小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

戦後の復興

仕事は人間修行の場である

『新・人間革命』第9巻 衆望の章 P332~

日本に駐在し、復興の模様をつぶさに見聞したフランスのジャーナリストのロベール・ギランは、日本の民衆の自主的な勤勉さ、向上への努力こそ、日本の復興の原動力であったと分析しているのである。

ところで、日本の、この経済成長は、創価学会が大発展しゆく時期と、符合していることを見逃してはなるまい。

伝統的に、勤勉や努力は日本人の美徳とされてきたが、戦後はそうした意識は、次第に薄れていった時期でもある。その中で、学会員は、仕事は、単に賃金を得るためだけでなく、自分を磨き高める"人間修行の場"であるという、仕事観、労働観を培っていった。

それは、日蓮大聖人の「御みやづかいを法華経とおぼしめせ」との御指南に基づく生き方であった。すなわち、自分の仕事を、法華経の修行であると思いなさいというのである。また、学会員として、職場で、なくてはならない人になり、信頼を勝ち得ていくために、「信心は一人前、仕事は三人前」というのが、第2代会長戸田城聖の指導であった。

創価の同志は、その実現のために、自分の仕事を通して、社会に貢献しよう、人格を磨こう、職場の勝利者になろうと、自ら、懸命に働いた。仏法者としての誇りと信念と哲学が、勤労の原動力となっていたのである。

学会は、オリンピックの行われた64年の10月末には500万世帯を突破していた。このメンバーが、社会の建設を誓い、それぞれの職場で"第一人者"をめざして、あらゆる困難に挑戦し、はつらつと仕事に取り組んできたのである。そこには、無数の人間革命のドラマがあった。

労働を金銭のためだけと考え、拝金主義の風潮が高まりつつあるなかで、学会員は労働の新しい意義を見いだし、社会の発展の原動力になってきたのである。

また、戦後19年間で、農村から都市への人口移動も激増し、単身世帯、核家族が増加し、地域的な連帯感の希薄化や人びとの孤独感が、新たな問題として浮上していったなかで、人間の心と心を結び合い、「励まし」と「希望」のネットワークを広げてきたのが、創価学会であった。

国や社会が反映していく源泉は、民衆である。その民衆が希望をなくし、活力を失い、また、利己主義や怠惰に陥るならば、すべては、衰退していかざるをえない。

日本の政治は、社会の最高の宝ともいうべき民衆の存在を忘れていた。「国民所得倍増計画」の推進によって人びとの所得は増えはしたが、物価もまた急上昇し、所得の増加がそのまま国民一人ひとりの生活の豊かさにはつながらなかった。

人間のため、民衆のための社会の建設ーーこの当然のことが、忘れられていたのが、戦後19年を経た、日本の社会の現実であったといってよい。

本来、そのために立ち上がるのが、政治家である。しかし、その政治家たちの大多数は、保身と党利党略に終始し、政治家が、民衆を意識するのは選挙の時だけという有様であった。

山本伸一は、そうした政治の現状を見るにつけ、胸を痛めてきた。そして、公明政治連盟の議員たちが、「人間のための政治」「民衆のための政治」を実現していってくれることを、熱願し続けてきたのである。この期待に、公政連の議員たちは、懸命に応えてくれた。

仏法者である公政連のメンバーは、特に、人間の生命を守るということについては、最も敏感であった。そのころ、社会的にクローズアップされてきた交通事故の問題も、議員たちは、事故原因の調査から始め、事故多発地域に何度も足を運び、事故原因を調べ、原因は、当事者だけの問題ではなく、信号機や横断歩道の不備、道路事情の悪さといった、道路行政に起因しているものも多いことを見つけるが、こうした声に、耳をそばだて、そのために奔走する政治家は、極めて少なかった。


太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋

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第18回オリンピック東京大会

『新・人間革命』第9巻 衆望の章 P316~

<衆望の章 開始>

1964年10月10日から24日まで、第18回オリンピック東京大会が開催され、日本国中が、わき返っていた。

東京オリンピックは、過去に戦争の激化により、開催が決定していながら中止となった過去があった。"平和の祭典"オリンピックは、戦争によって、いともたやすく、つぶされてしまったのだ。

その中止から四半世紀余り過ぎ、日本は 敗戦という辛酸をなめ、そこから、めざましい復興を果たしたのである。

日本選手の活躍も目覚ましかった。金メダル16、銀メダル5、銅メダル8を獲得。金メダルの数ではアメリカ、ソ連に次いで、3位となったのである。

山本伸一は、学会本部で、女子部の幹部たちと一緒に、テレビで、大松博文監督率いる女子バレーボールの決勝戦の模様を、観戦した。試合が終わると、伸一は女子部の幹部に語った。「勝つことはうれしいし、気持ちがいい。しかし、実力の差は紙一重でしょう。それなのに、日本チームが圧勝したのはなぜかーーここが大事なポイントだ。」

「日本チームは、『絶対勝つ』という確信に燃えていたことだ。勝利への強き一念で、皆が団結していった。あなたたちは、新しい時代を開くために、広布と人生の戦いに、勝ち続ける責任がある。その意味で、今の試合から学ぶべきことは多いよ。」

文豪・吉川栄治に、「我以外皆師」との有名な言葉があるが、伸一もまた、すべてのものから学びゆかんとする、強き向上心に満ちあふれていたのである。


閉会式では、国や民族の区別もなく、互いに入り交り、ともに腕や肩を組み、選手たちは進んでいった。意表をつく、楽しく、愉快な行進であった。そして、何よりも、ともに同じ人間であるという自覚に結ばれた「平和」を愛する「自由の行進」であった。そこには、権威も権力もなかった。

主催者側は、きちんと並んで入場することを、計画していた。ところが、選手たちには、"楽しく、自由にやりたい"という、強い思いがあったようだ。役員の生死を振り切り、グランドになだれ込んでいったのである。

閉会式の行進を通し、人びとは、国家や民族、人種、イデオロギーの違いを超えて「世界は一つ」という理想を、一瞬であれ、分かち合ったことは間違いない。

東京オリンピックは、成功裏に終わった。それは、日本が敗戦の荒廃から、完全に復興したことを世界に示す大会となった。まさに、戦後20年の節目を前にして、戦後史の一つの転換点を成す、象徴的な出来事といえた。

このオリンピックの開催は、東京という一都市の事業ではなく、日本の国家的な事業として位置づけられてきた。東京は、世界に恥ずかしくない首都の顔をもたねばならないと、首都圏整備計画の一環として、オリンピックの関連事業が推進されてきたのである。

競技施設の建設や運営にあてられた費用より、国鉄の東海道新幹線建設、地下鉄整備、道路整備などの間接費用に8割近くが使われた。

オリンピックに間に合わせるために、突貫工事が続けられ、首都高速や、環状線や一般道路も整備された。開幕直前には、東海道新幹線が、着工からわずか5年半にして、開通している。新幹線の開通は、"スピード時代"の象徴であった。

ホテルなどのビル建設も急ピッチで進められた結果、東京の街並みは一変した。東京を訪れた諸外国の人びとは、"敗戦国・日本"の復興に目を見張った。そして、これによって、日本人は、日本は"一流国"入りしたという、自身を得たといってよい。

「経済白書」が「もはや戦後ではない」としたのは、1956年のことであった。それから、わずか8年にして、GNP(国民総生産)は、3倍の成長である。

では、「日本の奇跡」とさえいわれた、この復興を可能にした原動力は、何であったのか。
それは、民衆である。民衆一人ひとりに内在する、エネルギーである。



太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋
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