小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

幹部職員の育成

本部職員の育成

『新・人間革命』第10巻 桂冠の章 P332~

11月13日にマイアミ沖で起こった観光船「ヤーマス・キャッスル号」の火災は、約90人の尊い人命が失われた。伸一は、この事故を、他人事とは、考えなかった。伸一は、厳しい口調で語っていった。「大きな事故が起こる前には、必ず、なんらかの予兆となる現象がある。来客を平気で待たせるような風潮ができつつあることも、その一つです。」

「最近は、遅刻者も出ている。こうしたことも、大問題が生ずる予兆といえる。その兆しを見逃してしまい、迅速に改めるべきを改めておかなければ、将来に、大きな禍根を残すことになる。だから、私は、口うるさいようだが、厳しく言うんです」

『ヤーマ・キャッスル号』の大参事は、船内の点検を怠った手抜きが原因で、「そこには“少しぐらいは、手を抜いても大丈夫だろう”という油断と惰性がある。」と指摘。

「油断や惰性、怠惰は、どこから生じるのか。それは、責任感の欠如からです。ゆえに、広宣流布を推進しゆく使命を担った本部職員は、自分に与えられた仕事だけをこなせばよいという、雇われ人の根性であっては絶対にならない。」

伸一は、広宣流布を願うがゆえに、学会を思うがゆえに、本部職員には厳しかった。だが、彼は、誰よりも、自分自身に対して、最も厳格であった。だから、いかに厳しくとも、皆が彼を信頼し、付き従ってきたのである。

暮も押し詰まったある日の夕方、山本伸一は、学会本部と聖教新聞社の各部署を、くまなく点検して歩いた。新聞社の地下のボイラー室も見て回った。そこでは、煤で汚れた作業着を身にまとって、一人の男性職員が、黙々と清掃に励んでいた。

「いつも、ご苦労様!」伸一が声をかけると、その職員は、“この一年間、有意義な、勝利の一念にすることができた”と言って、明るくはつらつと自分の仕事に誇りと責任をもって取り組んでいることがわかった。

ひとことに本部職員といっても、華やかな部署で働く人もいれば、目立たぬ職場で、陰で本部を支える人もいる。
人は、日の当たる場所にいて、期待され、称賛されている時には、はりきりもする。だが、その部署や立場を外れた時に、どこまで真剣に、意欲的に仕事に取り組んでいけるかである。

また、華やかさもない、苦労の多い職場や、自分の希望と異なる部署に配属された時に、頑張り抜けるかどうかである。実は、その時こそ、人間としての、さらには、仏法者としての真価が問われているのだ。

伸一は、戸田城聖の会社に勤めることになった時から、自分の人生は、広宣流布に捧げゆくことを決意していた。その具体的な実践の道は、不世出の広布の指導者である戸田を師と定め、弟子として仕え、守り抜くことにあると、彼は結論していたのである。だから、伸一は、給料の遅配が続いた時も、微動だにしなかったし、いかなる仕事も、喜び勇んで引き受けてきた。それが、学会を守り、広宣流布を進めていくことになるからだ。

大東商工で最も不得手な営業の仕事をするようになった時も、そこを人間修行の場と決め、最高の仕事をしようと心に誓った。そして、社員の模範となる見事な実績を残し、会社を大きく発展させてきた。

一方、戸田のもとで働いていた社員たちの多くは、事態の急変に狼狽し、結局は戸田を憎み罵りながら、退職していった。

いつの時代も、自分中心で、名聞名利の者は、厳しい環境に置かれると、すぐにその馬脚を現すものだ。落胆し、不貞腐れ、愚痴と文句を並べ立てて・・・。「冥の照覧」を、仏法の因果の理法を、信じられないゆえの弱さである。

“本部職員とは、広宣流布に生き抜くことを至上の目的とし、自ら献身を志願した、勇者の集いであるはずだ。いかに、時代は変わろうが、その原点だけは、絶対に忘れてはならない。この精神が、全職員に脈動していけば、学会は、官僚主義や、組織主義に毒されることなく、麗しき人間主義の組織として、永劫に栄えゆくであろう。”


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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組織が官僚主義にならないために

『新・人間革命』第10巻 桂冠の章 P320~

昭和35年山本伸一が初めて沖縄を訪問し、支部が結成された時には、川瀬は、勇んで地区部長の任命を受けた。“この沖縄を、世界一、平和で幸福な島にしていくのが、おれたちの使命だ!命をかけて戦うぞ!”

だが、彼は、視力をほとんど失うことになる。しかし、一途に信仰に励んできた川瀬には、不思議と、恐れも、狼狽もなかった。既に覚悟してきたことであったからだ。
川瀬は心の眼を開くと決意し、以来、妻の澄が、彼の目となった。

学会にはあの地、この地に、金色の輝きを放つ、尊き仏子がいる。民衆の大英雄がいる。伸一は、その一人ひとりを、心から称え、人間王者の桂冠を捧げたかった。

苦しんでいる人を、励ましたい。悲しみに沈んでいる人に、勇気を与えたい。努力の人には、称賛を送りたいーー山本伸一の心は、常にサーチライトのごとく、一人ひとりの同志に注がれていた。

“一人の友”を、どこまでも大切にし、同苦し、守らんとすることこそ、御本仏・日蓮大聖人の御精神であり、創価の心である。また、そこに、人間主義の原点がある。全幹部が、この一念に貫かれている限り、学会は、永遠に大発展を遂げ続けることは間違いない。

しかし、その一人ひとりを見失い、人間を「数」としか考えなかったり、「役職」や「立場」で人を見る時、社会の多くの組織がそうであるように、学会もまた、冷酷な官僚主義に陥ってしまうことになる。そして、「獅子身中の虫の獅子を食」との御聖訓のごとく、内部から、しかも、中枢から、学会を滅ぼしていくことになろう。

では、組織が官僚主義化していってしまう根本原因は、どこにあるのか。それは、幹部が、広宣流布と仏子である会員への「献身」という、本来の組織の目的を忘れて、「保身」に陥ってしまうことにある。つまり、幹部の、「広布中心」から、「自分中心」への、一念の揺らぎである。

当時、会員数の激増にともなって、本部職員の数は急速に増えつつあった。また、本部職員には、次代を担う、新しい人材を採用しているために、平均年齢も若かった。

若さには無限の可能性がある。しかし、磨き、鍛えなければ、いかに優れた原石も、光輝くことはない。何よりも伸一が心がけてきたのは、彼自身の行動を通して、すべての本部職員に、広宣流布に生き抜き、会員を守り、奉仕する精神を伝えることであった。それこそが、官僚主義、組織主義の対極にあるものだからだ。

ある日、伸一は、本部のロビーで立っている婦人を見つけ、理由を尋ねると、職員である幹部に指導を受ける約束をしているという。しかし、いつまでたっても、職員は 現れず、伸一が代わって相談にのり、指導した。

約束をした職員は、1時間近く遅れてきた。ささいな問題であるかもしれない。しかし、そこに、官僚主義の萌芽があるがゆえに、伸一は見逃すわけにはいかなかった。むしろ、小さな芽のうちに、摘んでおかなければならないと思った。

「君の心のどこかに”相手は学会員なんだから、遅れてもいいだろう”という安易な考えがあるということではないか。また、裏返せば“自分は幹部なんだから、遅れても許される”という、傲慢さがあるということだ。それ自体、民衆を睥睨する姿であり、既に官僚主義に毒されている証拠ではないか。」

「幹部は、なかでも本部職員は、会員を守り、奉仕するためにいる。それなのに、学会の幹部ということで、同志が信頼し、尊敬してくれるのをいいことに、自分が偉くなったように錯覚し、傲慢になってしまう。こんなに恐ろしいことはありません。」

「一つ一つは、小さなことだが、その積み重ねが、学会という堅固な信頼の城を崩していくことになる。だから、小事が大事なんです。大問題、大事故も、みんな小さなことから始まっている。」


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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