小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

本当の信心,草創の同志,文化祭

入魂の励まし

『新・人間革命』第27巻 正義の章 194p~

戦後、波多の夫は9人の子どもを残して他界。彼女は必死に生きた。さまざまな信仰にもすがった。75万世帯達成をめざす広宣流布の弘教の波が、三重の山村にも広がる。露崎アキという婦人が実家の白山町に帰り、魚の行商をしながら女で一つで3人の娘を育てていた。彼女が波多に仏法の話をしたのだ。

波多は自分と同じ境遇でありながら、生き生きとした姿に魅了され、入会を決意した。露崎の、”日蓮大聖人の仏法は、自行化他の信心であり、自分の幸せしか考えない宗教は本当の宗教ではない”との言葉に、その通りだと、仏法対話に歩いた。

周囲の人たちから、猛反発が起こった。他の信仰をしていた時には、全くなかったことである。仏道修行に励めば魔が競い起こると、覚悟を決めることこそ、信心の第一歩である。新入会者に、弘教の実践とともに、それを徹底して教えてきたことによって、広宣流布の盤石な基盤がつくられたのだ。

幹部から”魔が競い起こるか否かによって、その教えが正しいかどうか、自分の信心が本物かどうかを、見極めることができる””法難に遭うことによって、過去背からの悪業を今世で消して、一生成仏することができる。だから、難を呼び起こしていく信心が大事なんです”と指導を受けた。

退転の本質は、臆病であり、保身にある。しかし、自己を正当化するために、問題を方法論などにすり替えて、正義の人を攻撃するのが、退転の途の常套手段である。いかに時代は変わろうが、信心ある人には、広宣流布の前進あるところには、必ず魔が競い、魔が襲う。

波多は、周囲のいかなる仕打ちにも、迫害にも挫けまいとの決意を固めた。入会した友を、その決意に立たせてこそ、本当の折伏である。それが、広宣流布の大いなる拡大の原動力になるのだ。

彼女は燃えていた。貧困に喘ぎ、汲々としてきた自分が、人びとを幸福にするために情熱を燃やしていること自体、不思議な気がするのである。「楽して、楽してかなわんわ」それが、彼女の口癖であった。やがて、子どもたちも、全員、信心に励むようになった。さらに、家も新築することができたのである。

何を言われようが、どんな目に遭おうが、自分が弘教した人が、功徳を受け、幸せになっていくことに勝る喜びはなかった。

伸一が、波多に「いちばん辛かったこと、悔しかったことはなんですか」と尋ねると、「葬式に、正宗の坊さんがきてくれんだことですわ…」と口ごもりながら答えた。そして、露崎と二人で勤行し、野辺送りを済ましたが、それがよかったのかと思い続けていたのだ。伸一は、「故人も、最高に喜んでいるでしょう」と包み込むように言った。

同行の幹部に「君たちは、大学を出て、若くして幹部になったことで、自分は偉いかのように思ったりしてはいけません。そんな考えが微塵でもあるなら、既に生命が慢心に毒されている証拠です。君たちには、地域広布に命をかけてきた、このおばあちゃんのような戦いはできていないではありませんか!」厳しい口調であった。

「幹部は、寸暇を惜しんで、皆の激励に回ることです。“もう一軒、もう一軒”と、力を振り絞るようにして、黙々と個人指導を重ねていくんです。何度も何度も、粘り強く、個人指導を重ねてこそ、人材の大地が耕されていくんです」

三重支部結成18周年の記念幹部会に出席した。この席でも、個人指導重要性について訴えた。「一人でいたのでは、信心の触発や同志の激励がないため、大成長を遂げることも、試練を乗り越えていくことも極めて難しい。私どもが、個人指導を最重要視して、対話による励ましの運動を続けているゆえんも、そこにあるんです。

自分一人の信仰では、進歩も向上も乏しい。我見に陥り、空転の信心になりやすい。ゆえに広宣流布のために和合の組織が必要不可欠であることを、私は強く訴えておきたい」伸一にとっては、一回一回の会合が、一人ひとりの同志との出会いが、生命触発の“戦場”であった。真剣勝負であった。広布破壊の悪侶らは次第に数を増し、牙を剥き、愛する同志を虎視眈々と狙っていたからである。

魔の執拗な攻撃を打ち破るには、正義の獅子吼を発し続けるしかない。
4月30日「千葉文化祭」を鑑賞した。

牧口・戸田の両会長が日蓮仏法に帰依して満50年を迎えようとする今、本来ならば、創価学会を最も賞賛すべき僧のなかから、死身弘法の決意で広宣流布を進める学会を悪口し、その仏意仏勅の組織を攪乱しようとする悪侶たちが出たのだ。

伸一は、時の不思議さを感じた。そして、「外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし」との御文を、噛みしめるのであった。

<正義の章 終了>

太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋

本当の信心とは

『新・人間革命』第27巻 正義の章 174p~

一つ、また一つと解決していくこともあれば、一挙に悩みが解決することもあるでしょう。また、自分を悩ませていた問題は続いていたとしても、それに翻弄されて苦しんだり、そのことに負けたりしない自分を、確立していくことができるんです。境涯革命することができるからなんです。そうした体験の積み重ねが、仏法への確信を深め、強めていくんです」

学会草創の時代、創価の同志は、病弱や経済苦、家庭不和などの悩みを抱えながら、喜々として折伏・弘教に歩いた。だが、素直に耳を傾ける人は、いたって少なくなかった。嘲笑され、罵詈雑言を浴びせられ、なかには、村八分にされた人もいた。

それでも、草草の同志は負けなかった。なぜかーー難が競い起こったことで、先輩から聞かされてきた。御書、経文の通りであることを実感したからである。それが、歓喜と確信となり、ますます闘魂を燃え上がらせ、弘教の駒を進めてきたのだ。

勇気ある挑戦は、さらに大歓喜を呼び起こし、確信を強く、不動のものにしていく。その歓喜と確信が大生命力を湧現させ、あらゆる困難をはね返して、勇んで弘教へと突き進む原動力となっていくのだ。

一言すれば、草創の同志の強さは、ただひたすら、体当たりの思いで、折伏・弘教を実践していったことにある。それによって、地涌の菩薩の大生命が、大聖人の眷属たる大歓喜が、我が胸中に脈動していったのだ。ゆえに、何があっても屈することなく、勇猛果敢に戦い続けることができたのである。

折伏行に勝る力はない。その実践の積み重ねのなかで、強き信心が培われていくのだ。
静岡指導を終えた山本伸一は、中部指導に向かった。三重の婦人部長が伸一に、三重文化祭で「今日も元気で」を歌わせてほしいと訴えてきた。

この文化祭には、中部布教区の僧侶らも招待していた。学会員が会長山本伸一に全幅の信頼を寄せ、師と仰ぐことに対して、批判の矛先を向ける僧たちもいたのである。そうした僧を刺激してはまずいと考えてか、この歌は歌わない方向に決まったようであった。

しかし、婦人部は納得できなかった。“どうして、師匠を敬愛する心を隠さなければならないのか!どこかおかしい!”結局、「今日も元気で」は、三重文化合唱祭で歌われることになったのである。

学会の根幹をなすのは、崇高な師弟の精神である。それは、いかに批判されようが、時代がどんなに変わろうが、絶対に変わってはならない。“創価の魂”である。広宣流布の大潮流も、この師弟という生命の脈動から生まれるのである。

日蓮門下の最重要事は、広宣流布の大誓願の実現である。それを現実に推進してきたのが、創価の師弟である。そのこと自体が、創価学会が仏意仏勅の団体であることの、まぎれもない証明といえよう。学会の発展があってこそ、宗門を外護することができ、宗門も興隆してきた。これは、厳然たる事実であり、そこに広宣流布の確かな軌道があったのである。伸一は、この事実についても、僧侶たちと、根気強く徹底的に話し合わねばならないと思っていた。

本部幹部会の翌日、4月23日、三重研修道場の白山公園で、初の三重文化合唱祭が開催された。伸一は、文化合唱祭のあと、出席した僧侶と懇談会をもった。彼は、“学会は、どこまでも広宣流布のために、死身弘法の誠を尽くしながら、宗門を守り抜く決意であり、さらに連携を取り合い、前進していきたい”との思いを語った。

翌日、伸一は、周辺の理容店や日用品店に足を運び、日ごろの学会への尽力に対して、御礼を述べた。それから、白山町の三沢カツ子の家に向かった。彼女は、この地域の婦人部本部長をしており、研修道場で大きな行事があるときには、三沢の家が婦人部のさまざまな準備の会場として使われてきた。

また、三沢の母親・波多光子は、この地域の学会の草創期を切り開いた一人であった。76歳であった。伸一は、彼女が入会にいたった経緯や、広宣流布の苦闘の幾山河について、次々と尋ねていった。波多の体験を通して、集ってきた同志と共に、“本当の信心とは何か”を確認しておきたかったからである。


太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋
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