『新・人間革命』に学ぶ 番外編①-1
「新・人間革命」につづられた名言をテーマごとに紹介
テーマ「皆が主役」
「広宣流布の大河も、日蓮大聖人お一人から始まりました。創価学会も、最初は牧口先生と戸田先生のお二人であったが、今では、世界に広まりました。ヨーロッパも、(中略)大発展することはまちがいありません。だが、それには、互いに人を頼るのではなく、皆が一人立たなければならない。
"私がいる限り、たとえ自分一人になっても、絶対に広宣流布をしてみせる。必ず勝つ!"と、師子となって戦い続ける人が、何人いるかです。その一人の発心、一人の勝利が積み重なってこそ、大勝利がある。
したがって、"時代を開く""歴史を創る"といっても、特別なことではない。一人ひとりが自分の決めた課題に挑み、今日を勝ち抜くことです。(中略)
それぞれが広布の主役であることを自覚し、信心のヒーロー、ヒロインとして、果敢なる挑戦のドラマをつくっていただきたいのであります」
(第12巻「新緑の章」p63~64)
テーマ「今世の使命」
「日蓮大聖人は、『須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え他をも勧めんのみこそ今生人界の思出
なるべき』と言われています。つまり、一心に唱題と折伏に励み抜いていくことこそ、人間として生まれてきた、今世の最高の思い出となると、御断言になっているんです。
私たちは、人間として生まれたからこそ、題目を唱え、人に仏法を語ることができる。一生成仏の千載一遇のチャンスを得たということです。ゆえに、地涌の菩薩として、今世の使命を果たし抜いていくんです」皆、真剣な眼差しで、伸一を見ていた。
「人生の総仕上げとは、それぞれが、幸福の実証を示していく時であるということです。"私は最高に幸せだ。こんなに楽しい、人生はない"と、胸を張って言える日々を送っていただきたいんです」
(第25巻「共戦の章」p151~152)
テーマ「広宣流布」
「広宣流布とは決してゴールではありません。何か特別な終着点のように考えるのは、仏法の根本義からしても、正しくないと思います。(中略)日蓮大聖人が『末法万年尽未来際」と叫ばれたこと自体、広宣流布の流れは悠久にして、とどまるところがないことを示されたものといえます。広宣流布は流れの到達点ではなく、流れそれ自体であり、生きた仏法の、社会への脈動なのであります。」
広宣流布が「流れそれ自体」ということは、間断なき永遠の闘争を意味する。ゆえに、広布に生きるとは永遠に戦い続けることだ。そこに生命の歓喜と躍動と真実の幸福がある。
さらに伸一は、「宗教は文化の土台であり、人間性の土壌である」と述べ、広宣流布とは"妙法の大地に展開する大文化運動"であると定義づけたのである。
(第14巻「大河の章」p297~298)
「新・人間革命」につづられた名言をテーマごとに紹介
テーマ「皆が主役」
「広宣流布の大河も、日蓮大聖人お一人から始まりました。創価学会も、最初は牧口先生と戸田先生のお二人であったが、今では、世界に広まりました。ヨーロッパも、(中略)大発展することはまちがいありません。だが、それには、互いに人を頼るのではなく、皆が一人立たなければならない。
"私がいる限り、たとえ自分一人になっても、絶対に広宣流布をしてみせる。必ず勝つ!"と、師子となって戦い続ける人が、何人いるかです。その一人の発心、一人の勝利が積み重なってこそ、大勝利がある。
したがって、"時代を開く""歴史を創る"といっても、特別なことではない。一人ひとりが自分の決めた課題に挑み、今日を勝ち抜くことです。(中略)
それぞれが広布の主役であることを自覚し、信心のヒーロー、ヒロインとして、果敢なる挑戦のドラマをつくっていただきたいのであります」
(第12巻「新緑の章」p63~64)
テーマ「今世の使命」
「日蓮大聖人は、『須く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え他をも勧めんのみこそ今生人界の思出
なるべき』と言われています。つまり、一心に唱題と折伏に励み抜いていくことこそ、人間として生まれてきた、今世の最高の思い出となると、御断言になっているんです。
私たちは、人間として生まれたからこそ、題目を唱え、人に仏法を語ることができる。一生成仏の千載一遇のチャンスを得たということです。ゆえに、地涌の菩薩として、今世の使命を果たし抜いていくんです」皆、真剣な眼差しで、伸一を見ていた。
「人生の総仕上げとは、それぞれが、幸福の実証を示していく時であるということです。"私は最高に幸せだ。こんなに楽しい、人生はない"と、胸を張って言える日々を送っていただきたいんです」
(第25巻「共戦の章」p151~152)
テーマ「広宣流布」
「広宣流布とは決してゴールではありません。何か特別な終着点のように考えるのは、仏法の根本義からしても、正しくないと思います。(中略)日蓮大聖人が『末法万年尽未来際」と叫ばれたこと自体、広宣流布の流れは悠久にして、とどまるところがないことを示されたものといえます。広宣流布は流れの到達点ではなく、流れそれ自体であり、生きた仏法の、社会への脈動なのであります。」
広宣流布が「流れそれ自体」ということは、間断なき永遠の闘争を意味する。ゆえに、広布に生きるとは永遠に戦い続けることだ。そこに生命の歓喜と躍動と真実の幸福がある。
さらに伸一は、「宗教は文化の土台であり、人間性の土壌である」と述べ、広宣流布とは"妙法の大地に展開する大文化運動"であると定義づけたのである。
(第14巻「大河の章」p297~298)
太字は 聖教新聞 小説『新・人間革命』番外編①より 抜粋