『新・人間革命』第22巻 命宝の章 351p
伸一は、第三に、原子力発電など、核の平和利用は、人類の生存にとって重大な脅威にもなりうることから、安全性についての厳重な監視を怠ってはならないと訴えたのである。
人類が英知を結集して対処すべき問題が山積していながら、それができない要因の一つに、「人類の道徳的迷妄」があるとする学者の説を紹介した。伸一は、その道徳的迷妄は人間生命の根本の迷い、すなわち"元本の無明"から発するものであり、それを打ち破る道を万人に示したのが、日蓮仏法であることを語った。
すべての原点は人間にある。人間自身の変革なくしては、人びとの幸福も、社会の繁栄も、世界の平和もない。人間革命こそが、人間賛歌の世紀を開く、根源の力となるのだ。
伸一が、講演を開始してから、既に1時間近くがたっていた。彼は、話しながら、軽いめまいを覚えた。体調は、決して、良いとは言えなかった。しかし、まだ、語らねばならないことがあった。心で、"倒れるわけにはいかぬ!"と、自分に言い聞かせ、話を続けた。
戸田城聖が、死をも覚悟して行こうとした広島の地での、本部総会である。そう思うと、一歩たりとも引くわけにはいかなかった。ますます力を込めて、伸一は訴えた。その執念の叫びが、自らを元気づけていったのである。獅子吼のような講演が続いた。
山本伸一は、さらに、日本がめざすべき、今後の進路に言及。中小・零細企業に従事している人たちが、失業、倒産といった事態に見舞われている危機的現状を指摘し、喫緊の問題として、「弱者救済」を最優先することこそ、政府のとるべき道であると強く訴えた。
そして、長期的には、日本は「経済大国」の夢を追うのではなく、文化をもって、世界人類に貢献する「文化の宝庫」「文化立国」とすべきであると提唱したのだ。
講演は、創価学会の社会的役割に移った。彼は、激動する社会のなかで、時代を正常な軌道へと引き戻していく力、生命のバイタリティーを、民衆一人ひとりの心田に植え付けていくところに、宗教の最も根本的な使命があることを強調し、宣言するように語った。
「創価学会の社会的役割、使命は、暴力や権力、金力などの外的拘束力を持って人間の尊厳を冒し続ける"力"に対する、内なる生命の深みより発する"精神"の戦いであると位置づけておきたい」その"精神"の力の開発は、対話を通しての、地道な人間対人間の生命の触発による以外にない。
権力主義や武力を背景とした力による威圧が、国際政治の舞台を支配しているなかで、人間主義による対話こそが、新しき時代の幕を開くというのが、伸一の確信であった。講演は、日中の平和友好条約の締結へと移った。
伸一は、「百草を抹りて一丸内至百丸となせり一丸も百丸も共に病を治する事これをなじ」との御文を拝した。その譬えを通して、伸一は訴えた。「皆さん方一人ひとりが、創価学会そのものです。それ以外には、創価学会の実体はありえないと確信していただきたい。また、一人ひとりに、それだけの、尊い使命と資格があると説いているのが、日蓮大聖人の仏法であります」
自分自身が創価学会なのだ。そして、自分の周りの同志との絆が、自分のブロックが、創価学会なのだ。ゆえに、自身が成長し、友のため、社会のために尽し、貢献した分だけが、広宣流布の前進となるのである。自分が立ち上がり、勝っていく以外に、学会の勝利はない。
学会は、それぞれの個性の開花をめざす、異体同心という人間主義の組織である。その組織の目的は、広宣流布の推進にある。それは、生命の哲理を人びとの胸中に打ち立て、人間の尊厳を守り、輝かせていく聖業なのだ。
私たちは、組織のなかの個人というだけでなく、自身の規範、誇り、勇気の源泉として、それぞれの心の中に、創価学会を持っている。つまり、個人のなかに創価学会があり、その自覚が、各人の心中深く根を張っていることに、学会の強さがあるのだ。
実に講演は1時間20分に及んだ。幾つもの提言を含んだ講演であった。
太字は 『新・人間革命』第22巻より 抜粋
人類が英知を結集して対処すべき問題が山積していながら、それができない要因の一つに、「人類の道徳的迷妄」があるとする学者の説を紹介した。伸一は、その道徳的迷妄は人間生命の根本の迷い、すなわち"元本の無明"から発するものであり、それを打ち破る道を万人に示したのが、日蓮仏法であることを語った。
すべての原点は人間にある。人間自身の変革なくしては、人びとの幸福も、社会の繁栄も、世界の平和もない。人間革命こそが、人間賛歌の世紀を開く、根源の力となるのだ。
伸一が、講演を開始してから、既に1時間近くがたっていた。彼は、話しながら、軽いめまいを覚えた。体調は、決して、良いとは言えなかった。しかし、まだ、語らねばならないことがあった。心で、"倒れるわけにはいかぬ!"と、自分に言い聞かせ、話を続けた。
戸田城聖が、死をも覚悟して行こうとした広島の地での、本部総会である。そう思うと、一歩たりとも引くわけにはいかなかった。ますます力を込めて、伸一は訴えた。その執念の叫びが、自らを元気づけていったのである。獅子吼のような講演が続いた。
山本伸一は、さらに、日本がめざすべき、今後の進路に言及。中小・零細企業に従事している人たちが、失業、倒産といった事態に見舞われている危機的現状を指摘し、喫緊の問題として、「弱者救済」を最優先することこそ、政府のとるべき道であると強く訴えた。
そして、長期的には、日本は「経済大国」の夢を追うのではなく、文化をもって、世界人類に貢献する「文化の宝庫」「文化立国」とすべきであると提唱したのだ。
講演は、創価学会の社会的役割に移った。彼は、激動する社会のなかで、時代を正常な軌道へと引き戻していく力、生命のバイタリティーを、民衆一人ひとりの心田に植え付けていくところに、宗教の最も根本的な使命があることを強調し、宣言するように語った。
「創価学会の社会的役割、使命は、暴力や権力、金力などの外的拘束力を持って人間の尊厳を冒し続ける"力"に対する、内なる生命の深みより発する"精神"の戦いであると位置づけておきたい」その"精神"の力の開発は、対話を通しての、地道な人間対人間の生命の触発による以外にない。
権力主義や武力を背景とした力による威圧が、国際政治の舞台を支配しているなかで、人間主義による対話こそが、新しき時代の幕を開くというのが、伸一の確信であった。講演は、日中の平和友好条約の締結へと移った。
伸一は、「百草を抹りて一丸内至百丸となせり一丸も百丸も共に病を治する事これをなじ」との御文を拝した。その譬えを通して、伸一は訴えた。「皆さん方一人ひとりが、創価学会そのものです。それ以外には、創価学会の実体はありえないと確信していただきたい。また、一人ひとりに、それだけの、尊い使命と資格があると説いているのが、日蓮大聖人の仏法であります」
自分自身が創価学会なのだ。そして、自分の周りの同志との絆が、自分のブロックが、創価学会なのだ。ゆえに、自身が成長し、友のため、社会のために尽し、貢献した分だけが、広宣流布の前進となるのである。自分が立ち上がり、勝っていく以外に、学会の勝利はない。
学会は、それぞれの個性の開花をめざす、異体同心という人間主義の組織である。その組織の目的は、広宣流布の推進にある。それは、生命の哲理を人びとの胸中に打ち立て、人間の尊厳を守り、輝かせていく聖業なのだ。
私たちは、組織のなかの個人というだけでなく、自身の規範、誇り、勇気の源泉として、それぞれの心の中に、創価学会を持っている。つまり、個人のなかに創価学会があり、その自覚が、各人の心中深く根を張っていることに、学会の強さがあるのだ。
実に講演は1時間20分に及んだ。幾つもの提言を含んだ講演であった。
太字は 『新・人間革命』第22巻より 抜粋