『新・人間革命』第29巻 常楽の章 87p~
富士光る山梨は、伸一にとって師と共に青春の思い出を刻んだ天地であった。戸田城聖にとって最後となった「水滸会」野外研修が、山梨県の河口湖畔と山中湖畔で実施された。「水滸会」の青年たちが決起した地である山梨に集う同志たちこそ、広布第二章の先駆けとして立ち上がってほしいと、彼は強く念願していた。
伸一は、この詩情豊かな山梨の地に、地域広布の大城を築き、人間文化の大輪を育んでいってほしかったのである。
『甲陽軍鑑』には、甲斐を根拠地にした戦国武将・武田信玄の言葉として、「人は城 人は石垣 人は堀」とある。一人ひとりが適材適所を得て、力を発揮すれば、人が堅固な城となり、石垣となり、堀となって鉄壁の守りを固めていけるのだ。
では、人材育成の要諦とは何か。それはリーダーが成長し続けていることだ。リーダー自身が心に師をいだき、求道心を燃やし、新しい挑戦を重ね、自分を練磨していくことが大事になる。厳に戒めるべきは慢心と油断である。
また、一人ひとりの成長と幸福を願い、共に行動しながら、信心の基本を教えていくことだ。人は放っていたのでは育たない。伸一の眼には、21世紀の大空にそびえ立つ山梨の人材城が、燦然と輝いていた。
1978年(昭和53年)の11月9日、山本伸一は、空路、大阪へ向かった。この年、6度目の関西指導のためである。関西の同志と共に、弘教の金字塔を打ち立てた、あの56年の大阪の戦いから、既に22年がたつ。伸一は、関西が永遠に「常勝」の大城であり続けるために、今再び新しき前進のための布石をしておきたかったのである。
中心となる幹部への指導から、彼の戦いは始まった。「第一に広宣流布のリーダーは、強情な信心に立つことが最も大事であるのは当然ですが、そのうえで、広く、深く、“教養”を身につけていかねばならない。それには、多くの書を読んで、学ぶとともに、思索を重ねて、自らを高めていく努力を日々、続けていくことです。
第二には、広宣流布という遠征のために、“健康”でなければなりません。次に、信心の世界にあっては、一つ一つの課題に対して、常に真剣に取り組んでいかなくてはならないということです。人の目を意識し、恰好だけ取り繕っても、根底にいい加減さがあれば、人間革命はできません。しかし、真剣であり、一途な一人ひとり、誠実な人は、必ず、大きく成長していきます。
22年前の、あの“大阪の戦い”で大勝利を収めることができたのは、皆が真剣であったからです。新しい『常勝関西』の建設のために、中心となる幹部の皆さん方は、このことを忘れないでいただきたい」
「草創期の学会を、モーターボートにたとえるならば、今の学会は、大型のタンカーのようなものです。タンカーが湾のなかを、猛スピードで進めば、大波が立ち、周囲の小舟も大きく揺れてしまう。ゆえに、静かに細心の注意を払って、周りを気遣いながら進んでいく必要がある。これが道理です。
急いで進もうとして、社会性を軽視するようなことがあっては絶対にならない。いかなる団体よりも、社会性を尊重する学会であり、皆さん方であってください。これは、今後の恒久的な学会の在り方を考えるうえでの基本です。また、家庭を盤石にししっかりと足元を固め、地域に信頼の根を深く張っていくことが、ますます大事になります」
伸一は、泉州文化会館を訪れた。彼は、「信心の基本とは何か」に言及していった。「それは、究極的には“御本尊根本”ということに帰着します。では、“御本尊怨本”とは、いかなる生き方をいうのかーー信心の極意は、何があっても御本尊に向かい、題目を唱え抜いていくことしかありません。苦しい時も、悲しい時も、嬉しい時も、この姿勢を貫き通していくことが、“御本尊根本”の信心であり、それが正信なんです。
そうすれば、御本尊が助けてくれないわけがない。困難を乗り越える大生命力が、智慧が、湧かないわけがありません。常に、根底の一念を御本尊に定め、その信心を持続することが、現世安穏・後生善処の人生につながっていくことを知っていただきたい」
伸一は、この詩情豊かな山梨の地に、地域広布の大城を築き、人間文化の大輪を育んでいってほしかったのである。
『甲陽軍鑑』には、甲斐を根拠地にした戦国武将・武田信玄の言葉として、「人は城 人は石垣 人は堀」とある。一人ひとりが適材適所を得て、力を発揮すれば、人が堅固な城となり、石垣となり、堀となって鉄壁の守りを固めていけるのだ。
では、人材育成の要諦とは何か。それはリーダーが成長し続けていることだ。リーダー自身が心に師をいだき、求道心を燃やし、新しい挑戦を重ね、自分を練磨していくことが大事になる。厳に戒めるべきは慢心と油断である。
また、一人ひとりの成長と幸福を願い、共に行動しながら、信心の基本を教えていくことだ。人は放っていたのでは育たない。伸一の眼には、21世紀の大空にそびえ立つ山梨の人材城が、燦然と輝いていた。
1978年(昭和53年)の11月9日、山本伸一は、空路、大阪へ向かった。この年、6度目の関西指導のためである。関西の同志と共に、弘教の金字塔を打ち立てた、あの56年の大阪の戦いから、既に22年がたつ。伸一は、関西が永遠に「常勝」の大城であり続けるために、今再び新しき前進のための布石をしておきたかったのである。
中心となる幹部への指導から、彼の戦いは始まった。「第一に広宣流布のリーダーは、強情な信心に立つことが最も大事であるのは当然ですが、そのうえで、広く、深く、“教養”を身につけていかねばならない。それには、多くの書を読んで、学ぶとともに、思索を重ねて、自らを高めていく努力を日々、続けていくことです。
第二には、広宣流布という遠征のために、“健康”でなければなりません。次に、信心の世界にあっては、一つ一つの課題に対して、常に真剣に取り組んでいかなくてはならないということです。人の目を意識し、恰好だけ取り繕っても、根底にいい加減さがあれば、人間革命はできません。しかし、真剣であり、一途な一人ひとり、誠実な人は、必ず、大きく成長していきます。
22年前の、あの“大阪の戦い”で大勝利を収めることができたのは、皆が真剣であったからです。新しい『常勝関西』の建設のために、中心となる幹部の皆さん方は、このことを忘れないでいただきたい」
「草創期の学会を、モーターボートにたとえるならば、今の学会は、大型のタンカーのようなものです。タンカーが湾のなかを、猛スピードで進めば、大波が立ち、周囲の小舟も大きく揺れてしまう。ゆえに、静かに細心の注意を払って、周りを気遣いながら進んでいく必要がある。これが道理です。
急いで進もうとして、社会性を軽視するようなことがあっては絶対にならない。いかなる団体よりも、社会性を尊重する学会であり、皆さん方であってください。これは、今後の恒久的な学会の在り方を考えるうえでの基本です。また、家庭を盤石にししっかりと足元を固め、地域に信頼の根を深く張っていくことが、ますます大事になります」
伸一は、泉州文化会館を訪れた。彼は、「信心の基本とは何か」に言及していった。「それは、究極的には“御本尊根本”ということに帰着します。では、“御本尊怨本”とは、いかなる生き方をいうのかーー信心の極意は、何があっても御本尊に向かい、題目を唱え抜いていくことしかありません。苦しい時も、悲しい時も、嬉しい時も、この姿勢を貫き通していくことが、“御本尊根本”の信心であり、それが正信なんです。
そうすれば、御本尊が助けてくれないわけがない。困難を乗り越える大生命力が、智慧が、湧かないわけがありません。常に、根底の一念を御本尊に定め、その信心を持続することが、現世安穏・後生善処の人生につながっていくことを知っていただきたい」
太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋