小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

打ち砕かれしうるま島

反戦への松明を受け継ぐ沖縄青年部

『新・人間革命』第19巻 宝塔の章 332P~

「『よし!ぼくの一生は決まった!この尊い法華経を流布して、生涯を終わるのだ!』この言葉こそ、戸田先生の究極の決意であり、創価学会の使命を明言しています。そして、ここに、人間革命、宿命転換の直道があるんです」


「末法にあって、題目を唱え、広宣流布の戦いを起こせるのは、地涌の菩薩です。私たちは、どんな宿業に悩んでいようが、本来、地涌の菩薩なんです。宿業も、末法に出現して広宣流布するために、自ら願って背負ってきたものなんです。」

「みんな、日々悩み、悶々としている。しかし、広宣流布の使命を自覚し、その戦いを起こすとき、自らの胸中に、地涌の菩薩の生命が、仏の大生命が厳然と湧現するんです。不幸や悩みに負けている仏などいません。苦悩は必ず歓喜に変わり、境涯は大きく開かれ、人間革命がなされていく。そして、そこに宿命の転換があるんです。」

では、地涌の菩薩の生命とは何か。法華経の会座において、末法の広宣流布を託されたのが地涌の菩薩である。そして、その上首・上行菩薩の姿を現じられたのが御本仏である日蓮大聖人である。したがって、私たちは広宣流布の使命に生きる時、地涌の菩薩であるその本来の生命が現われ、大聖人の御生命が、四菩薩の四徳、四大が顕現されるのである。それによって、境涯革命、人間革命、宿命の転換がなされていくのだ。

一人ひとりが、凡夫の姿のままで自分を輝かせ、病苦や経済苦、人間関係の悩みなど、自身のかかえる一切の苦悩を克服し、正法の功力を実証していくことができるのである。

「人類には生存の権利があるといっても、それを裏付ける哲学がなければ、本当の思想の潮流はならない。その思想が、世界の指導者に、全人類の胸中に打ちたてられるならば、戦争など起こるはずがない。また、貧困や飢餓、疾病、人権の抑圧などが、放置されるわけがない。」

「私たちがめざす平和は、誰もが人間らしく、幸福に生きることのできる社会の実現だ。私が世界に伝えようとしているのは、この世から戦争をなくすための、生命の尊厳という普遍の哲理です。人間が人間らしく生きるための人間主義の哲学です」

沖縄青年部は、その後も反戦出版に取り組み、翌年には「沖縄戦ー痛恨の日々」が発刊。1976年には、中高生が、父母や親戚などに聞いた戦争体験をまとめた「血に染まるかりゆしの海」を。翌年には娘たちが母親に取材した「沖縄戦・母の祈り」を発刊。79年には5冊目となる「沖縄6・23 平和への旅立」が刊行されている。

琉球大学の仲程昌徳教授は自著の「沖縄の戦記」でこの5冊は「最も注目に値する」と称賛を惜しまなかった。「肉親の体験を直接耳にしていくことによって『青年個々の胸中に反戦へのたいまつがともされ、それが確かな砦となって構築されて』いくということはありえる」と述べている。

体験を聞いた高校生は「母たちの心からの叫びを僕たちが継承していこうと思いました」記している。
若い世代が立ち上がってこそ、平和という偉業はなる。崩れざる平和を築くために、青年を、若い力を育むのだ。

広島の青年部では、『広島のこころー29年』を出版することになっていたのである。また、長崎でも長崎の原爆投下の日である8月9日に、『ピース・フロム・ナガサキ』を発刊する予定であった。

被爆体験の執筆を断る人も少なくなかった。考えることさえ辛く、忌まわしいというのである。青年たちは自分たちの考えの甘さを思い知らされた。しかし、メンバーは、ここからが本当の戦いだと思った。誠実と粘り強さーーこれこそが人間の心を動かすのだ。

どの証言も、この世のこととは思えぬ悲惨さを伝えていた。しかも、被爆の苦しみは、それで終わりではなかった。被爆者として生きた苦闘も記されている。

しかし、証言者が学会員であるだけに、多くの人が、手記の後半には、その苦悩を、信仰によって、いかに乗り越えていったかを、感動的につづっていた。

だが、作ろうとしている本は、被爆体験をまとめた反戦出版であり、信仰の体験談集ではない。委員会のメンバーは被爆とその苦しみのなかで、いかに生きたかに絞ってもらった。


太字は 『新・人間革命』第19巻より 抜粋

「打ち砕かれしうるま島」発刊

『新・人間革命』第19巻 宝塔の章 319P~

聖教新聞の沖縄版で、戦争体験の連載が始まったのは、1973年(昭和48年)の8月3日付からであった。タイトルは「戦争を知らない子供達へ」である。この連載の最初に登場したのは、「ひめゆり部隊」で生き残った婦人であった。

婦人は学会員ではなあったが、取材に快く応じてくれた。彼女の話は、衝撃的であった。米軍が間近に迫り、病院の移動が決まった時、歩けない患者は残すことになった。彼女は、"残った患者たちに、衛生兵が青酸カリ入りのミルクを飲ませた"と聞かされる。しかも、その人たちは「戦死」とされたのである。

艦砲射撃のなか、アダンの葉の下に隠れて暮らした。壕に行ってみると、重なり合うようにして、たくさんの骨があった。死後、火炎放射器で焼かれたのだ。その壕こそ、現在、「ひめゆりの塔」が立っている場所であった。その女性は、白骨の残る壕にとどまった。

語りながら婦人は何度も声を詰まらせ、泣き濡れた。取材した女子部員も、共に泣いた。婦人は、最後に怒りをかみしめるように、こう語るのであった。「国のために、必ず勝つ、と教え、信じ込ませた教育。今になって軍国主義教育がいかに大へんなものであったかがわかります。私は戦争を体験したが故に、戦争は再び起こしてはならないと思うし、また、あのような軍国主義の教育にも絶対に反対しなければならないと思っています」

この婦人の証言は、8回にわたる連載となった。集められた証言は、どれも戦争の暗部をえぐり出していた。「集団自決」の悲劇もあった。また、沖縄の人びとにとっては、米軍だけでなく、日本兵の横暴もまた大きな恐怖であった。

さらに、こんな婦人の証言もあった。軍人の夫と離れ、4人の子どもを連れて本土に疎開。疎開先で女の子を出産するが、3歳で肺炎で亡くしてしまう。何の罪もない、けなげな庶民の女性に、癒し難い心の傷を残してしまう戦争の残酷さを、彼女の手記は訴えている。

連載は58回に及び、さらに、翌年3月から「続・戦争を知らない子供達へ」の連載が続けられた。そして、この連載を中心に、戦争体験記として一冊の本にまとめることになったのである。本の題名は「打ち砕かれしうるま島」とつけられた。

沖縄戦の終結から29年後の6月「創価学会青年部反戦出版委員会」による「戦争を知らない世代へ」の第一弾として、発刊されたのである。この本の反響は大きかった。地元紙でも大きく取り上げられた。そして、この一冊が、各県の青年部による、反戦出版の突破口をひらいたのである。

伸一は、第1号となる本の扉に「創価学会は 平和反戦の集団なり 此の書 その証なり」と認めて、男子部に贈った。

「沖縄は、本土に復帰し、新時代を迎えた。沖縄の歴史はあまりにも悲惨だった。だからこそ、仏法という生命の大哲理をもって、最も平和で幸福な島にしなければならない。そうなることで、仏法の真実を証明するのだ。それが沖縄の使命なんです。『宿命』を『使命』に転ずるのが妙法の一念です」

「お父さんもいない。家も貧しい。人前で話もできないーーだからこそ盛山君には、沖縄の民衆の大リーダーになる使命がある。その資格があるんだよ」

「父親がいないから、貧しいから、話すのが苦手だからといって、自身をなくしていた人たちが、みんな、勇気をもてるようになるじゃないか。その実証を示せば、仏法の正しさが証明され、広宣流布の大きな力となる。したがって、自分のもって生まれた宿命は、そのまま使命になる。人生には、意味のないことなど一切ないし、すべてが生かされるのが信心なんだよ。」

伸一は、宿命の転換ということについて、さらに語っておこうと思った。「宿命を転換するといっても、それはまず、自分の一念を転換することから始まる。結論するならば、一念の転換とは、広宣流布の使命を自覚し、広布に生きると決めることです。戸田先生は、妙悟空のペンネームで書かれた『人間革命』で、そのことを教えてくださっているんです」

太字は 『新・人間革命』第19巻より 抜粋

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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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