『新・人間革命』 新世界 P127

世界平和への旅立ち 
第2の訪問地 サンフランシスコ


サンフランシスコは 日本と連合国との講和条約と
日米安保条約の調印の地である。


山本伸一は
サンフランシスコと ネバダに 地区を 結成した。
ネバダでは アメリカ人の夫を地区部長に 任命。
1960年 10月 日系人以外で 初の 地区部長の誕生である。


伸一は 言葉も通じないアメリカの地で、悲しみと失意に沈み、
「日本に帰りたい」と悲哀が にじみ出る婦人たちに
生きる勇気を与えるため、3指針を提案する。


1.アメリカの市民権を取得し、良き市民となること
2.自動車の運転免許をとること
3.英語のマスターをすること


そんな提案を 想像もしていなかった婦人達に 伸一は、

「大変なことを要求しているように思われるかもしれませんが、
アメリカの広布を担うのは、皆さん方しかありません。
ご婦人の皆さんの中には・・・、とても自分には 無理であると
思っている方もおられるでしょう。しかし、まず、
“必ずできる”“やるぞ”と決めて挑戦し、努力してみてください。
皆さんならできます。・・・」


湿った薪を燃え上がらせるように 満身の情熱を注ぐ伸一。
ユーモアを交えながらの伸一の言葉に 笑いが起きた。


笑いが皆の心に のしかかっていた重さを吹き払い、
希望を芽吹かさせた。


“そうだ、やってできないことはない!”


皆そんな気がしてくるのだった。



この3指針は アメリカの同士の誓いの3指針となっていった



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