小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

座談会

座談会・御書根本・目標

『新・人間革命』に学ぶ 番外編②-1

「新・人間革命」につづられた名言をテーマごとに紹介

テーマ「座談会」
組織の中心者や担当幹部が、全員が座談会に参加できるように激励、指導に歩くことから座談会は始まるのである。個人指導に行けば、皆の要望や意見も聞ける。それぞれの特技や趣味もわかる。また、悩みや功徳の体験を聞くこともできる。それらを、企画などに反映させ、皆が主役となれるように工夫していくなかに、座談会の充実もあるのだ。

さらに、座談会のあとの励ましが大事である。出席の労をねぎらい、発言を讃え、感想を聞き、>次回の参加を呼びかけていくのである。また、伸一は、座談会の成功は団結にあることを確認し、中心幹部だけでなく、全員が主体者として立つことを訴えた。

座談会では、皆が中心者の自覚で、信心の喜びや仏法のすばらしさを叫び抜くのだ。
(第18巻「飛躍の章」p298~299)


テーマ「御書根本」
「『広布第二章』とは、生命の尊厳や慈悲など、仏法の哲理を根底とした社会建設の時代です。
言い換えれば、創価学会に脈打つ仏法の叡智を社会に開き、人類の共有財産としていく時代の到来ともいえます。

そのためには、原点に立ち返って、社会を建設し、文化を創造していく源泉である、仏法という理念を、徹底して掘り下げ、再構築していかなくてはならない。(中略)新しき発展のためには、教学の研鑽に励み、仏法の理念を極めていくことが不可欠になる。その大生命哲学運動の起点が本年であります。

教学という理念がない実線は、社会の人びとを納得、共感させる説得力をもちえず、自己満足に終わってしまう。また、実践のともなわない教学は、観念の遊戯であり、現実社会を変革する力とはなりません」
(第17巻「本陣の章」p10)

テーマ「目標」
「広宣流布を進めるうえで大事なのは、常に目標をもつということです。目標がなければ、空虚になり、活動も空転してしまう。しかし、目標があれば、未来への希望が湧いてくるし、力もでる。また、みんなが、定めた目標を必ず達成しようと思うならば、おのずから、団結も生まれてくる。

ところが、中心者に、“挑戦の心”と“強い生命力”がないと、たやすく達成できる目標を掲げたり、いい加減に目標を決めて、それを、みんなに押しつけたりするようになる。それでは、みんなが本気になって力を出すことはできない。だから中心者には、”挑戦の心”が、“強い生命力”がなくてはならない。

さらに、自分一人になっても、この目標は達成してみせるという、偉大なる責任感がなければならない。リーダーの、その心意気に、気迫に打たれて、みんなも頑張ろうという気になるんです。」
(第9巻「光彩の章」p256~257)


太字は 聖教新聞 小説『新・人間革命』番外編②より 抜粋

これが創価学会だ

『新・人間革命』第24巻 人間教育の章 193p

<人間教育の章 開始>

創価学会はどこにあるのかーー。遠く彼方にあるのではない。自分が暮らし、日々戦い、励ましの歩みを運ぶ、わが地域、わが地区、わがブロックにこそ、絢爛たる創価の大城があるのだ。ゆえに、そこに、「わが組織を見よ。これが創価学会だ!」と胸を張れる、歓喜と麗しき人間共和の実像をつくらねばならない。

わが組織に、功徳の体験の花は咲き薫っているか!信心の歓喜と確信はあふれているか!宿命の嵐に敢然と挑み立つ、勇気はみなぎっているか!仏道修行への挑戦と、切磋琢磨はあるか!粘り強い
励ましの対話はあるか!信頼の絆と団結はあるか!皆に創価の師弟の誇りは脈打っているか!

御聖訓には、「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり」と仰せである。自分が今いる活動の舞台が、「当詣道場」、すなわち、一生成仏のための仏道修行の場となるのだ。したがって、どこか別の世界に、本当の「創価学会」があるなどと考えるのは誤りである。

"広宣流布の建設とは、まず、自分のいる組織を、盤石に築き上げていくことだ。それには、自身が、建設の勇者となることだ。誰かではない。自分が立つのだ。一人立つーーそこから、すべては始まる。それが、創価の永遠の精神だ。皆が山本伸一の分身だ。皆が会長だ!"これが、伸一の生命の叫びであった。

1977年(昭和52年)「教学の年」は、大ブロックの教化をめざし、活動方針の一つに「座談会運動で魅力ある大ブロックの建設」を掲げてスタートした。さらに、毎月、「大ブロック建設週間」を設け、座談会を中心に、全幹部が大ブロックに入り、協議会や家庭指導に力を入れていくことになったのである。

山本伸一は、大ブロック担当員勤行会で訴えた。「私たちの現実の日々は、悩みだらけでしょう。学会活動の場でも、"わからずや"ばかりで、もうやっていられないと思うこともあるかもしれない。病苦と闘っている方もいるでしょう。しかし、戸田先生は、大確信をもって、よく、こう言われておりました。『朝晩の勤行を励行し、懸命に唱題氏、折伏を行っていくならば、人間革命できないわけがない。幸福にならないわけがない。これだけは断言しておきます』」

伸一は、集った大ブロック担当員の生命の奥深く、仏法への大確信を打ち込んでおきたかった。彼に話は一転して、家庭での振る舞いに移った。「人間革命といっても、決して特別なことではないんです。一例をあげれば、・・・いつも怒りっぽかったのに、怒らなくなった。笑顔で接するようになった。よく気遣いできるようになった。ーーそれが、人間革命なんです。

幸せといっても、自分の身近なところにあるんです。家庭で、隣近所との付き合いの中で、あるいは、職場で、いい人間関係をつくれるかどうかです。そして、心から感謝でき、幸せだと思えるーーそこに、幸福があるんです。」

最後に彼は、「愚痴」について語っていった。「せっかく頑張っても、愚痴ばかり言っていると、その福運を消してしまうし、功徳もありません。卑近な例でいえば、風邪を治そうと薬を飲みながら、薄着をして、雨に打たれて歩いているようなものです」

「愚痴の怖さは、言うたびに、胸中に暗雲を広げていくことです。心を照らす太陽が闇に覆われ、希望も、感謝も、歓喜も、次第に薄らいでいってしまう。御聖訓にも『わざわいは口より出でて身を破る』と仰せです。さらに、愚痴っぽい人というのは、自分では気づかぬうちに、全体の空気を重くし、人のやる気をも奪っていく」

「つまり、広宣流布への勢いを削ぎ、戦いの力がみなぎるのを止めてしまっているんです。それでは、功徳どころか罰を受ける結果になりかねない。だから、皆で、互いに戒め合っていくことが大事なんです。大聖人が『心こそ大切』と仰せのように、大事なことは、どういう一念で信心に励んでいくかです。どうせ信心をするなら、愚痴を言いながらではなく、自ら勇んで、実践していかなければ損です」

婦人部は、創価学会の太陽である。その婦人たちの、はつらつとした姿が、包容の微笑みが、幸の光源となって、暗く閉ざされた友の心に降り注いでいくのだ。


太字は 『新・人間革命』第24巻より 抜粋

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