『新・人間革命』第3巻 仏陀の章 P223~
釈尊は居並ぶ弟子たちに視線を注ぐと、舎利佛に言った。
「舎利佛よ!長老であるあなたが、王舎城で提婆達多を糾弾してくるのだ」
舎利佛は困惑した。
「世尊、私には、それはできません。私は、かつて王舎城で、提婆達多は偉大な力があると、
称賛してきました。その私がそうしたことを言うのは・・・」
「だからこそ、戦ってくるのだ!あなたが出向いて、提婆達多の本性を暴き、
仏陀に違背したものであると宣言してくるのだ」
悪と徹底抗戦する心が定まらなければ、悪員に付け入る隙を与え、
正義も破られてしまう。釈尊は、それを弟子たちに教えようとしていたのである。
提婆達多は頭を抱え込んだ。企てた釈尊殺害の計画が皆、失敗に終わってしまったのだ。
彼は作戦の変更を余儀なくされた。殺害計画はやめて、教団を分裂させることを考えたのである。
そこで、目をつけたのが、戒律であった。
戒律は修行のための手段であって、それ自体が目的ではない。
しかし、その戒律が目的となり、人間を縛るようになれば、まさに本末転倒という以外にない。
釈尊の教えの根本は、何ものにも紛動されない自分を作ることであり、
戒律はあくまでも、それを助けるものにすぎない。
釈尊には、厳格な戒律で人を縛るという発想はなかった。
提婆達多それを悪用し、釈尊は厳しき修行を厭い、贅沢が身についたと
新参の修行者に訴え、釈尊の教団を分裂させ、出ていってしまった。
しかし、舎利佛と 目連に促され、自分に分別がなかったために、
提婆達多に騙されたと気づいた比丘たちは 釈尊の元に戻る。
提婆達多は、憤怒に震え、その場で熱血を吐いて死んでいったと、ある仏典は伝えている。
その後、最愛の弟子、舎利佛や 目連のし、追い打ちをかけるように
釈迦族の滅亡という事件に遭遇する釈尊。
しかし、釈尊は負けなかった。無常なるがゆえに永遠の法に生き、
それを伝え抜こうとしたのである。
「さあ、行こう!」彼は弘教の旅に出ることを、呼びかけたのだ。
いかなる人も苦しみを避けることはできない。仏陀にも苦しみはある。
その苦しみの淵から立ち上がり、使命に生き抜く力が信仰である。
そこに仏陀の道、聖者の道、まことの人間の道がある。
彼は命尽きるまで、各地を巡り、法を語り説いて、生涯を終えることを決意したのである。
山本伸一は、釈尊の生涯に思いを馳せると、新たな勇気がわいてきた。
その生涯は、日蓮大聖人には及ばぬまでも、法難に次ぐ法難であった。
伸一は思った。
“自分は、凡夫の身にして悪世末法に、仏法の精髄の法を世界に弘めんとしている。
経文に照らし、御書に照らして、弾圧の嵐もあるだろう。
攪乱の謀略も、非難中傷もあって当然である。私も自分らしく、どこまでも法のままに、我が使命の旅路をゆく。命の燃え尽きる時まで、人間の栄光の旗を掲げて・・・”
仏陀の章 終わり
太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋
この「仏陀」の章の連載が聖教新聞で始まったのは、1995年4月から。
直前の1995年3月 オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きている。
この事件をきっかけに、宗教に対する統制を強めようとする社会的な動きが出てきた。
それは後に、宗教法人法改正へとつながっていく。
当時の自民党は 新進党に参加した公明つぶしのため、創価学会に圧力をかけようと
宗教法人法改正の際に 創価学会 池田名誉会長を国会に 証人喚問し
さらしものに しようとしたのだ。
「仏陀」の章は 当時、卑劣なデマ・中傷にさらされていた、
学会員への励ましであったと同時に、
迫害の構図を 後世にとどめようとしたものであると思えてならない。
提婆達多の捏造や 策略は 今も 池田先生や 創価学会へ対する
迫害の構図と同じだ。
釈尊は居並ぶ弟子たちに視線を注ぐと、舎利佛に言った。
「舎利佛よ!長老であるあなたが、王舎城で提婆達多を糾弾してくるのだ」
舎利佛は困惑した。
「世尊、私には、それはできません。私は、かつて王舎城で、提婆達多は偉大な力があると、
称賛してきました。その私がそうしたことを言うのは・・・」
「だからこそ、戦ってくるのだ!あなたが出向いて、提婆達多の本性を暴き、
仏陀に違背したものであると宣言してくるのだ」
悪と徹底抗戦する心が定まらなければ、悪員に付け入る隙を与え、
正義も破られてしまう。釈尊は、それを弟子たちに教えようとしていたのである。
提婆達多は頭を抱え込んだ。企てた釈尊殺害の計画が皆、失敗に終わってしまったのだ。
彼は作戦の変更を余儀なくされた。殺害計画はやめて、教団を分裂させることを考えたのである。
そこで、目をつけたのが、戒律であった。
戒律は修行のための手段であって、それ自体が目的ではない。
しかし、その戒律が目的となり、人間を縛るようになれば、まさに本末転倒という以外にない。
釈尊の教えの根本は、何ものにも紛動されない自分を作ることであり、
戒律はあくまでも、それを助けるものにすぎない。
釈尊には、厳格な戒律で人を縛るという発想はなかった。
提婆達多それを悪用し、釈尊は厳しき修行を厭い、贅沢が身についたと
新参の修行者に訴え、釈尊の教団を分裂させ、出ていってしまった。
しかし、舎利佛と 目連に促され、自分に分別がなかったために、
提婆達多に騙されたと気づいた比丘たちは 釈尊の元に戻る。
提婆達多は、憤怒に震え、その場で熱血を吐いて死んでいったと、ある仏典は伝えている。
その後、最愛の弟子、舎利佛や 目連のし、追い打ちをかけるように
釈迦族の滅亡という事件に遭遇する釈尊。
しかし、釈尊は負けなかった。無常なるがゆえに永遠の法に生き、
それを伝え抜こうとしたのである。
「さあ、行こう!」彼は弘教の旅に出ることを、呼びかけたのだ。
いかなる人も苦しみを避けることはできない。仏陀にも苦しみはある。
その苦しみの淵から立ち上がり、使命に生き抜く力が信仰である。
そこに仏陀の道、聖者の道、まことの人間の道がある。
彼は命尽きるまで、各地を巡り、法を語り説いて、生涯を終えることを決意したのである。
山本伸一は、釈尊の生涯に思いを馳せると、新たな勇気がわいてきた。
その生涯は、日蓮大聖人には及ばぬまでも、法難に次ぐ法難であった。
伸一は思った。
“自分は、凡夫の身にして悪世末法に、仏法の精髄の法を世界に弘めんとしている。
経文に照らし、御書に照らして、弾圧の嵐もあるだろう。
攪乱の謀略も、非難中傷もあって当然である。私も自分らしく、どこまでも法のままに、我が使命の旅路をゆく。命の燃え尽きる時まで、人間の栄光の旗を掲げて・・・”
仏陀の章 終わり
太字は 『新・人間革命』第3巻より抜粋
この「仏陀」の章の連載が聖教新聞で始まったのは、1995年4月から。
直前の1995年3月 オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きている。
この事件をきっかけに、宗教に対する統制を強めようとする社会的な動きが出てきた。
それは後に、宗教法人法改正へとつながっていく。
当時の自民党は 新進党に参加した公明つぶしのため、創価学会に圧力をかけようと
宗教法人法改正の際に 創価学会 池田名誉会長を国会に 証人喚問し
さらしものに しようとしたのだ。
「仏陀」の章は 当時、卑劣なデマ・中傷にさらされていた、
学会員への励ましであったと同時に、
迫害の構図を 後世にとどめようとしたものであると思えてならない。
提婆達多の捏造や 策略は 今も 池田先生や 創価学会へ対する
迫害の構図と同じだ。