小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

権力の魔性

権力の魔性

『新・人間革命』第7巻 操舵の章 P360~

山本伸一は 選挙違反という無実の容疑で逮捕され、出獄した時の、
戸田城聖の言葉を思い返した。

「今回の事件は、私が 弟子たちを参議院に送ったことから起こった。国家権力は、新しい民衆勢力が台頭してきたことに恐れをいだいた。民衆を組織した学会の団結が怖いのだ。だから、学会を叩きつぶそうとして、私を逮捕しようとした。そのために、会員の小さな選挙違反を見つけて、無理にでも会長である私に結びつけようとした」と語った。

「私を捕らえて、犯罪者にすれば、学会は極めて反社会的な、犯罪集団であるとのイメージをつくることができる。リーダーを狙い撃ちにするというのは、弾圧の常套手段なのだ。」

「伸一、君を逮捕し、責め立てたのも、私に操作の手を伸ばしたかったからだ。だが、君は、それを見破った。そして、罪を一身に被ろうとした・・・」この時、戸田の目頭が潤んだ。その瞬間の光景が、伸一の心に焼きついて離れなかった。

「今回のことは、君の人生にとっては、予行演習のようなものだ。やがて将来、権力は魔性の牙をむいて、本格的に襲いかかってくるに違いない。弾圧は、決して戦時中の昔の話ではないよ。」

「権力のもつ、魔性の本質は何も変わっていない。それだけに、より巧妙な手口で、弾圧することになる。それが、いつ起こるかはわからないが、学会がもっと社会的にも力をつけ、飛躍的に発展した時が危ないぞ。」

「学会を封じ込めるために、なりふり構わず、卑劣な攻撃を仕掛けてくるだろう。その時は、君が狙われることになる。覚悟しておくことだ。」

「日蓮大聖人は、『今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり』と仰せだ。大聖人は、味方よりも、強敵が人をよくすると言われているのだ。大難の時に、勇気を奮い起こして戦えば、人は強くなる。獅子になる!」

「学会が難をうけた時に、自分には、直接、関係ないといって黙って見ているのか、自分も難の渦中に躍り出て、勇んで戦っていくのかが、永遠不滅なる生命の勝利、すなわち、一生成仏ができるかどうかの境目といえる。」

「また、難が起これば、人間の真価がわかるし、一人ひとりの信心の真偽も明らかになる。そして、学会を利用しようとしていた者や、臆病者は去って行く。難はまやかしの信仰者を淘汰し、獅子をつくる。それでよいのだ」
伸一は、この時の戸田の言葉を、片時も忘れることはなかった。

政権党の大物代議士が、伸一とケネディとの会見に横槍を入れてきたことも、その一つの現れといえるだろう。

学会を封じ込めるために、ありとあらゆる手段を駆使してくるに違いない。

あとで、いかに無実が証明されても、会長である自分を逮捕や起訴に持ち込み、大々的に報道させれば、学会は危険極まりない、反社会的な犯罪集団であるかのようなイメージを定着させることができる。そうなれば社会的な信用を失い、学会は孤立していくことになるからだ。

あるいは、退転者を取り込み、“内部告発”というかたちをとって、ありもしないスキャンダルをでっち上げることも十分に考えられる。

その虚偽の“告発”を、一部のマスコミを使って流すことによって、会員に不信感を植えつけ、団結に亀裂を生じさせようとする謀略である。

いずれにせよ、政党から宗教団体、マスコミなど、学会の前進を恐れる、ありとあらゆる勢力が、学会憎しの一点で、主義主張もかなぐり捨てて手を結び、集中砲火を浴びせる事態が、必ずくるに違いないーー。

伸一は、戸田城聖が詠んだ、一首の和歌を思い起こした。

いやまして 険しき山に かかりけり
 広布の旅に 心してゆけ


やがて至るであろう広宣流布の険路を思うと、彼の胸に、闘魂が赤々と燃え上がるのであった。



太字は 『新・人間革命』第7巻より

創価学会と公明会の関係

『新・人間革命』第7巻 操舵の章 P342~

本部幹部会で発表された2月度の弘教は、なんと学会始まって以来の、16万世帯余であった。300万世帯を達成した学会の勢いはとどまることを知らなかった。

布教がますます歓喜を呼び覚まし、さらに、布教への活力となっていったのである。しかも、同志は、自分たちのそうした日々の活動が、着実に社会を変えている手応えを感じていた。

公明会は前年の参議院選挙で候補者が9人当選し非改選の6人と合わせて15人になったことを契機に、独立会派として結成された。3月に開催する地方大会に山本伸一に出席を依頼した。

伸一は、制度的には一定の距離を置き、それぞれ自主的に運営していくべきだとの判断から、当初、公明会の国民大会に出席するつもりはなかったが、原山の懸命の説得もあり、学会と公明会や公政連の関係を十分に理解できないでいる人がいることから、考え方を明らかにするために出席することにした。

第一に、確認すべきは、公明会の精神である。既成政党は、大企業や労働組合の擁護、利益を考え、全の幸福ということを忘れているといってよい。こうした偏狭な既成政党の悪弊を打破して、全国民が、全民衆が、等しく政治の恩恵を受け、幸せになれる政治を実現することが、公明会結成の原点であったはずである。

創価学会が政治を牛耳るなどといった狭小な考えから、公明政治連盟を、あるいは、公明会をつくったのではないことを、徹底しておくべきであろう。

第二には、公明会はまだ、少数勢力にすぎない。その公明会が現実の政治の世界で、自分たちの主張を実現していくうえでは、時には他の勢力と強力しあっていくこともあるであろう。現実の政治は、ある意味で妥協がなければ成り立たない世界であるといえる。

そして、そうした具体的な対応については、支援団体である学会は、一線を画し、すべて公明会にまかせていくという原則を明らかにしなければならない。

第三に、“政治を監視せよ”というのが戸田先生の指導であった。学会は、各政党の在り方にも厳しく監視の目を向けていくが、それは公明会に対しても同様である。もし、公明会の議員が堕落し、私利私欲に走り、所期の目的とその精神を忘れ、不祥事を起こすようなことがあれば、学会はそうした人物とは徹底して戦うことを、明言しておく必要があると伸一は思った。

公明会の国民大会での伸一のあいさつは、この三つの骨子を踏まえて行われた。また、「昭和の岩窟王」といわれた吉田岩松翁の冤罪事件について述べた。

伸一自身、無実の罪で裁判闘争を展開してきただけに、彼の苦しみ、悲しみ、怒りを誰よりもよく理解することができた。戦わずして、人権は守り抜けないことを教えているともいえる。

「公明会は、その権力に監視の目を向け、もしも、権力が魔性の牙をむいたならば、民衆の幸福、人権擁護のために、身を賭して戦う勇者であっていただきたいのであります。権力の魔性と命をかけて戦おうとせず、民衆を守りきれぬ政治家であれば、民衆を自分の選挙のために利用し、踏み台にしているだけにすぎません。それ自体が、既に自らが権力の魔性に同化した姿であります。どうか、公明会の皆さんは、人権を守り抜くために戦う、勇敢な闘志であってください。」

今後、公明会が多くの国民の支持を得ていけばいくほど、その母体である創価学会に対して、既成政党が圧力を加えてくるであろうことが予感されたからである。


太字は 『新・人間革命』第7巻より

無罪判決

『新・人間革命』第5巻 獅子の章 P336~

大阪事件の裁判の 判決公判が 1月25日開かれた。
もし、会長の山本伸一が有罪になれば、彼の人生の障害となるだけでなく、それによって、学会の広宣流布の前進にとって、大きな障害となることは明らかであった。

首脳幹部は じっとしていられなかったが、山本伸一だけは「絶対勝つから大丈夫。何も悪いことをしていない者が、有罪になる道理はない。」と心境をあかした。

「すべてのことは、大御本尊様がお見通しであると、私は信じています。戸田先生は、三類の強敵のなかにも、僣聖上慢が現れてきたと言われております。私も、さらに『大悪をこれば大善きたる』との、日蓮大聖人様の御金言を確信し、強盛な信心を奮い起こし、皆さまとともに、広宣流布に邁進する決心であります。最後は、信心しきったものが、大御本尊様を受持しきったものが、また、正しい仏法が、かならず勝つという信念でやろうではありませんか」との大勝利への伸一の宣言から既に、4年6か月が過ぎていた。

男子部幹部会では、
「私は、いかなる迫害も受けて立ちます。もし、有罪となり、再び投獄されたとしても、大聖人の大難を思えば、小さなことです。また、牧口先生、戸田先生の遺志を受け継ぐ私には、自分の命を惜しむ心などありません。」

「だが、善良なる市民を、真面目に人びとのために尽くしている民衆を苦しめるような権力とは、生涯、断固として戦い抜く決意であります。これは、私の宣言です。」

「仏法は勝負である。残酷な取り調べをした検事たちと、また、そうさせた権力と、私たちと、どちらが正しいか、永遠に見続けてまいりたいと思います。」と語った。

伸一は、この4年半の歳月を振り返っていた。あの不当逮捕から9か月後には、戸田先生は逝去された。
そして、その2年後に、自分は第3代会長に就任したが、それまで何度も、会長就任の要請を辞退せざるをえなかった最大の理由が、この裁判で被告人という立場にあることであった。

「山本伸一は無罪!」傍聴席にざわめきが起こり、皆の顔に歓喜の光が差した。審判は下った。
伸一の正義が証明された勝利の瞬間であった。

伸一が今、一番気がかりであったのが、罰金とはいえ有罪になった、これらの人たちのことであった。
彼は、そのメンバーと懇談の一時をもち、「罪は罪として償わなければならないが、人生の幸福は、最後まで信心をし抜いていけば、必ずつかむことができる。生涯、何があっても、一緒に広宣流布に生き抜こうよ」と激励した。

伸一は、大阪事件のもつ意味について語り始めた。
「この大阪事件の本質はなんであったか。」
「学会が飛躍的な発展を遂げているのを見て、権力は、このままでは、学会が自分たちの存在を脅かす一大民衆勢力になるであろうと、恐れをいだいた。そして、今のうちに学会を叩きつぶそうとしたのが、今回の事件です。」

「本来、権力というものは民衆を守るべきものであって、善良な民衆を苦しめるためのものでは断じてない。社会の主役、国家の主役は民衆です。その民衆を虐げ、苦しめ、人権を踏みにじる魔性の権力とは、断固戦わなければならない。それが学会の使命であると、私は宣言しておきます。」

「そして、学会が民衆の旗を掲げて戦う限り、権力や、それに迎合する勢力の弾圧は続くでしょう。この事件は迫害の終わりではない。むしろ、始まりです。」

「ある場合には、法解釈をねじ曲げ、学会を違法な団体に仕立て、断罪しようとするかもしれない。」
「さらには、学会とは関係のない犯罪や事件を、学会の仕業であると喧伝したり、ありとあらゆるスキャンダルを捏造し、流したりすることもあるでしょう。また、何者かを使って、学会に批判的な人たちに嫌がらせをし、それがあたかも学会の仕業であると思わせ、陥れようとする謀略もあるかもしれない。」

「ともかく、魔性の権力と、学会を憎むあらゆる勢力が手を組み、手段を選ばず、民衆と学会を、また、私と同志を離間させて、学会を壊滅に追い込もうとすることは間違いない」

「そうした弾圧というものは、競い起こる時には、一斉に、集中砲火のように起こるものです。しかし、私は何ものも恐れません。大聖人は大迫害のなか、『世間の失一分もなし』と断言なされたが、私も悪いことなど、何もしていないからです。だから権力は、謀略をめぐらし、無実の罪を着せようとする。」

「創価学会の歩みは、常に権力の魔性との闘争であり、それが初代会長牧口常三郎以来、学会を貫く大精神である。」

「それゆえ、学会には、常に弾圧の嵐が吹き荒れた。しかし、そこにこそ、人間のための真実の宗教の、創価学会の進むべき誉の大道がある。」


広宣流布とは 『獅子の道』である。何ものをも恐れぬ、「勇気の人」「正義の人」「信念の人」でなければ、広布の峰を登攀することはできない。そして、『獅子の道』はまた、師の心をわが心とする、弟子のみが走破し得る『師子の道』でもある。

<第5巻終了 獅子の章終了>

太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋

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