではなかった。“心の財”をもって、真実の仏法の力を証明してきたことだ。

「岩手県は、面積も広い。旧習も深く、学会への誤解や偏見の壁も厚い地域もあるかもしれない。何かと苦労が多いことは、よくわかっています。だからといって、万が一にも、“広宣流布が進まなくても仕方がない”といった“あきらめ”の心があれば、本当の力は出ません。その一念が、根本的な敗因になっていきます。まず、“あきらめ”という“一凶”を打ち破っていくことから戦いは始まります」どの県、どの地域にも、繁栄の花を咲かせ、幸せの果実を実らせることが広宣流布である。

“一人でも多くの人と、言葉を交わして励まそう”ーーそれが、彼の決意であった。伸一は、いかにして組織に、温かい人間の血を通わせるかに、心を砕いていた。物事を効率よく進めるために、組織では、いきおい、合理性の追求が優先される。すると、すべては画一化され、次第に、その運営も、形式化、官僚化していく。

組織が多くの人びとを擁している限り、どうしても、合理的に運営していかざるを得ない面もある。そこで大事になるのが、一人ひとりに光を当て、各人を大切にしていく実践である。つまり、個別的な一対一の信頼関係を、組織のなかにつくり上げていくのだ。

人間を、個々人を、守り、育むのが学会の組織であり、その責任を分かちもち、担うために役職がある。したがって、役職は人間の上下の関係ではない。常にその原点に立ち返り、励ましと信頼によって人と人とが結ばれていくならば、組織の形式化や官僚化という弊害を打破していくことができよう。

この日、彼が強く訴えたのは、「学会と、同志と、苦楽を共にせよ」ということであった。「苦しい時に励まし合い、苦難を乗り越え、そして、一緒に楽しみを満喫して生きるーーそこに、深く、強い人間の絆が生まれます。師弟も、師と弟子が苦楽を共にしていくなかで、金剛の絆がつくられていきます。

創価学会の同志愛、団結の強さの要因も、そこにあるんです。広宣流布の活動では、正念場となるような苦しい激戦もあります。その時に、歯を食いしばりながら、『頑張ろう!』『負けるな!』と、互いに励まし合い、勝利の旗を掲げ続けてきた同志の絆は強い。永遠の友情が培われていきます。

励まされた人にとって、最も苦しかった時に、同苦して自分を激励・指導してくれた同志の存在は、無二の友であり、終生、大恩の人となっていきます。人間にとって今生の最高最大の財産は、どれだけの人と苦労を共にして励まし、信心を奮い立たせてきたかという体験なんです。

何人もの、いや何十人、何百人もの人から『私は一緒に悩み、祈ってくれたあの人のことを、生涯忘れない』『あの人がいたから、今の私の幸せがある』と言われる人になることです。それに勝る、人間としての栄誉はありません。その人こそ、最も尊貴な人間王者です」

「なかには、自分が幹部で、子どもさんが一生懸命に信心していないことから、何か後ろめたい思いでおられる方もいるかもしれない。しかし、負けてはいけません!決して恥じることはありません。全部、深い意味があるんです。要は、子どもさんが信心に励み、幸せになれるように、強情に祈り、日々、真剣に努力し抜いていくことが大事なんです」

幹部になったとしても、人生にあっては、さまざまな困難に直面するものだ。病魔と闘い続けねばならぬこともあろう。人間が四苦八苦を免れがたい限り、“苦悩との闘争”が生きるということなのだ。大切なことは、どんな時にも、負けない、挫けない、たじろがない強さを持つことである。






太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋

求道心

『新・人間革命』第27巻 求道の章 336p~

田岡は、個人指導に行く前に、懸命に唱題した。全身に生命力が満ちあふれるまで、仏壇の前を離れぬという気迫のこもった唱題であった。彼女は、婦人部員の家庭を訪問すると、満面の笑みで包み込むように語りかけ、相手の悩みを聞き出していった。そして、真剣に耳を傾け、時には、深く頷きながら、目に涙さえ浮かべるのであった。

それから、諄々と、仏法の偉大さを、御本尊の絶対の力を訴えるのだ。信心の姿勢に誤りがあれば、明快に、率直に、歯に衣を着せずに指摘した。そこには信心への大確信と、相手を思う慈悲の一念があふれていた。最後には、唱題や弘教など、具体的に実践すべきことを示し、再開を約束するのである。

再訪問すると、実に見事な結果が出ていた。必ずといってよいほど、皆が悩みを克服しているのだ。斉間は、田岡と接した人たちが、とても人には言えないような、深刻で複雑な悩みを打ち明けることに、不思議さを感じた。しかし、一緒に激励・指導に回るなかで、田岡の“この人と同苦しよう!”という真心の一念が、相手の心に響いているからだということに気づいた。

先輩と後輩が共に活動するなかで、後輩は、折伏・弘教、個人指導などを習得していく。“共戦”という実践なくして、本当の人材の育成はない。

東北婦人部書記長の野崎裕美は、4歳の時に、戦争で父を亡くし、母一人子一人で生活した。戦後、母は過労で、胃潰瘍になり、生活も困窮し、宗教遍歴もしたが、床に伏している日が続いていた。そんな時、母子ともに学会に入会する。

1955年のことだ。入会を機に母は元気になり、暗かった未来に明かりが差した。野崎は入会半年後に参加した登山会で戸田城聖に初めて会う。戸田から「青年は親孝行できる温かい心、大きな心をもたねばならぬ」と激励され、その言葉が野崎の胸に響く。

女で一つで育ててくれた母への、感謝を忘れていた自分を恥じた。また、自分の思い通りにならないと、人のせいにしてしまう生き方を反省した。野崎は、真剣に信心に励んだ。戸田が逝去し、深い悲しみに沈んだが、総務に就任した山本伸一が、女子部員と「人生の並木道」を歌おうと提案されたとき、野崎は、歌いながら、“自分は一人じゃないんだ!”と感じ、心強さを覚えた。

“広宣流布の活動のなかで、ひとたび決めた目標は、何があっても必ず達成する!”それが、彼女の信条であった。また、一人ひとりを、最愛の妹と思って接していくように努めた。女子部時代に培った、この勝利への執念が、彼女を強くし、何があっても負けない心を磨き上げていった。野崎が、常に心がけていたことの一つは、求道ということであった。

東北のメンバーは、地理的な条件もあり、東京などに比べて、どうしても最高幹部との接触の機会が少なかった。野崎は、決意する。“会長の山本先生を広宣流布の師と定め、しっかり呼吸を合わせていこう。そのためには、まず私自身が、最高幹部の方々に体当たりして指導を受け、少しでも先生の心を知ろう。そして、皆に、絶えず清新の息吹を伝えていけるようにしよう”

彼女は、列車で仙台駅を通る幹部がいると聞けば、駅で待っては指導を求め、それを皆に伝えた。やがて、東北女子部は、“自分たちは、本部と直結しているのだ”という自覚と誇りを持つようになっていった。また野崎は、学会本部にも足しげく通っては、指導を受けた。そのなかで、彼女自身が、大きく成長していった。

求道心を失った時、信心の向上は止まり、慢心に侵され始める。仏法者とは、永遠の求道者であらねばならない。そこに、人間革命の道があるのだ。

彼女は、婦人部でも次第に頭角を現し、東北婦人部の書記長兼任で、宮城県婦人部長に就いたのである。斉間と野崎は、結婚後も幾度となく人生の試練にさらされた。しかし、女子部時代から苦労して学会活動に励み、自分を磨き鍛えてきた二人は、決して挫けることはなかった。

生きるということは、宿命との壮絶な格闘といってよい。それに打ち勝ってこそ、幸せはある。勝つか、負けるかーーその避けがたき現実を直視する時、信仰という生命の力の源泉をもち、何ものにも揺るがぬ人間の芯を確立する必要性を、痛感せざるを得ない。

太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋
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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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