小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

師弟不二の道

わらじ履きの足立支部長

『新・人間革命』第26巻 奮迅の章 353p~

栄光の歴史を刻んだ足立支部の、初代支部長・婦人部長が、藤川秀吉・多恵夫妻であった。
多恵は、夫が戦争に召集されると、夫に代わってたった1日教わっただけの溶接業を受け継ぐ。心細く、生きていく自信さえ失いかけたとき、創価教育学会に入会する。初代会長・牧口常三郎の時代である。

多恵は、牧口から 戦地の夫に毎日手紙を出すよう言われ、「南無妙法蓮華経と三度唱えて下さい」と記した。夫は欠かさず、題目を唱えるようになった。牧口から、「必ず難が競い起こります」と指導され、会長らが、次々捕らえられても、先生のおっしゃる通りになったと、仏法への確信を深め信心を貫いた。

終戦後、復員した夫は、学会に入会した。生きて帰れたことに、仏法の力を感じ、純真に一途に、信心に励んだ。秀吉は戸田城聖の指導どおり、実践のなかで信心を学び、戸田が仙台へ行くときは、妻が着物を質屋に預け、旅費を工面し、「帰りの汽車賃がなければ歩いて帰っておいでね」と送り出した。

秀吉は同志の激励に歩き回り、靴がすぐに磨り減るので、安いわらじを履いて歩いた。そして、1951年に"わらじ履き"の支部長が誕生するのだ。

初の「足立会」の集いには、藤川夫妻の元気な姿もあった。山本伸一は、「皆さんは、戸田先生の薫陶を受けて育った"学会の宝"の方々です。その皆さんにお願いしたいことは、戸田先生に自分が育まれたように、後に続く人材をつくっていただきたいということです。

人材は、一朝一夕には育ちません。多くの時間と労力を必要とします。しかし、人を育てる以外に、広宣流布の永遠の未来を開く道はないし、それに勝る聖業もありません。皆さんが人材育成の範を示して、支部幹部や大ブロック幹部の方々に、その方法、在り方を教えていっていただきたい。

先輩の皆さんは、常に後輩と共に動き、その敢闘の精神と実践とを、伝え抜いていっていただきたいのであります」

「広宣流布の前進には"時"がある。その一つ一つの"時"を逃すことなく、全力で仏道修行に励み抜いてこそ、自身の使命を果たし、一生成仏することができるんです。今、学会は、広布第二章の『支部制』が発足し、未来万年の流れを開く"時"を迎えました。今こそ総立ちすべき"朝"なんです。

過去に縛られるのではなく、今現在を大切にし、未来に向かって生きていくことが大事です。それが仏法者の生き方です。昔の栄光に酔っているのではなく、『今、どうしているのか』『未来のために何をしているのか』が大事になるんです。

2月度本部幹部会が開催された。「支部制」が本格的にスタートして以来、初めての本部幹部会であった。会場を沸かせたのは、支部婦人部長を代表して登壇した、目黒区の向原支部婦人部長・西峯富美の活動報告であった。

彼女は結婚した時、夫の勧めで入会したが、活動はしなかった。しかし、生まれた長男が生後4か月で肺炎にかかり、他界した時、宿命の厚い壁を感じ、亡くなった子の分まで、信心に励もうと決意し、学会活動に励むようになった。

自営の中華料理店が大火災になりかけたとき、近所の人たちが消火してくれ、小火ですんだ。"守られた"と思った。以来、夫妻は感謝の思いで地域の交流に励んだ。支部の大藪真理子という婦人の体験が、座談会用の体験レコードとして全国に配布され、大きな感動を広げた。

支部のメンバーは、身近な同志の体験に強く共感し、"私も苦難を克服できないわけがない。胸を張って体験発表できるようになろう!"と唱題に、折伏・弘教に、喜々として取り組み始めた。

一つの功徳の体験は、友の心に、勇気と確信の火をともす。それがまた、さらに新しい体験を生み、組織中が功徳の喜びの光に明々と包まれていくーーこれが、そのまま広宣流布の広がりとなるのだ。

伸一は、西峯の報告に耳を傾けながら、支部幹部が自分と同じ一念で、"何としても皆を幸せにしよう!"と、広宣流布に邁進してくれていることが嬉しかった。「師弟不二の道」とは、師の表面的な姿を真似することでもなければ、指示を待って、言われたことだけを行ってよしとする、受動的な生き方でもない。

それは、弟子が師の心を心として、同じ一念に立つことから始まる。そして、師に代わって、広宣流布の全責任を担い立つなかにある。つまり、師の指導を深く思索し、わがものとして、人びとの幸せのため、広宣流布のために、勝利の旗を打ち立てていくなかにこそあるのだ。


太字は 『新・人間革命』第26巻より 抜粋
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師恩

『新・人間革命』第18巻 師恩の章 183P~

山本伸一は、「私は、多くの文化祭や社会の文化的諸行事を見てまいりましたが、美しい真心と、尊い団結が光る、この"郷土まつり"は最高の名画でした。絢爛たる舞台で、展開される、どのような一流の芸能よりも、幾千倍も勝る尊い人間文化の香りがありました。」と話した。

豪雨禍から一年二か月ここには、苦難をものともせぬ、たくましき同志の不死鳥のごとき不屈の闘魂が躍動していた。伸一は、それが何よりもうれしかった。

鳥取幹部総会に出席した伸一は、力をこめて、訴えた。地域の開発、繁栄といっても、その基礎は「一念の変革」「精神の開発」から出発する。ゆえに、題目という生命変革の根源に還れ!

鳥取の同志の奮闘ぶりを見守ってきた伸一は、鳥取創価学会は、あらゆる面で全国の模範となる潜在的な力があると感じていた。もし、それを阻んでいるものがあるとするならば、"自分たちには無理だ"という、自身がつくり上げた心の壁である。それは、自らが描き出した幻にすぎない。その一念を変えることこそが、一切の勝利の源泉といってよい。


「一念の変革」という伸一の叫びは、同志の胸深く、永遠の指針として刻まれたのである。


広宣流布の道に安逸はないーーそれが、山本伸一の信念であった。11月6日には第一回栃木県幹部総会に出席した。伸一は、尋常小学校の5,6年生の時の担任の檜山先生夫婦を幹部会に招待した。

檜山は喜び勇んで、バスで1時間半もかけ、わざわざ夫妻で駆けつけてくれたのだ。教え子を思うその真心に、伸一は、胸が熱くなった。報恩は、人間の人間たる証といえよう。

牧口常三郎は「教育の根本は児童のもっている天性を発揮させ、興味をもたせることがまず大切である」と述べている。檜山は、まさに、その達人であり、伸一も檜山によって、どれほど多くのことに興味を覚えたか計り知れなかった。

伸一は「檜山先生」だけでなく、自分が教わった教師全員に、強い感謝の念をいだき、強い恩義を感じていた。いや、教師に限らず、自分がこれまでに関わったすべての人に、同じ思いをいだいていた。

仏法の基本には「縁起」という思想がある。いかなる物事も、たった一つだけで成り立つことはなく、すべては互いに依存し合い、影響し合って成立することを、仏法では説いているのである。

人間もまた、自分一人だけで存在しているのではない。あらゆる人に助けられ、影響や恩恵を受けて、生きているのだ。その考えに立つならば、父母、兄弟、教師はもとより、あらゆる人びとに、自ずから感謝の念をいだくことになる。


日蓮大聖人は「報恩抄」で、「いかにいわうや仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや」と仰せになっている。

伸一は思った。「正法正義のために殉教された牧口先生、そして、日本の広宣流布の基盤を築かれたわが恩師である戸田先生のご恩は、いかに深甚であることか。その稀有の師に巡り会えた福運はいかばかりか。なんと幸せなことか。」

「戸田先生は、私に久遠の使命を教え、心血を注いで仏法の指導者に育て上げてくださった。先生なくば、今の自分も、創価学会も、そして、広宣流布の現在の広がりもなかったにちがいない。ゆえに私は、広宣流布の大師匠への、報恩感謝の生涯を生きるのだ!」

師への報恩の道とは何か。仏法を学び究め、幸福と平和の道を開く智者、すなわち広宣流布の闘将に育つことなのである。弟子は師匠以上に成長し、法のため、社会のために尽し抜くのだ。その功徳は、師に回向され、最高の追善となっていくのである。

師弟不二の道こそ、創価学会の魂であり、広宣流布の生命線なのだ。

<師恩の章 終了>

太字は 『新・人間革命』第18巻より 抜粋

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新宿成人会結成

『新・人間革命』第16巻 入魂の章 41P~

伸一は、どのグループの撮影の折にも、マイクを手に、「本陣・新宿」の使命を訴えた。彼は、新宿に限らず、全学会員に、自分の住んでいる地域に、深い意義を見いだし、誇りをもってほしかった。そこから、わが地域への愛着が生まれ、地域建設が始まるからだ。

彼は語った。「私が青年時代に決意したことの一つは、“広宣流布に生きようと決めた限りは、何があっても、文句など言うまい”ということでした。建設的な意見は大事だが、文句や愚痴は、いくら言っても前進はありません。言えば言うだけ、心は荒み、自分の意欲を削いでいきます。」

「また、それは、自分の情けなさ、卑屈さ、無力さを吹聴しているようなものであり、自らの価値を、人格を、下落させることになる。しかも、文句や愚痴は周囲を暗くさせ、皆のやる気までも奪い、前進の活力を奪ってしまう。だから、福運も功徳も消すことになる。」

『賢者はよろこび愚者は退く』です。私たちは、何事も莞爾として受け止め、さわやかに、勇んで行動していこうではありませんか。」皆が笑顔で頷いた。

伸一は、記念撮影をした青年に『1・15』グループを結成しょうと提案した。結成によって、各人の年ごとの目標が明らかになっていったのである。

壮年部には、若い世代に豊富な経験や精神を語り伝えていただきたいと話し、「なかには、とても、人に語りうるものはないと思っていらっしゃる方もいるかもしれない。それならば、これから戦いを起こし、自身の広布のテーマに、懸命に挑戦していくことです。勇んで行動を開始すればよい。信心に遅すぎるということはありません。」

「壮年は、ともすれば、自分の小さなプライドに縛られたり、面倒くさがり、”何を今さら”と考えて、一途に行動を起こせない傾向がある。それが魂を老いさせるんです。それを打ち破るのが勇気です。勇気は若さにつながります。ともあれ、自らが行動し、つかんだ体験こそが、人生の真実の財産です。」

成人式を迎えたメンバーには、『新宿成人会』を結成しようと提案。今日を第一期とし、2期、3期と結成し、伝統として、毎年、集い合い、互いの成長を確認し、誓いを新たにしようと話した。まさに、この日は、「世界の模範・新宿」への出陣の日となったのである。

29日には、山本伸一は、沖縄に向かった。沖縄はこの1972年(昭和47年)の5月15日に、日本に返還されることになっていたのである。

沖縄総合本部の総合本部長高見福安は、「皆、日本一の広宣流布の理想郷をつくろうと固く誓い合っています」

「先生に呼吸を合わせ、心を一つにして戦うと、生命の電流が流れるように、元気が出る。勇気が涌いてくる。どんな壁も、次々と打ち破っていけると実感している。これは、どうしてでしょうか」という福安に伸一は答えた。

「勉強でさえ、自分だけでやっていたのでは、わからない問題に、行き詰ったり、偏ったものになってしまいがちです。しかし、よい先生に教われば、わかりやすいし、やる気も引き出してくれる。基本もしっかり教えてくれるし、能率的な学習法を身につけられる。当然向上も著しい。」

「私も、戸田先生の心を心とし、常に呼吸を合わせて戦ってきました。すると、“これはかなり困難な課題だ。果たしてできるだろうか”と思っていたことも、“必ずできる!”という確信に変わっていきました。どんなに辛く、大変な時でも、勇気が涌き、元気が出ました。そして、日々、自分の壁を破ることができたんです。」

「それは、広宣流布をわが使命とされ、現代における地涌の菩薩のリーダーとして立たれた戸田先生の、大生命と感応していったからです。広宣流布の師弟の道を行く人には、行き詰まりがありません。師匠と心が一つにとけ合った時、無限の力が涌くというのが、私の人生の結論なんです。」

人間が自身の力を最大限に発揮し、自分を生かしきる道こそが、「師弟不二」の道であることを、伸一は、確認しておきたかったのである。


太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋

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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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