小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

弟子の道

あとがき 1

『新・人間革命』第30巻(下) あとがき 437p

2018年(平成30年)8月6日 長野研修道場にて脱稿

創価の先師・牧口常三郎先生、恩師・戸田城聖先生、そして、尊き仏子にして「宝友」たる全世界のわが同志に捧ぐ

「あとがき」より抜粋

1964年(昭和39年)12月2日の『人間革命』執筆開始から54年、『新・人間革命』の筆を執ってから25年ーー弟子が心血を注いで認めた、創価の広布の「日記文書」に、恩師・戸田城聖先生は、目を細めて、頷いてくださっているにちがいない。

私が戸田先生の伝記小説として、『人間革命』の執筆を決意したのは、世間の誤解や中傷の矢面に立たれた先生の真実を明らかにし、世界に宣揚するとともに、「創価の精神の正史」と「真実の信仰の道」を後世にとどめたかったからである。

『人間革命』の連載が、93年(平成5年)2月11日に終了すると、全国の会員の皆様から、続編の連載を望む声が数多く寄せられた。師の本当の偉大さは、あとに残った弟子が、いかに生き、何をなしたかによって証明される。

さらに、恩師の精神を未来永遠に伝えゆくためには、後継の「弟子の道」を書き残さねばならない。執筆は、私の使命であると心に決めて、お引き受けした。

続編となる『新・人間革命』の筆を起こしたのは、その年の8月6日、長野研修道場であった。研修道場のある軽井沢は、戸田先生と共に最後の夏を過ごし、先生の伝記小説の執筆を、深く決意した思い出の地である。

また、8月6日は、世界で最初に原子爆弾が広島に投下されて48年となる日である。私は、この地で、この日に、『新・人間革命』を書き始めることにした。

前作の『人間革命』は、64年12月2日、太平洋戦争で凄惨な地上戦が展開された沖縄の地で起稿し、冒頭には、こう記した。

「戦争ほど、残酷なものはない。 戦争ほど、悲惨なものはない」
一方、『新・人間革命』は、次の一文から始めた。

「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。
平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」

世界広宣流布の目的は、全人類の幸福と平和の実現にこそある。この二つの書き出しの言葉に、私は、先師、恩師の精神と思想を受け継ぎ、断じて「戦争」の世紀から「平和」の世紀へ歴史を転じゆこうとの、弟子としての誓いを永遠に刻印したかったのである。

『新・人間革命』を起稿したのは65歳の時であった。完結までに30巻を予定していた。日本国内はもとより、世界を東奔西走しながらの仕事となる。“限りある命の時間との壮絶な闘争”と、覚悟しての執筆であった。

連載は、1993年の11月18日付から開始された。一日一日が、全精魂を注いでの真剣勝負となった。生命の言葉を紡ぎ出し、一人ひとりに励ましの便りを送る思いで推敲を重ねた。それはまた、わが胸中の恩師と対話しながらの作業でもあった。

「創価の精神を伝え残せ!この世の使命を果たし抜くのだ!」ーー脳裏に先生の声がこだまする。疲れが吹き飛び、勇気が沸いた。

第30巻の最終章となる「誓願」を書き終えたのは、執筆開始から、ちょうど満25年となる2018年8月6日であった。場所も起稿と同じ長野研修道場である。新聞連載の終了は、この章の執筆が始まった時から、戸田先生が、「原水爆禁止宣言」を発表された、9月8日と決めていた。この日こそ、創価学会の平和運動の原点となった日であるからだ。

私は、先生の平和への遺訓を実現するために、全世界を駆け巡り、同志と共に創価の人間主義の潮流を起こしてきた。その後継の歴史を綴った小説の連載を締めくくるには、この日しかないと思った。

小説『新・人間革命』は、1960年(昭和35年)5月3日に第三代会長となった山本伸一が、5か月後の10月2日、初の海外訪問へ出発する場面から始まる。そして、学会が大きな目標としてきた、新世紀の開幕の年である2001年の11月までを描いている。

この間に、世界を二つに分断してきた東西冷戦にピリオドが打たれた。さらに、東西両陣営の一方の中心であったソ連も崩壊した。中ソの対立の溝が深まるなかで、訪中、訪ソを繰り返し、さらに、ソ連のゴルバチョフ大統領とも何度も語り合い、友誼を育んできた。

万人が「仏性」を具えていると説く仏法は、「生命の尊厳」と「人間の根本的平等」の大哲理である。また、仏法の「慈悲」は人道の規範となる。まさに仏法こそ、「不信」を「信頼」へ、「憎悪」を「友情」に変え、あらゆる戦争を根絶し、恒久平和を実現しゆく大思想である。

この仏法の法理から発する人間主義を時代の精神とし、世界を結ぶための挑戦が、伸一の平和旅であった。


「あとがき その2へ続く」


太字は 『新・人間革命』第30巻より 抜粋

師と弟子の道

『新・人間革命』第10巻 桂冠の章 P355~

引き続き、ハワイ総支部の新人事が 発表され、ワイキキとオアフの2支部の結成が発表され、これで、ハワイは、1総支部4支部の布陣で、スタートすることになったのである。

人事発表に続いて、再び、伸一は指導に立った。ここで、彼は、次々と未来構想を発表していった。常に希望あふれる、新しき目標を示しゆくこともまた、大事な指導者の責任といえよう。

このあと、会館の庭で、参加者全員が山本伸一と一緒に、記念の写真に納まることになっていた。撮影が終わるたびに、友の輪のなかに入り、一人ひとりに声をかけ、握手を交わし、念珠など、記念の品を渡していった。

一瞬一瞬が真剣勝負であり、全魂を傾けてての激励・指導であった。
同志のために献身する伸一の激闘を、役員として、目の当たりにしてきたのが、あの「パイナップル部隊」の青年たちであった。

彼らは、その姿に大きな感動を覚え、山本会長とともに、生涯、広宣流布に生き抜こうと、誓いを新たにするのであった。

深夜に聖教新聞の記者が 会館へやってくると、男子部が山本会長の安全を守るために、警備をしていた。彼らは、誰に言われたわけでもなく、夜通し、警備をしようと決め、交代で、会館の車庫のなかにいたのである。

記者たちの驚きは大きかった。そこには、人生の「師」を求め、仕え、守ろうとする「弟子」の姿があったからだ。「師」と「弟子」という関係は、文化的な風土や伝統から見て、日本人でなければ理解できないのではないかと、記者たちは考えていた。だが、それは自分たちの思い上がりにすぎなかったことを、彼らは痛感したのであった。

いかなる道であれ、それを深めようとする時、教えを受け、指標とし、模範となる人の存在は不可欠である。それが「師」である。そして、その「師」に応えんとする時、そこに、おのずから「弟子」の道が生まれる。まさに、それは、求道に生きる人間の、必然的な帰結といえよう。

ハワイの青年たちは山本会長に直接指導を受けることが願いであったが、山本会長がお疲れだろうと、それを口にできず、必死になって願いが叶うよう唱題した。交流団と勤行した伸一は、庭の芝生の上で正座して、待機するハワイの青年たちを見た。

伸一は、手を振りながら庭に出て行く。青年たちは、伸一への最高の敬意を、表すため、正座したままで膝を崩そうとしなかった。伸一は、「仏法も学会も、自由なんです。堅苦しいまねをすることは、かえって周囲の人に仏法を誤解させることにもなりかねません」というとようやく膝をくずした。

メンバーは、日系人以外の人がほとんどであった。質問を受けると、教学の研鑽に、懸命に励んでいることを感じさせる質問や、どれも広宣流布への息吹あふれる、前向きな質問ばかりであった。

伸一は、ハワイに、後継の青年たちが、すくすくと育っていることが、たまらなく嬉しかった。「みんなの力で、ハワイに広宣流布の模範をつくってください。」伸一の渾身の指導に、青年たちの心は決まった。

帰国する交流団のメンバーも、この話を聞いていた。伸一は、交流団を見て、険しい表情で語った。「ハワイの青年たちは真剣だ。この真剣さが大事なんだ。広宣流布は障魔との戦いなんだから、遊び半分であったり、油断があれば、魔にやられてしまう。これを忘れてはならない」

だが、交流団のなかで、この伸一の指導を、今の自分のこととして受け止めたメンバーは、ほとんどいなかった。

交流団のメンバーは各部を代表する幹部である。しかし、限られた滞在時間のなかで、ハワイの大発展の流れを開こうと、獅子奮迅の戦いをしている伸一とは、大きな一念の隔たりが生じていたのである。

やがて交流団は会館を後にし、空港へ向かった。


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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