『新・人間革命』第11巻 躍進の章 P354~
4月22日、伸一は 3年半ぶりに新潟を訪れ、新潟本部の新会館の起工式に臨んだ。三年前、新潟地震により、信濃川の氾濫により、新潟会館は、床下浸水の被害にあった。
伸一は、各県などの中心会館を、しっかりとした、大きな建物にし、ひとたび災害が起きた時は、学会の会館は、救援対策本部となり、また、臨時の避難所として、被災者を受け入れられる建物にすることを、考慮してのことであった。
当初は、既存の建物を購入する予定であったが、新潟会館は、新しく建てることとし、日本海側で、最初の鉄筋の本部となった。
起工式終了すると記念撮影に移った。伸一は 来ていた、佐渡のメンバーと、語らい、9年前に佐渡を訪問した時のことを思い出していた。この年、戸田城聖が世を去り、同志はまだ、その悲しみから立ち上がることができずにいた。
学会は、「空中分解するであろう」というのが、世間の大方の見方であった。そのなかで伸一は、実質的に全学会の指揮をとることになったのである。
新潟支部の初の運動会に出席するため、新潟入りした伸一は、佐渡で会合が予定されていることを知り、急遽、佐渡行が決まった。海が荒れ、欠航する恐れがあったので、急いで正午の船で佐渡へ向かうことにした。
雨は、降ったりやんだりを繰り返し、伸一たちが乗った船は500トンほどの船であったが、木の葉のように揺れに揺れた。船は漂流するような進み方であった。通常の所要は3時間であったが、4時間かかった。
佐渡には、まだ地区も誕生していなかったが、全島から200人ほどのメンバーが会場に集って来た。伸一は、佐渡が金山で有名であったことから、御書を拝して、「黄金の人生」とは何かについて述べようと思った。
「生老病死は、生命の実相であり、それぞれに深い意義と価値があります。そのなかで、生きるということは、黄金にあたると仰せになっているんです。」
「人生の輝きは、自身の使命を自覚して、自ら勇んで広宣流布に邁進していくなかに生まれます。信心は義務ではありません。権利です。」
「自分から一人立ち、積極的に果敢に行動していくところには、大歓喜があります。さらに、日々、自分を磨き鍛えていくことです。つまり、持続の信心です。持続というのは、ただ、昨日と同じことをしていればよいのではありません。『日々挑戦』『日々発心』ということです。信心とは、間断なき魔との闘争であり、仏とは戦い続ける人のことです。その戦いのなかにこそ、自身の生命の輝きがあり、黄金の人生があることを知っていただきたいのです。」
次いで伸一は、佐渡の同志の使命について言及していった。「大聖人ゆかりの地には、いずれも、大聖人の御精神に違背した、日蓮宗の寺院がたっております。そこには、真実の日蓮仏法はありません。精神の廃墟にすぎない。大聖人が魂魄をとどめられたこの佐渡の地に、まことの日蓮仏法を、大聖人の大精神を復興させ、佐渡を最高の“幸福島”にしゆくことこそ、わが創価学会の使命であります。」
「佐渡が広宣流布の先駆となるために、大切なことは、まず、皆さんの心のなかにある、“無理だろう”“そんなことができるわけがない”といった、あきらめを打ち破ることです。大聖人は佐渡に流罪されるなどしても、『いまだこりず候』と仰せになっているではありませんか。」
「戸田先生亡き今こそ、弟子が立ち上がる時です。佐渡の皆さん、私とともに戦いを起こしましょう!」大拍手がわき起こった。
皆が決意を新たにした。皆が猛然と奮い立ったのである。
太字は 『新・人間革命』第11巻より 抜粋
4月22日、伸一は 3年半ぶりに新潟を訪れ、新潟本部の新会館の起工式に臨んだ。三年前、新潟地震により、信濃川の氾濫により、新潟会館は、床下浸水の被害にあった。
伸一は、各県などの中心会館を、しっかりとした、大きな建物にし、ひとたび災害が起きた時は、学会の会館は、救援対策本部となり、また、臨時の避難所として、被災者を受け入れられる建物にすることを、考慮してのことであった。
当初は、既存の建物を購入する予定であったが、新潟会館は、新しく建てることとし、日本海側で、最初の鉄筋の本部となった。
起工式終了すると記念撮影に移った。伸一は 来ていた、佐渡のメンバーと、語らい、9年前に佐渡を訪問した時のことを思い出していた。この年、戸田城聖が世を去り、同志はまだ、その悲しみから立ち上がることができずにいた。
学会は、「空中分解するであろう」というのが、世間の大方の見方であった。そのなかで伸一は、実質的に全学会の指揮をとることになったのである。
新潟支部の初の運動会に出席するため、新潟入りした伸一は、佐渡で会合が予定されていることを知り、急遽、佐渡行が決まった。海が荒れ、欠航する恐れがあったので、急いで正午の船で佐渡へ向かうことにした。
雨は、降ったりやんだりを繰り返し、伸一たちが乗った船は500トンほどの船であったが、木の葉のように揺れに揺れた。船は漂流するような進み方であった。通常の所要は3時間であったが、4時間かかった。
佐渡には、まだ地区も誕生していなかったが、全島から200人ほどのメンバーが会場に集って来た。伸一は、佐渡が金山で有名であったことから、御書を拝して、「黄金の人生」とは何かについて述べようと思った。
「生老病死は、生命の実相であり、それぞれに深い意義と価値があります。そのなかで、生きるということは、黄金にあたると仰せになっているんです。」
「人生の輝きは、自身の使命を自覚して、自ら勇んで広宣流布に邁進していくなかに生まれます。信心は義務ではありません。権利です。」
「自分から一人立ち、積極的に果敢に行動していくところには、大歓喜があります。さらに、日々、自分を磨き鍛えていくことです。つまり、持続の信心です。持続というのは、ただ、昨日と同じことをしていればよいのではありません。『日々挑戦』『日々発心』ということです。信心とは、間断なき魔との闘争であり、仏とは戦い続ける人のことです。その戦いのなかにこそ、自身の生命の輝きがあり、黄金の人生があることを知っていただきたいのです。」
次いで伸一は、佐渡の同志の使命について言及していった。「大聖人ゆかりの地には、いずれも、大聖人の御精神に違背した、日蓮宗の寺院がたっております。そこには、真実の日蓮仏法はありません。精神の廃墟にすぎない。大聖人が魂魄をとどめられたこの佐渡の地に、まことの日蓮仏法を、大聖人の大精神を復興させ、佐渡を最高の“幸福島”にしゆくことこそ、わが創価学会の使命であります。」
「佐渡が広宣流布の先駆となるために、大切なことは、まず、皆さんの心のなかにある、“無理だろう”“そんなことができるわけがない”といった、あきらめを打ち破ることです。大聖人は佐渡に流罪されるなどしても、『いまだこりず候』と仰せになっているではありませんか。」
「戸田先生亡き今こそ、弟子が立ち上がる時です。佐渡の皆さん、私とともに戦いを起こしましょう!」大拍手がわき起こった。
皆が決意を新たにした。皆が猛然と奮い立ったのである。
太字は 『新・人間革命』第11巻より 抜粋