『新・人間革命』第26巻 厚田の章 75p~

追善法要のあいさつで、伸一は、日蓮仏法の死生観について語っておこうと思った。彼は、「上野殿後家尼御返事」を拝した。「私たちは、必ず臨終の時を迎えます。しかし、生命は永遠です。自分の生命がなくなるわけではありません。大宇宙に冥伏するんです。ちょうど、一日を終えて、眠りに就くようなものです。時が来れば、また生まれてきます。

死んでも、三世にわたる生命の原因と結果の法則は一貫していますから、宿業も、福運も、使命も、境涯も、そのまま続いていくんです。広宣流布に生き抜いた人は、仏・菩薩の境涯のまま、『死の仏』となるんです。

生きている時は『生の仏』であり、亡くなってからも『死の仏』となるーーそれを日蓮大聖人は『即身成仏と申す大事の法門』といわれているんです。また、信心していても、事故や災害等で、他界する人もいるでしょう。しかし、信心を貫いてきたならば、過去遠遠劫からの罪障を消滅し、一生成仏することができます。

経文にも、"悪い象に殺されても、地獄などに落ちることはない"とあります。悪象に殺されるとは、広く解釈すれば、事故や災害に遭って命を失うことともいえます。しかし、それによって、信心が破られることはないから、成仏できるんです。いかなる状況で死を迎えたとしても、生命に積んだ福徳は崩れません」

大聖人は、仏界の生命を確立して亡くなった方は、死後も、すぐに、九界のこの世界に帰って来て、広宣流布の大舞台に躍り出ると述べられた。生死は不二である。生と死は、別のものではなく連続しており、いわば表裏の関係にあるといってよい。

死して「死の仏」となるには、現世において、「生の仏」とならねばならない。しかし、今世の時間には、限りがある。したがって日蓮大聖人が、「臨終只今にありと解りて信心を致して」と仰せのように、"今しかない"と心を定め、一生成仏をめざし、一日一日を、一瞬一瞬を、地涌の菩薩の使命である広宣流布に生き抜くことが肝要なのである。

戸田城聖は、「死んでしまえば、おしまいだと言うのなら、仏法は必要はないことになるではありませんか。この生命が永遠だと叫ぶ。永遠であるから御本尊をきちんと拝んで、仏の境涯をつかまなければいけないと、やかましく言うのであります」

自殺にも言及し、「この肉体というものは、法の器と申しまして、仏からの借り物になっております」と述べ、その大切な仏の入れ物を、勝手に壊してはならないと、力説している。仏縁を結んだ人は、いつか、必ず御本尊と巡り合える。また、周囲の人びとの題目は、故人をも救い得る力となる。それが仏法の力であるが、自ら命を絶ち、福運を消してしまう人を、絶対に出したくなかったのである。

生命は永遠である。ゆえに、老いとは、終局を待つ日々ではない。今世の人生の総仕上げであるとともに、次の新しき生への準備期間なのである。命の尽き果てるまで、唱題に励み、師と共に、愛する同志と共に、広宣流布の大願に生き抜いていくのだ。そして、わが生命を磨き高め、荘厳なる夕日のごとく、自身を完全燃焼させながら、大歓喜のなかでこの世の生を終えるのだ。希望に燃えるその境涯が、そのまま来世のわが境涯となるからだ。

自分の来し方を振り返り、決意を噛み締める一人の婦人がいた。北海道婦人部長の斉田芳子であった。
彼女は東京へいくため、洞爺丸に乗る予定であったが、結核の持病が悪化し、前日に足を怪我し、行けなくなった。その洞爺丸が沈没し、友人十数人が亡くなった。芳子は、人間の力では抗することのできない運命の不条理を感じた。

誘われ座談会に参加し、そこで母も、父、弟、妹も一緒に入会した。交通事故で「再起不能」と言われていた父が歩けるようになり、寝込んでいた母も、家事ができるようになり、この体験を目の当たりにした芳子は懸命に信心に励んだ。

幹部である芳子が教学部員になっていないからがんばらなくてもいいという女子部員の話を聞き、「率先垂範」の重要性を身に沁み、必死で勉強し、教学部助教授補になった。家計のほとんどを支えながら、洋服を買うこともできない生活が続いたが、"今こそ、宿命転換の時なんだ"と何があっても負けずに信心を貫いていこうと決意する。


太字は 『新・人間革命』第26巻より 抜粋
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