『新・人間革命』第16巻 羽ばたきの章 P315~
10月12日、慶祝式典の中心行事となる、正本堂完成奉告大法要を迎えた。 日達法主から伸一に記念品と感謝状が贈られた。「宗門史上未曽有にして且つ永久不滅の大功績として宗門一同等しく梢端するところであります」とあった。伸一は、この感謝状は苦楽を共にしてきた全同志への称賛であると思った。
「法庭」で、千人のメンバーによる、琴の演奏が行われることになっていた。「円融閣」には、幅百メートル、縦23・6メートルの、茜色の大緞帳が張り渡されていた。前年の東京文化祭で衣装係を務めたメンバー210人が担当し、20日間を費やして仕上げたものだ。どんなかたちでもよいから尽力し、共に荘厳したいとの思いで夜を徹して縫い上げたのである。
千人の琴のメンバーは、流派も、技術力も異なり、しかも、居住地は全国に及んでいるため、全員が一堂に会して練習する機会は、ほとんどもてなかった。至難この上なかったが、皆が燃えていた。歓喜が表現され、優雅で、荘重な演奏が轟き、一念が不可能を可能にした演奏であった。
13日には、正本堂法庭湧出泉水大法要が行われ、八葉の池の大噴水が始動された。池の中央から、高さ30メートルの噴水が吹き上げ、その水柱に向かい、池の周囲からも水が八本の曲線を描き、さらに、中央の噴水を囲むように幾つもの水が噴き上げた。水柱の向こうには正本堂が、彼方には、富士がそびえ、妙なる名画であった。
翌14日は、正本堂落慶大法要が営まれた。十条潔から一円たりともゆるがせにしない、極めて詳細な収支決算報告が行われ、維持基金として6億円を確保したことを報告した。
最後に、法華講の総講頭である山本伸一があいさつに立った。「ここに正本堂が見事に管制したということは『終わり』ではなく、それは『始まり』なのであります」
伸一は、自らに新しき挑戦への闘志を燃え上がらせながら訴えた。皆の心のなかには、正本堂の建立をもって、大闘争は終了するかのような思いがあった。伸一は、その気持ちを打ち破り、新しい旅立の銅鑼を、高らかに、打ち鳴らしたのである。
翌、15日には、正本堂世界平和祈願大法要が行われた。午前、大石寺のある富士宮市では、日米の音楽隊、鼓笛隊によるパレードが行われた。
日米のメンバーが仲良く、はつらつと曲を奏でる姿を見て、ある住民は感嘆の声をあげた。市民も、共に正本堂の建立を喜んでくれていたのである。
伸一は、建設関係者に、深い感謝の思いを込めて語った。「皆さん方の功績を讃え、お名前を刻んだ顕彰の碑を、永遠に妙壇の基底に納めさせていただくことにいたしました」そこには、「人類悠久の平和を祈願する大殿堂たる正本堂を、幾多の難工事を克服して完遂した妙法のたくみの姓名を銅板にきざみ、永遠にその功績をたたえるものである」との一文が刻まれている。
午後には、円融閣前に特設されたステージで、「世界平和文化祭」が晴れやかに繰り広げられた。
国籍も、民族も異なる人たちである。しかし、その心は、今、一つに結ばれていた。海外メンバーは皆、正本堂落慶の式典への参加をめざし、懸命に仕事に励み、生活費を切りつめて、旅費を捻出した。そして、苦心に苦心を重ねて休暇を取り、世界中から日本に来たのだ。
それだけに今、夢に見た出会いが実現し、喜びが弾け、涙が込み上げてきてならないのだ。メンバーは、感涙を流しながら、新たなる世界広布への出発を誓うのであった。
伸一は、帰国するメンバーのバスを約1時間にわたり、見送った。同志は皆、その国の広宣流布を担う、大切な物資である。それぞれの国へ帰れば、頼みとなる先輩や同志もほとんどいない。自らが一人立って、新たな広宣流布の道を開くしかないのだ。
伸一と峯子は、"頑張れ!頑張れ!"と心で叫びながら、バスが見えなくなるまで、大きく手を振り続けた。
太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋
10月12日、慶祝式典の中心行事となる、正本堂完成奉告大法要を迎えた。 日達法主から伸一に記念品と感謝状が贈られた。「宗門史上未曽有にして且つ永久不滅の大功績として宗門一同等しく梢端するところであります」とあった。伸一は、この感謝状は苦楽を共にしてきた全同志への称賛であると思った。
「法庭」で、千人のメンバーによる、琴の演奏が行われることになっていた。「円融閣」には、幅百メートル、縦23・6メートルの、茜色の大緞帳が張り渡されていた。前年の東京文化祭で衣装係を務めたメンバー210人が担当し、20日間を費やして仕上げたものだ。どんなかたちでもよいから尽力し、共に荘厳したいとの思いで夜を徹して縫い上げたのである。
千人の琴のメンバーは、流派も、技術力も異なり、しかも、居住地は全国に及んでいるため、全員が一堂に会して練習する機会は、ほとんどもてなかった。至難この上なかったが、皆が燃えていた。歓喜が表現され、優雅で、荘重な演奏が轟き、一念が不可能を可能にした演奏であった。
13日には、正本堂法庭湧出泉水大法要が行われ、八葉の池の大噴水が始動された。池の中央から、高さ30メートルの噴水が吹き上げ、その水柱に向かい、池の周囲からも水が八本の曲線を描き、さらに、中央の噴水を囲むように幾つもの水が噴き上げた。水柱の向こうには正本堂が、彼方には、富士がそびえ、妙なる名画であった。
翌14日は、正本堂落慶大法要が営まれた。十条潔から一円たりともゆるがせにしない、極めて詳細な収支決算報告が行われ、維持基金として6億円を確保したことを報告した。
最後に、法華講の総講頭である山本伸一があいさつに立った。「ここに正本堂が見事に管制したということは『終わり』ではなく、それは『始まり』なのであります」
伸一は、自らに新しき挑戦への闘志を燃え上がらせながら訴えた。皆の心のなかには、正本堂の建立をもって、大闘争は終了するかのような思いがあった。伸一は、その気持ちを打ち破り、新しい旅立の銅鑼を、高らかに、打ち鳴らしたのである。
翌、15日には、正本堂世界平和祈願大法要が行われた。午前、大石寺のある富士宮市では、日米の音楽隊、鼓笛隊によるパレードが行われた。
日米のメンバーが仲良く、はつらつと曲を奏でる姿を見て、ある住民は感嘆の声をあげた。市民も、共に正本堂の建立を喜んでくれていたのである。
伸一は、建設関係者に、深い感謝の思いを込めて語った。「皆さん方の功績を讃え、お名前を刻んだ顕彰の碑を、永遠に妙壇の基底に納めさせていただくことにいたしました」そこには、「人類悠久の平和を祈願する大殿堂たる正本堂を、幾多の難工事を克服して完遂した妙法のたくみの姓名を銅板にきざみ、永遠にその功績をたたえるものである」との一文が刻まれている。
午後には、円融閣前に特設されたステージで、「世界平和文化祭」が晴れやかに繰り広げられた。
国籍も、民族も異なる人たちである。しかし、その心は、今、一つに結ばれていた。海外メンバーは皆、正本堂落慶の式典への参加をめざし、懸命に仕事に励み、生活費を切りつめて、旅費を捻出した。そして、苦心に苦心を重ねて休暇を取り、世界中から日本に来たのだ。
それだけに今、夢に見た出会いが実現し、喜びが弾け、涙が込み上げてきてならないのだ。メンバーは、感涙を流しながら、新たなる世界広布への出発を誓うのであった。
伸一は、帰国するメンバーのバスを約1時間にわたり、見送った。同志は皆、その国の広宣流布を担う、大切な物資である。それぞれの国へ帰れば、頼みとなる先輩や同志もほとんどいない。自らが一人立って、新たな広宣流布の道を開くしかないのだ。
伸一と峯子は、"頑張れ!頑張れ!"と心で叫びながら、バスが見えなくなるまで、大きく手を振り続けた。
太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋