小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

本門の時代

本門の時代第1期の7年間の目標

『新・人間革命』第9巻 新時代の章 P35~

太平洋を横断し始めると、船の揺れは一段と激しさを増した。大揺れのため、食事の際も、テーブルに食器を置くことも、椅子にすわることもできない日が続いた。船酔いで、頭がフラフラになり、起き上がれなくなったメンバーが続出した。

船の揺れが、いくらか収まると座談会を開いた。船内で行われている座談会は、ほかの乗客たちの間でも話題を呼んでいた。最初は、朝晩、お経を唱え、集会で聞き慣れない歌を歌っている一団を、不可解に思っていたようだ。

そのメンバーが、創価学会員であることを知ると、多くの人は眉をひそめた。学会は「暴力宗教」であるとか「貧乏人と病人の集まり」であると、聞かされていたからだ。

ところが、船のなかで、日々、メンバーと接しているうちに、その明るさ、礼儀正しさに、好感をもつようになった。さらに、座談会の場には、朗らかな笑いがあり、そこは、和気あいあいとした雰囲気に包まれていた。乗客は、次第に、学会に強い関心をもつようになっていったのである。

座談会が開かれるたびに、乗客も、二人、三人と参加するようになった。そのなかには、後日、入会した人もいた。

5日未明「あるぜんちな丸」は横浜港の沖合に停泊していた。港から1艘のランチボートが近づき、出迎えた。桟橋に接岸すると、地元・横浜の学会員300名による 歓迎の合唱が、響いた。

歓迎に応えて、団長の小山万造がデッキの上からあいさつした。「南米総支部から13名元気に、日本にやってまいりました。私たちは、皆、ようやく南米で生活の基盤を確立したばかりで、楽な暮らしをしている者は、一人もおりません。ただ、ただ、日本に行きたい。日本に行って、山本先生にお会いしたいという一心で、約40日がかりで日本にまいりました。旅費を工面するのも大変でした。休みを取るにも苦労しました。しかし、こうして、同志の皆さんの真心こもる歓迎を受け、勇気が湧いてきました。歓喜がわいてきました・・・」感極まってか、小山の言葉は、とぎれがちであった。

山本伸一は、総本山の大講堂で南米の友を迎えた。南米の友は、この時を、この一瞬を胸に描き、苦難に耐え、万里の波濤を超えて来たのである。伸一は、南米の友の心の奥深く不動の信心の楔を打とうと、渾身の力を振り絞って励ましていった。

1964年(昭和39年)第27回本部総会が、行われた。「本門の時代」の開幕の本部総会である。
伸一は次の7年間を 広宣流布の総仕上げの第1期とし、活動大綱を発表する。

第1に、総本山への正本堂の建立・寄進とそれにともなう御供養の実施。
第2に、会員600万世帯の着実な達成。
第3に、学会本部のある信濃町に、「創価文化会館」の建設と すべての県に最低1会館の設置。
第4に、公明政治連盟は 政治部から解散し、独自の路線を歩む。“政教分離”への宣言。

政策は、政策とし、あくまでも信心は信心。たとえ、政策のうえで異論を唱える人があったとしても、学会員は 学会員として、信心のうえから、大きく包容していくように。また、政策に異議、異論のある方は、よく議員と話し合って皆が、心から納得し、一番よい政策にしていきたい。それゆえ、皆の意見がさらに優れた政策をつくっていくことにもなる。

そして、発表した4項目について、再度、皆に諮った。
伸一は、最後に、「私どもも、決意も新たに、仲良く、楽しく、大きなる前進をしていこうではありませんか。」本部総会に集った幹部の総意で、「本門の時代」の第1期となる、向こう7年間の目標は決まった。「新時代」の船出の、新しき帆は上がったのである。


太字は 『新・人間革命』第9巻より

300万総登山開始

『新・人間革命』第9巻 新時代の章 P26~

伸一は、師の戸田城聖に、次の目標として、会員600万世帯の達成を誓った。当時、日本の総世帯数は、約2300万世帯であった。会員600万世帯が達成されれば、日本の約4分の1の家庭に、御本尊が流布されることになる。

「本門の時代」の伸一の構想を実現していくには、それは、なんとしても果たさねばならない課題であった。墓参の終了後は、初の『仏教哲学大辞典』の編纂会議が行われた。

300万総登山は、この4月2日から翌年の3月25日まで、約1年間にわたって行わることになっていた。このうち、登山会が開催される日は、257日で、1日平均1万2千人近くが登山することになる。

登山会を無事故、大成功に終わらせるために、伸一は、運営の細部に至るまで、一つ一つ、全神経を研ぎ澄まし、検討を重ねてきた。彼は、首脳幹部に何度も、こう訴えてきた。

「信心をしているから、また祈っているから、事故が起きないなどという考えは誤りです。信心をしているからこそ、絶対に事故など起こすものかという、強い決意、一念が大事なんです。そして、御書に『前前の用心』と仰せの通り、事故を起こさないための、万全な対策を、徹底して練り上げることです。それが信心です。」

「行事に参加した人が、学会は安全のために、ここまで工夫し、神経を使ってくれているのかと、感嘆するようでなければならない」

輸送では、国鉄と話し合いを重ね、月間、3~400本の臨時列車が確保されていた。さらに、駅の改築も進められた。衛生面には、最も神経を配り、食事は完全に熱殺菌し、真空パックした「真空弁当」が配布されることになった。そして、1回、45分で、3千食を超す弁当をつくることができる、厨房も建設されたのである。

そのほか、寝具センターも建てられ、1日に12~1300枚の布団乾燥や、綿の打ち直し、布団のクリーニングなどが行えるようになっていたのである。
いずれも、極めて画期的な試みであった。

一方、下水処理場も完璧なものをとの、山本伸一の支持で建設に着手し、前年10月に完成をみていた。

待ちに待った300万総登山の幕が開いた。これには、日本国内だけでなく、海外各国からも、多数のメンバーが参加することになっていた。ブラジルのサンパウロから日本までの往復の旅費は、飛行機で1500米ドル(54万円)、船でも500米ドル(18万円)かかった。

当時、サンパウロの月額の最低賃金が30米ドル(1万800円)といわれている。つまり、庶民にとっては、1年分以上の総収入ということになる。それだけに、皆、渡航の費用の捻出は容易ではなかった。

一行13人は、皆同じような生活状態であった。経済的に豊かといえる人はいなかった。生活費をあらゆる面で切り詰め、あるいは、何年にもわたるローンを組んで、渡航費用を捻出したのであった。

サントスから日本までの船旅は、片道40日近くを要する。その間の仕事の段取りをつけるのも、容易ではない。しかし、“自分たちが目標としてきた、戸田先生の七回忌の年に日本に行き、山本会長ぱと会いたい”という一心で、出港の日を迎えたのである。

一行の乗った「あるぜんちな丸」は、大西洋を北上し、カリブ海を渡り、パナマ運河を通って太平洋に出た。そして、アメリカのロサンゼルスに到着すると、船内で、アメリカとブラジルの合同座談会が開かれた。

「あるぜんちな丸」は、さらに北上し、サンフランシスコに寄稿した。そして、太平洋を横断し、一路、日本をめざしたのである。



太字は 『新・人間革命』第9巻より

本門の時代へ進む

『新・人間革命』第8巻 清流の章 P234~

学会はこの新本部を中心に、広布の大回転を開始し、明年4月2日の戸田城聖の七回忌を期して、勇躍「本門の時代」へと突き進むことになる。

本門の時代とは、これまでに築き上げてきた広宣流布の基盤の上に、教育、芸術、政治、経済などの各分野に、本格的な文化の華を咲かせていく時代といってよい。

「理」から「事」へ。いわば、仏法で説く、生命の尊厳や慈悲、また、人間主義の哲理を、現実の社会に展開し、具体的に、社会の繁栄と平和に 寄与する段階に入ることを意味する。

それは、300万世帯の達成という、師との誓いを果たした山本伸一が、いよいよ自ら、新しき広布の構想を描き、前進しゆく 弟子の飛翔の時代 でもあった。

山本会長が「女子部に与う」と題する指針を発表したのである。
山本伸一は、まず、女子部員の幸福を願い続けた戸田の心を語ったあと、自身の宿命に泣き、社会の“くびき”に泣いてきた女性の歴史に言及した。ついで、仏法の「女人成仏」に触れ、それは「正しい人生観、生活観、社会観を強くもち続けて、家庭や職場や、ひいては社会に対して、幸福への価値を創造していくことにほかならない」と、その意義を明らかにしていった。

そして、「かつての女性にみられたように、ただ、周囲のものに従い、紛動され、不幸になってはけっしてならぬ」と強調。自己自身の使命に生き抜くことが大切であると述べ、女子部が社会のあらゆる分野に堂々と進出していくよう望んだ。

当時の日本で、若い女性たちに、人間としての使命を教え、国や社会の建設を訴える指導者は、皆無といってよかった。そのなかで、広宣流布という平和社会の創造を、伸一は呼びかけたのである。

高度経済成長の時代に入った日本は、経済的には、年ごとに豊かになっていった。人びとの消費は伸び、レジャーブームにも拍車がかかっていた。それとともに、若い女性たちの多くが自分本位になり、表面的な華やかさのみを追い求め、精神の“芯”が失われつつあることを、彼は憂えていた。

女子部員には、社会のために、人びとのために、自己を活かし、人生の真実の価値を創造し、本当の幸福をつかんでほしいと願い、「女子部に与う」の筆をとったのである。

“私たちが女性の歴史を変えよう!”彼女たちは、さっそうと立ち上がった。以来、「妙法のジャンヌ・ダルク」が、女子部の合言葉となった。

10月に入ると、東京・関東の各本部の地区部長会が、信濃町の学会本部で順次、開催されていった。伸一は、いよいよ地区幹部に光を当て、新しい広宣流布の流れを開こうとしていたのである。

一方、文化運動への基盤も着々と整えていった。伸一は、人類が悲惨な戦争と決別し、平和を築き上げていくには、何が必要なのかを考え続けた。- そのために不可欠なことは、民衆と民衆の相互理解を図ることである。それには、音楽などの芸術、文化の交流が大切になる。

こう考えた伸一は、学会が母体となって、音楽芸術の交流などを目的とした団体をつくろうと決意したのである。伸一は、「民主音楽協会」にしてはどうかと提案した。そこには、民衆こそ、国家、社会の主人であるとともに、音楽、芸術を育成していく主役であるとの思いが込められていた。

音楽は、みんなのものである。一部の特権階級や金持ちの専有物ではない。山本伸一は、クラシックやオペラ、邦楽など、すべての音楽に、民衆が接する機会をもてるようにすることを、民音のまず最初の課題と考えていた。

すでに、労音が、あった。しかし、政治的なものに左右され、イデオロギー色が強いというのが、大方の見方であった。日経連の呼びかけで、音協が設立され、活動を開始していたが、まだ、規模は小さかった。

ともかく、民音の創立によって、さらに民衆全体が最高の音楽に触れ、新たな文化の創造が図られていくことを、彼は期待していたのである。


太字は 『新・人間革命』第8巻より

宝剣を磨く

『新・人間革命』第8巻 宝剣の章 P96~

<宝剣の章 始まる>

1963年(昭和38年)夏、男子部幹部会の席上、伸一は、戸田城聖の七回忌を期して、学会はいよいよ「本門の時代」に入ることを宣言したのである。

本門とは、法華経二十八品のうちの後半十四品をさし、それに対して前半十四品は迹門といわれる。迹とは影を意味し、本とは本体を現し、門とは法門のことである。法華経の肝要は、本門の如来寿量品第十六に説かれており、迹門はいまだ理論上の教えにすぎない。そこから伸一は、広宣流布の本格的な展開の時代を「本門の時代」と表現したのである。

女子部の幹部会では、女子部も、男子部も、それぞれ百万の部員の達成をめざしてはどうかと提案した。前進には、めざすべき目標が必要である。目標が定まれば、月々日々の行動も明確になり、歩みにも力がこもる。

さらに、彼はたまたま学会員が引き起こした事件などを、あたかも創価学会の問題であるかのように取り上げ、学会批判を重ねるマスコミの報道について、言及していった。

「これまでも、精神の病で苦しんでいた人が入会をし、その後、事件を起こしてしまったこともありました。あるいは前科があり、誰からも相手にされなかった人が学会に入り、また犯罪に関与してしまったこともありました。」

「そのつど、新聞や週刊誌は、創価学会自体が罪を犯したかのように書き立て私どもは非難されてまいりました。しかし、本来は、そうした人たちが人間らしく生きられるにはどうしたらよいかを、政治家や国家などが責任をもって考え、面倒をみていくべきであります。」

「だが、それを切り捨て、誰も、何もしようとはしない。」

「それに対して、私たち学会員は、この世から不幸をなくそうと、苦しんでいる人を見れば、人間には等しく幸福になる権利があるのだと、信心を教えてきた。創価学会には、いっさい差別はないからです。」

「さまざまな悩み、複雑な問題をもつ人を、数多く抱きかかえていけば、なかには、事件を起こしてしまう人が出ることもあるでしょう。しかし、そうなることを恐れて、人間を切り捨てていくことと、どちらが、正しい道なのか」

「学会が入会を制限していれば、“貧乏人と病人の団体”などと言われることもなかったでしょうし、問題はほとんど起きなかったでしょう。しかし、それでは、苦悩に泣く民衆を救うという、宗教のなかんずく、仏法の精神を捨てることになってしまいます」

メンバーは学会員が事件を起こしたと報道されるたびに、自分の周囲の人びとに、どう説明してよいかわからず、悔しい思いをしてきた。伸一は、その問題を取り上げ、事の本質を明らかにしたのである。

ついで伸一は真心込めて一人ひとりのメンバーの個人指導を実践していっていただきたいと呼びかけた。会合や行事の運営などが中心となり、個人指導がなおざりになっていくことを心配していたのである。個人指導なき活動は、画竜点睛を欠いているといってよい。

ひとくちに個人指導といっても、決して容易なことではない。会員のなかには、さまざまな人がいる。
そうした人びとの家を訪ね、知恵を絞って対話の糸口を探し、友情を結び、信仰の大切さを語り、勤行や教学を教えていくことは、並大抵のことではない。

しかし、そこにこそ、自身の鍛錬がある。他者を育成するなかにこそ、自己の成長もあるからだ。また、その労作業のなかに、まことの仏道修行がある。


学会活動の主戦場となる舞台は、会合の先にこそあることを、幹部は深く認識しなければならない。

青年部幹部会で伸一は、未来への指標を与え、学会への的外れな批判を自ら論破し、個人指導という活動の要諦を語り、さらに帰宅時間についてまで、具体的にしどうしたのである。

青年は、広宣流布の“宝剣”である。彼はその“宝剣”を懸命に磨き抜くために、労を惜しまなかった。


太字は 『新・人間革命』第8巻より

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