『新・人間革命』第2巻 民衆の旗 p312~


山本伸一は、創価学会の組織が拡大され、整備されるにつれて、
幹部が 次第に権威化し、官僚化しつつあることを 憂慮していた。


あたかも、自分が偉くなったように思い、自分の一存で決定し、
命令で人が動くかのように錯覚している幹部。


自分を崇める人とだけを重用し、時には私生活の面倒までみさせ、
あたかも、“親分”“子分”のような関係を作る幹部。


成果主義に陥り、合意もなく、きめこまかな指導の手を差し伸べることもないまま、
一方的に、さまざまな目標の数字だけを割り振り、成果の達成を強引にせまる幹部。


いずれも、幹部が、会員への献身を忘れ、自己中心主義に陥り、
名聞名利に走るところから起こる現象といえよう。
そこには、恐るべき慢心と保身がある。


同志が幹部に敬意を表してくれるのは、幹部はみんなを守り抜く立場にあり、
実際にそう行動すると信じているからである。
この「立場への敬意」と「自分への尊敬」を取り違えるところから
幹部の堕落は始まるといってよい。


山本伸一は 幹部の姿勢について指導している。
「御書には『教弥よ実なれば位弥よ下れり』と仰せです。・・・
幹部になり、信心が深まるほど、いよいよわが身を低くし、謙虚に、礼儀正しく、
同志を敬い、尽くしていくべきです。
ここに世間の地位や立場と、学会の役職との大きな違いがあります。」


幹部は、どこまでも思いやりにあふれ、泥まみれになって献身していく、
奉仕の人でなければならない。
もしも、その精神を忘れ、わがままになり、同志を見下すようになれば、
学会は幹部によって蝕まれてしまう。



伸一は、断じてそうさせないために、一部の幹部の心に兆し始めた
“慢心”と“わがまま”に対する、闘争を開始したのである。




太字は 『新・人間革命』第2巻より抜粋