『新・人間革命』第4巻 春嵐の章 P7~


民衆ほど、偉大な力はない。
民衆ほど、確固たる土台はない。
民衆の叫びほど、恐ろしきものはない。
民衆の前には、いかなる権力者も、富豪も、名声も、煙のようなものである。


1961年(昭和36年)2月14日、アジア訪問から帰った山本伸一は、
早くも16日には愛知県の豊橋市で行われた豊城支部の結成大会に出席した。


この日、伸一は、常識ある行動の大切さを訴えた。
「仏法は最高の道理であります。その仏法を信奉する私たちは、常に、
 礼儀しい行動を心がけていかなくてはなりません。」


「非常識な言動というものが、どれだけ学会に対する誤解を生んでいるか、
はかり知れません。周囲の人が見ても、“学会の人は礼儀正しく、立派であるな”
と思えるようでなければ、本当の信仰の姿とは言えないと思います。」


彼が、ここで、あえて「常識」を強調したのは、信仰の深化は人格を磨き、
周囲に信頼と安心を広げていく最高の常識を育む力となるからである。


「私どもが信心をしているということは、あくまでも『信心即生活』のためであります。
 観念でもなければ、精神修養のためでもありません。
 仏法とは生活法なりー」


「大聖人は『一切の法は皆是仏法』とお説きになっていますが、
 これを現代的に申せば、『信心即生活』ということです。」

「大切になってくるのが、私たちの『常識』です。信心をしているのだから、
 何をしてもかまわないなどと考え違いをし、思いあがった行動をして、
 批判されるならば、法を下げることになります。」


「鳥には鳥の道がある。魚にも魚の道がある。そして、人間には、
 人間の生きるべき道がある。その最高の人間の道が仏法である。」


人間は、たった一言の言葉で、悩むこともあれば、傷つくこともある。
また安らぎも感じれば、勇気を奮い起こしもする。

ゆえに、言葉が大事になる。

言葉への気遣いは、人間としての配慮の深さにほかならない。
友に、“希望の言葉” “勇気の言葉” “励ましの言葉” “正義の言葉”を発し続け、
深き信仰へと導く人こそ、まことの仏の使いの姿といえよう。

 

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太字は 『新・人間革命』第4巻より抜粋