『新・人間革命』第16巻 入魂の章 57P~
会館周辺を回って同志を激励しようという山本伸一に、高見は、伸一の体を心配するが、一瞬たりとも、無駄に時間を過ごせないという伸一だった。
会館の外で警備をしている男子部員を 懸命に激励する伸一。東京から同行してきた幹部たちは、ただ、黙って見ていた。すると伸一は、厳しい口調で言った。
「どうしてあなたたちは、役員として一生懸命に働いてくださっている方々に、ねぎらいの言葉をかけ、お礼を言おうとしないのだ!」
「同志の方々が、献身的に学会のためにつくしてくれていることを、いつの間にか、あたりまえのように思っている。それが実感できなくなっていること自体、官僚主義に陥り、傲慢の心に毒されているんです」彼は、幹部には常に厳しかった。
御書には、「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」と記されている。人が称賛してくれるかどうかではなく、広宣流布のために頑張れること自体に、最高の喜びと感謝を感ぜずにはいられないはずである。そして、その感謝の心が、また功徳、福運を増していくのである。
しかし、だからといって、さまざまな任務に積極的に取り組んでくださる同志の献身を、幹部が当然のように考えるのは誤りであり、それは、傲慢である。
大聖人は、信心に励む人への接し方について「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」との経文をひかれ、“仏に接するように互いに尊敬していきなさい”と御指導されている。仏に等しい同志の献身的な行為に感謝がないのは、この精神をふみにじっていることになる。ゆえに、伸一は、幹部に、同志に対する姿勢を、徹底して訴えておきたかったのである。
“自分が必ずやり抜くのだ”という責任感が強い人ほど、同志への感謝の念は強くなる。力を合わせてくれる人のありがたさが、身に染みるからです。
一人では、戦いは勝てない。したがって、幹部は同志に心から感謝し、頭を下げ、土下座する思いでお願いして、訴え、励ますんです。それが本当の幹部の姿です」
「特に青年部で幹部になった者は、自分が人より偉いかのように、錯覚しないことです。」「立場的には、青年部の最高幹部になったとしても、それで、自分に力があり、皆から信頼され、尊敬されていると思い込んではいけない。」
「ゆえに、自分は、まだ若く、未熟者なのだと、常に言い聞かせ、謙虚に真剣に研鑽を重ね、力をつけていくことです。その謙虚な姿、誠実さに、人はついてくる。信心の強情さは人格に現れる」
話題が「本土復帰後」の問題になった時、壮年が「具体的に、何をテーマにして進んでいけばよいのでしょうか」と質問した。
「私たちは、政治を厳しく監視し、政治を民衆のためのものにしていく使命と責任がある。もう一つ見落としてはならないことは、今後、本土から、快楽的、消費的な文化や、拝金主義的な風潮も入り込んでくるということです。そのなかで、沖縄人の純粋で豊かな心を、どうやって守り、育んでいくかです。」
「青少年に、人間の真実の価値とは何か、人生を生き抜くために何が大事なのかを教え、人間性を磨き、鍛え、輝かせて生ける教育ができるかどうかが、沖縄の未来を決定づけていくことになる。そして、それを本当にできるのは、創価学会しかないことを、私は断言しておきます。「若い世代を、育てましょう。信心も親から子へ、子から孫へと、きちんと継承していってもらいたい」
高齢者の方には、御書をひきながら合掌する思いで語った。「一生成仏のためには、最後の最後の瞬間まで、絶対に信心の歩みを止めてはならないとの御指導です。」
「足腰が立たなくなっても、正義を書きつづる手があります。手が動かなくなっても、仏法を語る口があります。また、御本尊を見つめ、御書を拝する目があります。命の尽きる瞬間まで、這ってでも、戦って、戦って、戦って、戦い抜いていきます。私はその決意です。そこに仏道が、わが人生の完勝があるからです」
会館周辺を回って同志を激励しようという山本伸一に、高見は、伸一の体を心配するが、一瞬たりとも、無駄に時間を過ごせないという伸一だった。
会館の外で警備をしている男子部員を 懸命に激励する伸一。東京から同行してきた幹部たちは、ただ、黙って見ていた。すると伸一は、厳しい口調で言った。
「どうしてあなたたちは、役員として一生懸命に働いてくださっている方々に、ねぎらいの言葉をかけ、お礼を言おうとしないのだ!」
「同志の方々が、献身的に学会のためにつくしてくれていることを、いつの間にか、あたりまえのように思っている。それが実感できなくなっていること自体、官僚主義に陥り、傲慢の心に毒されているんです」彼は、幹部には常に厳しかった。
御書には、「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」と記されている。人が称賛してくれるかどうかではなく、広宣流布のために頑張れること自体に、最高の喜びと感謝を感ぜずにはいられないはずである。そして、その感謝の心が、また功徳、福運を増していくのである。
しかし、だからといって、さまざまな任務に積極的に取り組んでくださる同志の献身を、幹部が当然のように考えるのは誤りであり、それは、傲慢である。
大聖人は、信心に励む人への接し方について「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」との経文をひかれ、“仏に接するように互いに尊敬していきなさい”と御指導されている。仏に等しい同志の献身的な行為に感謝がないのは、この精神をふみにじっていることになる。ゆえに、伸一は、幹部に、同志に対する姿勢を、徹底して訴えておきたかったのである。
“自分が必ずやり抜くのだ”という責任感が強い人ほど、同志への感謝の念は強くなる。力を合わせてくれる人のありがたさが、身に染みるからです。
一人では、戦いは勝てない。したがって、幹部は同志に心から感謝し、頭を下げ、土下座する思いでお願いして、訴え、励ますんです。それが本当の幹部の姿です」
「特に青年部で幹部になった者は、自分が人より偉いかのように、錯覚しないことです。」「立場的には、青年部の最高幹部になったとしても、それで、自分に力があり、皆から信頼され、尊敬されていると思い込んではいけない。」
「ゆえに、自分は、まだ若く、未熟者なのだと、常に言い聞かせ、謙虚に真剣に研鑽を重ね、力をつけていくことです。その謙虚な姿、誠実さに、人はついてくる。信心の強情さは人格に現れる」
話題が「本土復帰後」の問題になった時、壮年が「具体的に、何をテーマにして進んでいけばよいのでしょうか」と質問した。
「私たちは、政治を厳しく監視し、政治を民衆のためのものにしていく使命と責任がある。もう一つ見落としてはならないことは、今後、本土から、快楽的、消費的な文化や、拝金主義的な風潮も入り込んでくるということです。そのなかで、沖縄人の純粋で豊かな心を、どうやって守り、育んでいくかです。」
「青少年に、人間の真実の価値とは何か、人生を生き抜くために何が大事なのかを教え、人間性を磨き、鍛え、輝かせて生ける教育ができるかどうかが、沖縄の未来を決定づけていくことになる。そして、それを本当にできるのは、創価学会しかないことを、私は断言しておきます。「若い世代を、育てましょう。信心も親から子へ、子から孫へと、きちんと継承していってもらいたい」
高齢者の方には、御書をひきながら合掌する思いで語った。「一生成仏のためには、最後の最後の瞬間まで、絶対に信心の歩みを止めてはならないとの御指導です。」
「足腰が立たなくなっても、正義を書きつづる手があります。手が動かなくなっても、仏法を語る口があります。また、御本尊を見つめ、御書を拝する目があります。命の尽きる瞬間まで、這ってでも、戦って、戦って、戦って、戦い抜いていきます。私はその決意です。そこに仏道が、わが人生の完勝があるからです」
太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋